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四年勤続したということ、これからのこと

カレンダーを見ていて、ふと気がついた。
昨日、1月15日は私が今の会社に入った入社日じゃなかったかしら。

4年前、本来なら既に内定が出ていて、同期たちは12月から研修を始めていたのだけども、私は前の会社に恩がありすぎて、年末年始の繁忙期を前にして辞めますなんてとてもじゃないけど言えなくて、その繁忙期が全て収束した一月の半ばに、同期たちから二歩ほど遅れて、今の会社に飛び込んだ。

今の会社に正社員で入るまでの私は、フリーターとしてアルバイトをしながら生計を立てていた。
高卒ですぐフリーターになった理由は、新興宗教の布教活動に邁進していたためである。
私が信仰していた新興宗教の教えは、なぜだろう、正社員で働くことを是としなかった。それよりも、1時間でも多く布教に邁進し、個人で信仰心を高めることを勧めていた。
正社員で働いてくれた方が寄付金の余裕がたくさん出るのにね。
もしかしたら、仕事という“他のコミュニティー”から隔絶することで、信者を宗教内に縫い止めようとしていたのかもしれない。
人は皆、孤独を恐れる生き物だから。

そんな宗教の意図も知らず、宗教のコミュニティーの中で宗教に邁進しつつ、隙間時間を見つけてアルバイトをしていた。
メインは宗教活動で、サブが仕事である。
そんな生活を続けること、数年。
生きることが、息をすることが苦しいくらい生きるのが辛くなってしまって宗教をやめた私には、虚無の時間と、アルバイトだけが残った。
生きてる理由を、生きてく理由を失ってしまった私は、誰かに、なにかに必要とされたくて、いろんなバイトにのめり込んでいった。
元々やっていたレジ打ちのバイトを主軸にして、その空いた時間を、いろんなバイトをテトリスみたいにして埋めた。清掃のバイト、ピッキング、倉庫仕分け、夜のホステス、有料老人ホームの夜勤、そして、障害者のガイドヘルパー。
アホみたいに仕事を入れていたのは、自分を限界まで酷使したい自傷行為だったのか、対価として支払われるお金に自分の価値を見出したい願望の現れだったのか。

そのうちに自分を取り巻く環境が少しずつ変わっていって、少しずつ将来のことを考えるようになっていった。
いつまでこんなテトリスみたいな生活続けていくんだろう。
誰かのために生きたい。生きる意味を見つけたい。

そんな時、私は今の職場と出会う事になる。

“障害のある人も、地域で当たり前に生活していけるよう
共に笑い、共に考えながら歩んでいきます”

確かそんな謳い文句だったような、記憶は曖昧だけど。
そんな求人広告に私は心奪われた。
薄ぼんやりとガイドヘルパーとして余暇に関わるだけだった
“障害者支援の世界”に、心を決めて飛び込むことを決めた。


実際に働いてみたら、内情は想像とは違っていて。
パートさんとの火を吹くような確執があったり、
利用者さんからの拒否があったり、
担当さんの案件でどうしたらいいかわからなくて悩んだり、
ご家族から叱責をいただいたり、
先輩がネチネチ嫌味言ってきてがっつり鬱になったり、
そりゃあまぁ、いろんなことがあった。
何度も、なんでこんな思いしなきゃいけないんだろう、
辞めてやるぞ、辞めてやるんだと思った。
それでも辞めなかったのは、“辞めてどうなるんだろう”という漠然とした思い。今まで何も達成できてない人生なんだから、何か一つくらい達成したいという思い。そして周りにいてくれた先輩達の尊敬できる背中。
中でも今の部署の主任に出逢えた事は、私の人生において大切な出逢いのひとつだ。

主任は、なんていうんだろう。凄い人だ。
豪胆で、男気があって、周りを惹きつけるカリスマ性を持っていて、発する言葉には全部裏付けがあって、部下のミスを庇うのが上司の仕事やからってカラカラ笑うくらいの包容力があって、言葉だけじゃなく実際に有言実行してくれる人で、人情味に溢れてて、優しくて、細やかな気配りもできて、問題は全部自分で背負い込んじゃって、でもそんなことないよって笑ってる人で。
うーん、あと何を語ればあの人を表現できるんだろう。
とりあえず私が心酔してることだけは伝わったと思われる。
私は主任が人として大好きなのだ。恋愛対象ではないよ。

