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⭐️心の学び:考えることを楽しむ

最近はとにかく「早く」「速く」「はやく」と忙しい。何かの問題があればはやく答えを探し出して解決することが求められる。それはそれで正しいのかもしれないが、間違いもたくさんあるに違いない。

ぼくは常に考えることが大切だと思っている。
頭が良いとか賢いとかを目指すためではない。思考力を鍛えておきたいのだ。

老いていくことは出来ていたことが出来なくなることであり、他人に迷惑や負担をかけることでもある。
思考力を鍛えることはそれを若干ではあっても回避することができるのではないかと考えているからだ。

余談だが、哲学を語る人は、過去の著作物を読んで記憶したり答えを見つけることを哲学と呼ぶようだ。考えるという本来の姿とは違うものになっている。全く面白くなくなった。巷で言う哲学とぼくの「考える」というのは別物だ。

ぼくはそういった流れから逃れていった。考えることは答えを与えられることではない。他人の意見を自分の意見のように言うことでもない。

また、考えるとは、正しさを求めるような学校の授業とは違うものだ。どう考えるかが問われている。そして、満足が終着駅だ。

「考え過ぎてしんどいわ」という言い方があるとしよう。
「考えること」=「しんどいこと」これは本当だろうか。

考えることと思うことを混同していないだろうか。

考えることは不満から始まって満足で終わるものだとすると、しんどいとはどういうことなのか。

しんどさを変更することは出来ないのか。

などとたくさん考えることができる。

「めんどくさー」と思ったかもしれないが、それは考えたのではない。

考えることは不満から満足に向かっていくのである。この答えを与えられたからといって満足することはないのだ。満足は考えた末に生じる心の状態だからだ。

考えるということは人間に与えられた能力であり、だからこそ、それを使うと楽しいと思えるのではないだろうか。
もう一つ良いことがある。
考えていると他人と喧嘩することがない。
考えない相手だと喧嘩にもならないし、考えている相手だと喧嘩をする理由が全くない。


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