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エッセイ、日記

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200文字程度のくだらない つぶやきから、2000文字程度の思考まで、いろいろ書いています。
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#ふるさとの風景 優秀作品に選出していただきました。ありがとうございます!

こんにちは。パジャマで暮らしたいです。 この度、日本経済新聞×noteお題企画「#ふるさとの風景」でわたしの記事を選んでいただきました。本当にありがとうございました。 わぁ、本当に日経新聞に名前が載っているよ…わ、わぁ…(コンビニで朝刊を買って、自分の目で確かめて、言葉にならない感情) 選出のおしらせをいただき、めちゃくちゃ驚きました。き、恐縮です。 選出された他の方の作品も読ませていただきました。体の奥の方から温かさ、切なさがジワ~っと体中に広がっていく感じがしました

頭上注意

ヘビが頭の上に落ちてきたことがあります(その記事▼) パジャマで暮らしたいです。 今年の初詣に行った神社。 たくさんの人たちが行き交う参道。 お参りも済んで、今年は良い年になればいいなと思いながら家族と並んで歩いていると。 ピチョッと、何か冷たいものが、私の被っていたお気に入りの毛糸の帽子の上に落ちてきました。 私は「木から水が落ちてきたかな?」と思って、その箇所を手で触ってみました。でも、特に何も手に付かなかったので、気のせいか。と、そのままにしていました。 乗っ

オープン就労したよ

半年以上前に、オープン就労かクローズ就労か悩んでいる、と記事を書いたような気がします。 なんだかんだでオープン就労に決めて。約4ヶ月は全集中の就活して。このたび就職いたしました。ブランクが何年だ? 久々の労働です。多くの方々のお力添えで、素敵なご縁をいただくことができました。感謝です。 前職を退職した頃、組織人向いてないわと思って在宅ワークの可能性を探りながら文章書いてたパジャマで暮らしたい人間が、紆余曲折あって結局会社に行ってるんだから、人生っておもしろいですよね。

あの犬に見た幸運の意味をわたしはまだ知らない。

「私の前世は犬だったのよ」そう言ってはばからない女性がいた。その女性は”もちろん”犬を飼っていた。毛は真っ白で体は少し大きくて、飼い主の女性の運転する車の後ろをリードなしで走って追いかけていた。わたしはその光景をよく覚えている。「犬って賢いなあ」そう思ったのは、わたしが小学生の頃のことである。 そんな、前世は犬(自称)の女性が、ある日 野良犬を拾った。家に連れて帰ったら白い先住犬が盛大にヤキモチを焼き、多頭飼いは無理だと悟ったんだそうな。そこで、知り合いの中で野良犬を引き取

いつか帰るところ|山里

わたしには、ふるさとと呼びたい場所が2か所ある。ひとつは瀬戸内。もうひとつは中国山地だ。今回は中国山地のほうを書こうと思う。 父方の祖父母の家は広島県と島根県の県境にある。中国山地のど真ん中、谷にある小さな集落。若者が少なく高齢者が多いTHE・田舎だ。そこには、ご先祖様が眠る墓地があり、田畑があり、本家がそこを守っている。 わたしは物心ついたころから祖父母の家によく行っていた。ドライブが好きだった祖父は、わたしを車に乗せて田舎へ帰った。わたしはかなりのおじいちゃん子だった

無意識レベルで望んでいる

会社に行く時間だ。 カバンを持って家を出た。 アパートの敷地から出るところで、違和感を感じた。 ん? 足がスースーするな。 なんでだ? 目線を落とす。 パジャマやんけ! 下がパジャマやんけ! 上は着替えたのに、下だけゆるっゆるのパジャマやんけ! もう、ほんとに、本気で、パジャマで暮らすしかない。 (実話です。しかも今回が初めてじゃありません...)