ちょっと主任の自慢をさせてほしい。

主任は、道立てを作るのが本当に上手だ。
今までいろんな職場で出会ったは上司や先輩は「わからないことがあったら聞いてね」と言ってくれる優しい人たちだった。
そして私もその優しさに甘えて、ピッキングの箱のラベルの貼り方とか、サービスカウンターでの贈答品の包み方とか、“わからないこと”を聞いて、自分の糧としていた。
ところがこの福祉という畑、“正解”も、それにつながる“道筋”すらもないというのだ。正解というのは各利用者のニーズに合わせたものだから画一的な答えなどあるわけがないでしょう、という理屈だ。なるほどわかった。詰んだわ。

どうしていいのかがわからず、だからこそどう聞いていいのかもわからず、担当さんの小さな案件を放置してとりあえず目の前の課題を片付ける自転車操業を、止めてくれたのが主任だった。

「とりあえず、困ってるときは手を上げて“困ってます!”って言ってみよう」
「何に困ってるとかは言わなくてもいい。こんなふうに困ってるって現状を教えてほしい。」
「なんでもいいから。茜さんが今悩んでることで、仕事に関係ないことなんてないから。」

そうやって、相談する道立てを教えてくれた。
そう言われたから、恐る恐る手を上げて「こまってます!!」って言ってみた。忙しいはずの主任は、私の話を、最後まで目をしっかりと合わせて聞いてくれて。
「それはたとえばこうやってみるのはどうやろ。なんでかっていうとな、茜さんは多分今こう思ってて、ここで悩んでると思うねん。それはこうすれば解決できるんじゃないかな。」
私の思考を整理して、具体的な案を出してくれた。

そんなことを、何度も何度も繰り返して。
主任に具体的に道筋を作ってもらううちに、変わってきたことがある。
変化が怖くて、安定を求めて、変動を嫌っていた私が、主任の圧倒的なフットワークの軽さについていくために必死で走るうちに、迅速な対応とまでは言わないけど、物事が大ごとになる前の初期段階で問題を火消しできるようになってきた。
周りの他職種が敵対的だったのが、協働してくれるようになってきた。
そして、少しずつ仕事の見え方が変わってきた。
今まで前なんて何も見えなかったのに、一段登った場所から自分の行動を俯瞰できるようになってきた。
まぁ主任は見上げても見えないくらいの位置から俯瞰してるからまだまだ主任の域には達してないけども。
そしてこれはあくまで私の中の自己評価だから、多角的にみたらまだまだ未熟なところはたくさんあるとおもうけれど。

この前、30分で7件くらいのどうしたらいいかわからない案件が押し寄せてきて、しかもそんな時に限って軒並み相談できる人がいなくて、心の中で半泣きになりながら解決した話を主任が後日同僚から聞いて知ったらしく、私にこう声をかけてくれた。

「それだけ案件が上がってくるようになったって事は、茜さんがちゃんと担当さんと共同して動いてきて、それをみんなが認知してるってことやで。しっかり動いてるから、その成果が出てるんやで。」

言葉は意訳だけど、私が1番苦手で、1番頑張っているところを、ちゃんと向き合って認めてくれて褒めて評価してくれる、そんな主任の一言が、泣きそうになるくらい嬉しかった。

そんな心酔する主任と、来年度も人事異動なしで働けることが内定して、私はとても嬉しい。
嬉しいと同時に、気にかけてもらうだけの部下ではなく、共に並ぶ同僚になりたいと強く思う。
大好きなあの人を、サポートできるくらいの人材になりたい。
そしてこの、答えが一切ない障害者福祉の業界で、答えがない苦しさにもがきながら、悩んで悩んで成長していきたい。
こんなに仕事に前向きになれる日が来るなんて、思わなかった。


今私は、今月末に行われる国試に向けてちまちま勉強している。
福祉に関わる国家資格の勉強。
初めは高卒だし勉強なんかなぁ、と思ってたけど、
蓋を開けてみたら知識を無限に自分のものにできるっていうことが楽しくて楽しくてしょうがない。学ぶっていうことが楽しい。

もちろん、躁鬱病の私だから、いつまでもこんなに調子がいいわけじゃない。重々承知している。

でも、5年目の誓い、までいうと仰々しいけど、
今のまま楽しく働いていけたらなぁ、って思う。
ゆるゆると、大好きなことをしながら。

 #初めて就いた職場 #上司 

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