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6歳になりました。

6歳になりました。
またこの記事を書く時期がやってきました。

2017年4月20日。
生きてることに疲れちゃって、生きるのをやめようと思って、思い立ったけど実行に移せなくて、今まで信念としてたもの全部無くして生きてる意味すらなくなって、でもしょうがないな、生きるかぁって計算見誤って長すぎた縊死用のロープにぶらさがりながら夜明けの白んできた空を見つつ、ぼんやり思った日から、6年経ちました。
まだ生きてます。なんとか。
あの日を境に私は“親の望む演じた私”ではなく“私”として産まれたのだと思っているので、今日は私のもうひとつの誕生日です。

この日だけは一生忘れないと思ってたのに、数日前にカレンダーを見て、うわ、もうすぐやんって思うくらいには忘れてました。
時を経るにつれて、昇華ってできるものなのかもしれない。
そのうち卒業する日も近いのかもしれませんね。

この一年は、いろんなことがありました。

一番大きかった近況。
私の中で一番大きな存在だった両親と、向き合って、自分の思いを伝える場を設けて、きちんと伝えてきました。
歪曲されたくなかったので、びっしり便箋4枚にしたためて。指にペンだこができました。

一部公開。

私ね、大好きなんですよ、父と母のこと。
母とはそれに加えて依存関係もあるんですけど。
産まれてから6年前まで、つまりボロボロに壊れるまで、母の期待に応え続けようとしたのは、ただただ愛してたし、愛されたかったから。
愛すらも超えて、母に認められることが自分の全てになっていたから。
なもんでまぁ、大変でした、当時は。ここだけの話。
急に生きる意味も目標も全部無くして、死ねなくて生きざるを得なくて、とりあえずお金はないわ死にたいわ。大荒れ。笑
当時を知ってる数少ない友人には本当、頭が上がらないです。
とりあえず明日何とかしなきゃいけない、明日生きるためには今日働かなきゃいけないで、いろんなことしました。日中の仕事に加えて、日雇いのバイト、交通整理、倉庫のピッキング、夜の仕事もやったかな。多分7個か8個掛け持ちしてた。“世間で必要とされること”を生きる意味としていた。その当時寄り添ってくれていた幼馴染からは「ほんまに大変そうやった」とこの前後日談をいただきました。笑

そんな明日も見えないような状態から、腰を据えるかと思って転職して、メンクリ自分に合ったところをみつけて、カウンセリング始めて、色々な人と関わって、少しずつ自分に余裕ができてきたんだろうね。
カウンセラーと話してたら、こんな会話になった。

「私まだ愛してるし憎いし感情ぐっちゃぐちゃやわ、親に対して」
『そんなん23までその環境におったんやろ?その倍はかかるって。46までかかるかかる!』
「えーそんなにかかるの?そんなん親死んでるか耄碌してるやんか」
『死んでるかもなぁ。だから、茜さんの思いをちゃんと話してみたら?』
「やらん後悔よりやる後悔よな…一回ぶつけてみようか…」
『一回なんて思わんと、気楽に行ってき!』

うちのカウンセラー、はっきり言ってくれる時ははっきり言ってくれるんです。
自分のメンタルが全部治るまで待つより、今だから言える何かを、ちゃんとぶつけたほうがいいな。
そう思って、親と初めてちゃんと話しました。
向き合うのって、地盤がちゃんと安定してないと向き合えないんですよ。自分がなにを話したいのか、きちんとわかってないと向き合えないんですよ。自分でもわからない、言葉にできない思いで泣き明かした夜から、6年かかりました、ここまで。長かった。

6年も経つと、自分も変わるけど他人も変わるものです。
産まれた時から完璧を求め、6年前は3日と明けず帰ってきて欲しい真理が全てとポストに手書きの手紙を詰め込み、挙げ句の果てにお前なんかもう娘じゃないとなじった両親も、歳をとったのでしょう、人間味が出てきていました。もちろん相変わらずドリーミーな発言(将来新しい世界になって永遠に生きて自由なことができる、茜ちゃんは音楽が好きだから100年間はリコーダー、100年間はオカリナを吹くなんてどう?らしいです…肺がちぎれて死んでしまうわ)もあって吹き出しそうになりましたが。笑
一回の話だけで全部伝わったとは思っていません。
でも、今までは全く発言権のなかった私にとっては、これは大きな進歩なのです。
これから何度も話をしていきたい。
親は、最善の教育をしてきたつもりだと言った上で、でも茜の言う通りだったかもしれない、ここから新たにやり直そうと言ってくれました。その言葉に縋るつもりはありませんが、一回だけ信じてみてもいいかなと思ってる。

次に大きかった近況。
同じ宗教の集まりで育った幼馴染と邂逅しました。
物心つく前から一緒にいて、いっぱい遊んで、でも核心をつく話は一度もしたことがないまま、全員宗教からバラバラのタイミングで離れて、それぞれの人生を歩んで、SNSを通じて相互フォローになって、ふと会いたいなぁなんて話になって。
年単位で会ってなかったりもしたから、どうなるかと思っていたけど、あった瞬間、今までの時間を取り戻すようにおしゃべりが止まりませんでした。
みんな当時それぞれ悩んで、葛藤してて。
でもそんなマイナスな話、絶対にできない環境で。
思春期のあの頃にそんな話ができればよかったなぁって思ったけど、これもきっと歳を重ねて時間が経ってそれぞれの中で落とし所がついて、初めてできる話だったんでしょう。

この一年を振り返ると、成果の一年だったと思います。
蒔いてきたものが、芽吹いた結果を刈り取ったような。

この記事を書くようになって3年目ですが、内容もだんだん達観したような、過去の整理のような時間になっているような気がします。
組織から離れてすぐは激動的な感情で溢れていたけれど、今はだいぶ穏やかに。それはいい意味ではなく、辛すぎて自分では処理できず乖離して健忘したこともあるのだと思います。いつか思い出せるくらい、余裕ができたら、そしたらあの記憶たちは戻ってきてくれるのかな。いつか傷だらけの記憶たちが帰ってきてくれた日には、ありがとうねと抱きしめてあげたいと思います。

最近は社畜の日々を送っておりますが、そんな日々の中で大切な友人たちと取り止めもない話を話しているつかのまの時間がとても好きです。
男運も金運もからっきしな私ですが、人の運にはずっと本当に恵まれていて。自分の最大の強みだと思っています。
選択を誤りそうになった時、必ず客観的に物事を見てくれてありがとう。笑い飛ばしてくれてありがとう。真剣に話を聞いてくれてありがとう。

今の私は、胸を張って言えます。
“今、幸せですか?”
“はい、幸せです。自分が築き上げた自分の人生を、誇りに思っています。”
そしてこれから先も、誇りに思い続けられるように、また一年、誠心誠意努力していこうと思います。

ハッピーバースデー、6歳の私。

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