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不思議で奇妙な話

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わたしが体験した奇妙な出来事、わたしが聞いた不思議な世界の話を、おひとついかが。
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1ヶ月後の夜に【不思議で奇妙な話】

わたしは大のおじいちゃん子だった。祖父の葬式では「あんたはおじいちゃん孝行だったけぇね」と遺影を持たされて霊柩車を見送った。 ちょうどその頃、わたしは日々の肉体労働に疲れきって泥のように眠る日々が続いていた。 祖父が亡くなって四十九日も迎えていない、1ヶ月後。(月命日と言いたいところだが四十九日を迎えていないので、1ヶ月後と表現する) オルゴールの音でわたしは目が覚めた。 音は頭を向けている方向から聞こえてきた。 そこには押し入れがあった。片方が開けっ放しの押し入れ

足音【不思議で奇妙な話】

10年以上前に両親とわたしの3人で住んでいた、2階建ての家での話です。 その家の階段は間取りで言うと家の中心にあり、1階台所の勝手口と一直線上に位置していました。 わたしの部屋は2階。階段の真横にありました。真下は両親の寝室でした。 ある日の深夜。 誰かが階段を上ってくる雰囲気を感じて、わたしはうっすらと目が覚めました。「母が様子を見に来たのかな」と思ったのですが、そのまま再び寝入りました。 翌朝。 母がわたしに対して、こう聞いてきたのです。 「あんた、夜にトイレに行っ

座る女性【不思議で奇妙な話】

母の実家には、家族が集まる居間に大きな大黒柱があった。 ある夜、幼い頃の母はその大黒柱の元に座る、黒髪が長く白い和服を着た女性の姿を見た。 女性はただ座って居間を見ているだけで、こちらに何をしてくるというわけでもなかった。 その女性からは感情は読み取れなかったらしい。 別の日の夜、母の兄も大黒柱に白い和服の女性を見た。 やはり女性はじっと座って居間を見ているだけだった。 母の両親、つまりわたしから見ると祖父母は、その両親、わたしから見ると曽祖父母と険悪の仲だった。

うしろにいる【不思議で奇妙な話】

母の実家で約50年前にあった出来事。母は3兄妹の末っ子で、1番上の兄と同じ女性を目撃していた。しかし、真ん中の姉(わたしからみると伯母)は見ていなかった。 しかし、50年後の現在。明るみになった話がある。 * 母の実家は風呂と便所は家の外。風呂は薪で炊くし、便所はぼっとん便所だった。しかも天然のぼっとん、つまり底は川であり、落ちてしまうと救助を求めなければならないほど深い危険な場所だった。おそらく底まで2m以上はあったと思う。 便所の照明は洗面台の白熱電球ひとつ。故に

運命の輪は回る【不思議で奇妙な話】

新卒で就職した会社はブラックで3年勤めて辞めた。 半年の転職活動を経てマッチングした会社に再就職した。 面接に行った時に「ここは初めて来た気がしない」と感じたくらい、自然な流れだった。 そして再就職先で出会った人たち。 上司の下の名前が、前職の上司の名前と漢字も読みも同じだった。 同僚は前職の同僚と誕生日がニアピン。 そして、別部署だけど特殊な仕事のためマンツーマンで技術を教えに来る担当者が、前職の同じようなポジションの人と名字が一緒だった。 1番身近な人たちの

赤く染まった東の空に【不思議で奇妙な話】

ある日の放課後。 わたしは吹奏楽部の部活中で、音楽室のベランダで数人と練習をしていた。 夕日で赤く染まった空、東方向を見ながら楽器を吹いていた。 ふと、目線を小高い丘のある方向へ向けた時、白くて丸い光が空に浮かんでいることに気がついた。 まるで、赤い空に白い穴が開いたかのようだった。 白くて丸い光はじっと動かず、その場にいた。わたしはしばらく それを見つめていた。 一緒にベランダで練習していた友人たちに、何気なく「アレ、なんだろう」と言ってみると、友人たちもその白

ご縁の不思議

先日、毎月通っている病院近辺の行動範囲を広げてみようと思い、今まで歩いたことのない道をぷらぷら散歩してみました。いつも駅から病院まで一直線に往復するだけじゃ味気ないなと思って。 私の散歩は、だいたいこの辺りまで行ってみようかなと適当な目的地を決めて、道順は成り行き直感です。だいたい迷子になります。しかし、素敵な出会いや出来事があったりするのです。こんなところに素敵なお店を見つけた!ってね。 先日もそんな感じで適当に道を歩いていましたら「厳島神社」と書いてある門柱が目に入り