どこへ行っても怖くない|瀬戸内

わたしには、ふるさとと呼びたい場所が2か所ある。ひとつは瀬戸内。もうひとつは中国山地だ。前回は中国山地のほうを書いたので(下記リンク)今回は瀬戸内のほうを書こうと思う。 山里で暮らした人は海に憧れるのか、両親は高台にある集合住宅地にオーシャンビューの家を建てた。 出身はどこ?と聞かれたら「ここです」とわたしは答える。 そこで1歳~14歳まで暮らした。地域人口は少なめで、わたしの学年は2クラスだった。幼稚園から知っているメンバーで、全員のことを知っていた。家の場所、家族構成、

死ぬまで付き合わなければならない歯の問題

虫歯に悩まされている。子どものころからずっと虫歯に悩まされている。 「虫歯と友だちです」ってポジティブに言えたら、どれだけ楽か。 今も、1本治療中である。この歯の問題は、神経の近くまで虫歯が浸食していたことだ。最近の歯医者は歯の神経はできるだけ残す方針だと言う。だから、治療がとにかく痛い。虫歯自体も痛いけど、神経スレスレまで削る治療がまぁ痛い。麻酔で神経に響かないようにしてからガリガリ削るわけだけど、麻酔がきれてくると数日ジンジン痛む。神経が敏感になっているからだ。 この

退職の不安を吹っ飛ばしてくれた父のメール

わたしは仕事環境要因の精神的ストレスで体調を崩して、休職したことがある。実は休職という選択肢は最初は毛頭なく、本当は潔く退職するつもりだった。もうこんな会社辞めてやる!と頭に血が上っていた。 そんな状態のときに父へメールで「退職するよ」と報告した。 父は教職である。基本厳しい。筋の通らない話が大嫌いな性格だ。 どんな反応が返ってくるだろうか。どきどきしていた。 すると、こんなメールが返ってきた。 「わかりました。きれいサッパリ辞めて帰ってきなさい。待ってるよ。」 あっ

どんな言葉が返ってくるだろう

退職願を提出した。10年勤めた会社を退職するまでのカウントダウンが始まった。 この半年、人事と話し合いを重ねてきた。 わたしは正社員という安定した地位を失いたくないとずっと思っていた。 いくら体調が悪くても、出社する意思があることを伝え続けていた。 「働くこと」自体は好きなのだ。 いや、働く自分が好き、というのが正しい。 休職期間は満了していた。 だから有休を消化しながらマイペースに働かせてもらっていた。 会社にはすごく配慮してもらっていた。 具合が悪くて2週間休ん

2020年の初夢

1月2日木曜日。 朝。 自然に目が覚めた。 夢の内容は覚えていない。 ただ 寂しい。 感情のみが、 じんわりと わたしを包んでいる。 寂しい 寂しい 潜在意識では そう思っているみたいだ。 そうか。 今わたしは寂しいのか… 寂しいんだね。 わかったよ。 わかった。 * 普段、寂しいと自覚することがないだけに、少し驚いた。 もっと心の声に耳を傾けようと思った。 自分の気持ちに鈍感になっているなぁ。 我慢しなくていいんだよって自分に言わ

伝わる文章って、どんなの?①

中1の頃だったと思う。 国語で「川柳を書く」という宿題が出た。 わたしは国語が苦手科目だった。 全然乗り気ではなかったが、一句だけ作った。 日曜日 朝からうるさい 町内放送 これが、わたしの作った川柳だ。 本当に起こった出来事とその時の自分の気持ちを、なんのひねりもなく書いただけだった。 苦手科目なだけに「こんなもんでいいか」って感じで提出した。 先生にめっちゃ褒められた。 先生は「センスあるね!あなたがこんな風に思う人だったなんて意外だった。」と言った。 わたしは軽

わたしの妹

わたしが5歳のとき、妹が産まれた。 新生児室の前でドキドキしていた。 年子で弟もいるのだが「お姉ちゃんになった」という自覚がしっかりと芽生えたのは、妹が産まれたときだった。 妹の名前の候補は3つあった。 両親が話をしているところを割って入って、わたしは「この名前がいい!」と言った。 誰が何と言おうと、わたしにはいっさい譲る気はなかった。 絶対にこの名前なのだ。 この名前しかない。 * わたしの通う幼稚園、同級生に、可愛い女の子がいた。 長い黒髪、白い肌、大きな黒い瞳、

朝 起きると 手が

アレルギー体質のパジャマで暮らしたいです。 今日も今日とて鼻がかゆい目がかゆいです。 あの、朝、起きるとですね。 手が真っ赤なときがあるんですよ。 ひどいときは枕も真っ赤になってたりするんですよ。 鼻血で。鼻かゆいんですよね。寝てても鼻をほじくり倒してるんですね。 鼻血が出るほど。 やばいなーと思って、こりゃたまらんなぁって感じで。 対策してみたんです。 ①手袋をする 結果、手袋が真っ赤。失敗。 ②マスクをする 結果、マスクどっかへ行く、手が真っ赤。失