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自分は嫌いだけれど、自分の書く文章は好き

まえがき

こんにちは。間(あわい)と申します。

突然ですが、皆さんは文章を褒められた経験はありますか?

私は創作活動を始める前は、文章を褒められた経験が一度もありませんでした。読書感想文も、作文も、論文も。だから、自分の文章は魅力がなく、評価されることはないものだと思っていました。

小さいころから本を読むのが好きで、小学生の頃は小説家が夢でした。けれども、だからといって賞に応募したり、文章を書いてみたりと特に行動することはなかった、ぼんやりとした夢でした。

そんな私でしたが、はじめての創作活動として動画を作ってサイトに投稿した際に動画に添えた文章が、なんと驚くことにたくさんの方に褒めていただけたのです。それぞれの人物に対する解釈や、語彙、文章について身に余る素敵なお言葉をたくさんいただきました。この経験は私にとってかけがえのないものになりました。

ですが、まだ「小説を書く」という一歩は踏み出せませんでした。なにせROM専だった時代が圧倒的に長く、「小説を書いて投稿する」というのは当時の私にとってとんでもなくハードルが高いことでした。それに加えて、完璧主義であることが災いして、小説を書くならば原作を読み込んで、緻密な自分なりの解釈を持って、きちんとした形の文章を発表しなければならないという考えに囚われていました。(当時は二次創作がしてみたかった)

そのまま何年か経って、ついに私の背中を押してくれる存在に出会います。それがナポリの男たちでした。

創作活動を本格的に始める

彼らについて簡略に説明すると、ナポリの男たちは「介護疲れに効く動画」をモットーに活動するジャック・オ・蘭たん、すぎる、hacchi、shu3の古参ゲーム実況者4人で構成されるグループです。どんなときでも緩く笑えて、時に爆笑の渦を生み出し、見終えるころには自然と元気になっている、そんな優しい栄養剤のような動画の数々が魅力的。ニコニコ動画では毎週土曜日にチャンネル会員限定で生放送をしています。

上でご紹介した通り、毎週土曜日にチャンネル会員が視聴できる生放送があるのですが、私が視聴していた当時はナポリの男たちは毎週企画を立てて生放送をしていました。そこで企画に沿って創作をする彼らの楽しそうなことと言ったら!

そして、彼らの周りに集まるファン(通称550円)もまた、クリエイティブな才能に溢れた方々が多く、たくさんの素敵な作品が日々生み出されていました。そこにいるにつれ私も創作活動がしたい!と強く思うようになりました。

そうしてナポリの男たちつながりで出会ったフォロワーさんにTRPGに誘っていただいて、そのセッションの後日談を書いたことをきっかけに、私は「文字書き」として創作活動を始めることになります。

ナポリの男たちがプレイしたTRPGのキャラクターをお借りした二次創作から、一から考える楽しさと難しさを知った一次創作、愛してやまないプロゲーマーを布教するための文章、日々のことを綴ったnoteまで今まで普段文章を書いていなかったのが嘘のように、文章を書くということは私の生活に溶け込み、ここ数年でたくさん文章を書くようになりました。私は私のことが嫌いだけれど、私の書く文章だけは不思議と好きになれました。それが、文章を書くことを続けられた大きな理由の一つです。

その時は主に実在する人物を応援する目的で文章を書いていたし、界隈はファンアートを書く人がほとんどで、私のような文章で応援する人はほとんどいなかったのもあり、あまり比較対象がいませんでした。だからこそ、のびのび文章を書けました。

しかし、今年から版権ジャンルの二次創作にチャレンジし始めたのをきっかけに、自分の文章について悩む機会が増えていったのです。

私が書く意味ってなんだろう

私が今いるジャンルが大きなこともあり、ありがたいことに周りを見渡せばたくさんの同志たちの素敵な創作物があふれています。

それ即ち、たくさんの才能が集まっているということ。うっとりと感嘆のため息が漏れるような文章、語彙が豊富で情感あふれる文章、美しいと本能的に感じる文章、素晴らしい才能があちらこちらに転がっていました。

初めのうちはこの燃え盛る衝動を何とか書き出して発散したい……!という思いでがむしゃらに文章を生産していましたが、どうしようもなかった衝動が少し落ち着いてくると、周りを見る余裕が生まれました。そして、思いました。素晴らしい文章があふれかえっている中で私が書く意味って何だろう、と。

文字書きがほとんどいなかったジャンルから、たくさんの文字書きがいるジャンルへと移り、そのぶん努力量の差、経験の差、才能の差をまざまざと味わいました。文章の素晴らしさに打ちのめされたことも、発想の豊かさに舌を巻いたことも、一度や二度ではありません。その度に落ち込みました。自分の書くものに自信が持てなくなりました。

私は私の文章が好きだったはずなのに、同志の書いた素敵な文章を読む度に自分の文章が些末なものに思えました。胸を張って自分の書く文章が好きだと言えなくなりました。

確かに自分の書いた文章は読んでいて心地良いけれど、それだけ。特に魅力も感じられないし、自分が書きたかったものを書いているはずなのに周りを見るとなんだか自分が書いた文章はつまらないものに見えて。そんな日々がしばらく続きました。

私が書きたいものは私にしか書けない

今でも圧倒的な才能を目の前にすると自信を失うし、なんで私はこんなふうに素晴らしい文章を書けないのだろうと落ち込みますが、そのことをうじうじ悩むのではなく、勉強しよう!という気持ちに最近はなっています。

上記のnoteで書いたように、小説の書き方の指南書を読んでみたり、読書をして素晴らしい作品に触れる機会を増やしてみたり、圧倒的な才能に打ちのめされたときはその文章の何がすごいのかを自分なりに考えたりするようになりました。

そして、下手でも、拙くても、結局私が書きたいものは私しか書けないのだから好きなようにこれからも文章を紡いでいこうと少し吹っ切れました。

そして感想をくださったり、フォローしてくださったり、いいねを押してくださったりする皆さんにも心を強く支えられました。私の文章を読んでくださるだけでなく、優しいお心遣いまでいつもありがとうございます。大きな励みになっています。

あとがき

ここまで読んでくださりありがとうございました!まだまだ悩むことは多いし、数字や評価にも振り回されていますが、これからも自分なりに「良い」と思える文章を紡いでいきたいなと思います。
またいつか、文章を通してあなたとお会いできたら嬉しいです。

ここまで目を通してくださりありがとうございます!もし記事を気に入ってくださったら無理のない範囲でサポートしてくださると嬉しいです。