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すばらしい新世界/【読書report】

登場人物に魅力を感じることができず、誰にも思い入れできない小説であったにもかかわらず、舞台設定が興味深いものだったのと、軽い調子の皮肉とユーモアの効いた文体(新訳)のおかげで、最後まですらすらと読むことができた。


この作品が1932年という昭和初期に書かれていたことに感銘を受ける。
もちろん、著者の想像力にも限界があるわけで、未来の世界と言いつつその当時影も形もなかったIT技術は登場してこない。
しかし、もし中途半端にIT技術が登場していれば、現実との齟齬が露わになって違和感を感じていただろうから逆に、そういった技術が用いられていないからこそ未来感(異世界感)がある…という逆説が成立しているような気がした。


この時代の先端技術の中心は、「条件付け」である。著作された時代がかのパブロフが実験生理学により、国際的に注目されていた時代と重なるようだ。パブロフの研究は、労働者の再教育を考えていたレーニンに称賛されていたらしいので、それもこの小説の着想と重なっていたかもしれない。

「中央ロンドン孵化条件付けセンター」では、体外受精で生を受けた胎児たちが、アルファ・ベータ・ガンマ・デルタ・イプシロンという階級ごとに異なった条件付けを授けられて成長してゆく。独裁政権においては、労働者階級が不満を言うことなく自分の階級に満足して生涯を送ることは、理想的ではないだろうか。個人が個々の意見や価値観を持つことは、決して推奨されない。一つの価値観で、皆幸せ、なのだ。


随分極端な設定だが、この小説では、そういった設定の歪みや不幸などは特に強調されることなく、また、指導者が特に悪人だったり私利私欲に走ったり、ということもない。むしろ、指導者である世界統制官、ムスタファ・モンドは、以前までの世界観を知っており、現在の世界の欠けた面も理解した上で、この世界が人々にとって幸福であると確信する、ある意味公平で頭の良い人物として描かれていた。

今を生きる私からすれば、この世界の作られ方は、不自然でいびつ、そして人権という観点からも異常であると思うが、そうして生を受けた人たちは、誰も不幸ではなさそうだ。どの階級の人も自分の生き方に満足しており、他の階級をうらやむこともない。従って暴動も反乱も起こらない。不自然に穏やかな世界。人間が幸福を突き詰めると、ここに至る…という可能性は、今の私達にも理解できてしまう。だからこそのディストピア小説なのだろう。「野人保護区」からやってきたジョンは、この世界のことを「不快なものは、それに耐えることを学ぶのではなく、消し去ってしまう。(略)安直すぎる」と非難しているが、統制官は「われわれは、なんでも楽にやるほうが好きだ」「それで何の不都合もない」と言う。この考え方は、デジタル思考が広がり、「不快なものは削除」と考えたくなる今の世界と方向性が酷似しているのではないか。


生と死の苦しみ、幸福と憎しみの苦しみ、そこから生まれる芸術、宗教といった人間の生み出す美しい果実がなくなるのは虚しいと思う。でも、その結果何の不都合もないならよいのではないか?人は苦しまないし、万一不快な気分になった時は、ソーマを一服すれば済む。とても薄っぺらい世界だと思うけれども、私達だってあえて苦しむ道を選びたくはない。

今の世界は、全ての人が幸福であるにはほど遠いものの、
100年前に比べれば平和で暴力も減っていて、穏やかで安定している。
突き詰めてゆけば、徐々にこの小説のような世界になってゆくのだろうか。平和ではあるが、ほどほどに不幸もあり、ほどよく救いのある世界であってほしいと願うのは都合がよすぎるのだろうか。


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