夜の音

フッと目覚めた。体感的には多分、4時くらい。外はまだ暗い。 あぁ、中途覚醒しちゃったなあと思って私は天井を見ていた。 しばらくすると、Windowsの終了音「テレレレン♪」が聞こえた。 私のパソコンにアップデートでも入ったのかな?と思って、パソコンを見るとスリープ状態のままだった。 おかしいなあと思ったけど、そのまま気にせず寝た。 翌朝、パソコンを開いて調べてみた。特にアプデは入っていなかった。 パソコンをシャットダウンした。 終了音はしなかった。 そもそも、

新しい住宅地に居るもの【不思議で奇妙な話】

過疎化が進む、とある山間部の村。 若い人たちに住んでもらい、人を増やしたいと考えた行政は、草むらだった空き地を整地、そこに住宅地が出来た。付近の獣道を広げて、県道に整備した。 新しい県道は夜は街灯に照らされ、建てられた住宅には若い夫婦等が住むようになった。家明かりは眩しく、かつての暗く静かな、誰も寄り付かない草むら一帯は、その気配を失ったかのように思えた。 深夜。 新しい県道をバイクで帰宅中の男がいた。男はこの村に、生まれたときから暮らしていた。今までは細く暗い古い県

3.11前に家族に起きていたこと【不思議で奇妙な話】

3.11を予言していた人や、揺れる前に察知した人がいると聞きます。 わたしの家族はどうだったのか。少しお話ししておこうと思います。 まずはわたし。東京在住。3月9日の時点でカップ麺が4日分手元にありました。普段からそういう生活をしていれば何の疑問もないことです。しかし、わたしにはカップ麺を溜め込む習慣はありませんでした。買い溜めてもせいぜい4つくらいです。わたしは積み重ねられた大量のカップ麺を見て、なぜこんなに買ってしまったのだろうと思っていました。 次はわたしの両親。

腕の傷痕【不思議で奇妙な話】

私の左腕、手首から下に約5cmのところに、傷痕がある。 それは腕と同じ方向、つまり縦方向に長さ7~8cmにわたっている。 イメージで言うと、鬼滅の刃の悲鳴嶼行冥さんの額の傷痕によく似ている(あそこまで大きくはないが。) 物心ついたときには、すでに私の腕にあったそれに対して、ふと疑問に思ったのは高校生になってからだった。 いつ、どこで、このような傷痕がつく怪我をしたのだろうか。 それまでは、「怪我をしたから痕が残っているのだ」と勝手に思い込んでいた。痕があるのが当たり前

彼が2日間、学校に来なかった理由【不思議で奇妙な話】

放課後、部室には部員以外でも、部員の友人であれば好きなように出入りできた。 集まって、それぞれが好きなことをしていた。 音楽を聴いたり、お菓子を食べたり、ゲームをしたり、マンガを読んだり、寝たり。もちろん、部活らしいこともしていたが、ゆるい雰囲気だった。 たむろするメンバーの中に、Y君という男子がいた。 Y君は部員ではなかったから、特に何をするわけでもなく、椅子に座って雑談をして、放課後の時間を潰していた。 Y君は、成績がすこぶる良かった。 いつも学年の上位にいる、勉

勉強しなさいとは言われなかったが【不思議で奇妙な話】

わたしはこのかた両親から「勉強しなさい」と言われたことがない。 我が家の教育方針は、わたしが小学生に上がった頃から放任主義になった。 両親は「早く家を出て行ってくれ」「子どもたちに遺産は一切残さないからな」と言い続けていた。 つまりは”自分の力で生きていけ”ということで、そのためには勉強しておくのがいいんだろうな、くらいには考えていたと思う。 高校生のある日。 宿題をしたくない気分だったので、リビングで「宿題したくないなぁ」と声に出して言ってみた。 父は「しなきゃいいじ

浮かび上がる模様【不思議で奇妙な話】

手紙を書くのが好きです。 文房具が好きで、かわいい便箋や一筆箋を集めるのも好き。 便箋や一筆箋に引いてある「罫線」 罫線は、書くにも読むにも便利ですね。 罫線には様々な種類があります。 その中の1つに、わたしは悩まされています。 この現象に気がついたのは小学生のころ。 ある罫線がデザインされた便箋をはじめて見たときです。 罫線の中では「かわいい」に分類される線だと思います。それが、これ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・