⭐️心の学び:人間が好きか嫌いかで決まる
仕事や環境、人間関係、これまでの体験が現在の自分を作り上げている。世界観といってもいい。
それぞれの世界観は間違いではないが、人間の一面を表しているに過ぎないことも認めなくてはならない。
私たちの神経系は内部、外部の環境を把握して最も生きやすいように制御しようとしている。
よく見ないとわからないような小さな棘が皮膚を貫いただけでも痛みとして認識する。それを放置することも許さない。
それからわかるように、心身が感じる違和感は神経系のなせる業であり、ほとんどの場合間違いはないだろう。
ぼくは心については、人間のことが好きか嫌いかによって神経系の働きに影響し反応が変化すると考えている。
好きな人の行動には寛容になるが、嫌いな人の行動に対しては不寛容になるといった経験で理解できると思う。
ぼくは仕事柄、人間のことが好きである。
間違いを犯しやすく思い込みも強い。たまたまうまく生きることができて、たまたまうまく生きることが難しくなるのが人間であり、それを改善することも出来るのが人間だという印象を持つ。
常に他人と比較しながら優劣を気にするのが人間であり、自分は間違っていないと思い込むのが人間の性のように感じる。
しかし、それらは本能的な心の使い方であり自動的でもある。
それらを乗り越えるのは心の力であり、その力がほとんど使われることがないのが人間なのだ。
うまく生きているのにそうではないと言うのは心の力を使わず本能の力に依存するからだ。
そんなことがわかってくると嫌いだった人間のことが好きになった。
人間が嫌いと言う人も多いが、利己的な遺伝子の意図に従ってしまうとそう思えなくもない。他人のその意図に従うことを拒否するからだ。
しかし、それも制御できるものだ。
最も困難で制御不可能なのは病的な状態である。
ぼくはそんな人間は嫌いだ。だからこそ病気に陥らないようにするにはどうすればいいかを考えるのだ。
良い人間ならみんなが好きになるのではないだろうか。
心の力は、良い人間に成るためにあるようにさえ思えるのだ。