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⭐️心の学び:心を学ぶことについて

ぼくは心について学ぶことが好きだ。
小学生の頃から「葛藤って何?」「不可抗力って何?」と言って教師に質問しまくっていたことを覚えている。

その答えを知ることによって心が落ち着き、どう使うかを学ぶことで心を理解していけたように思う。

ヤクザのおじちゃんにからまれて「ジムショ来い!」とすごまれても「それ以外のセリフはないんか?」と質問できたのも心について学んだからだと思う。
どう答えるかの好奇心があってこそだ。

生きていく上で知識を自然発生的に知ることはない。

何らかの刺激を受けて反応してそれを学習することで生きる知恵とするものだ。その不足は苦悩や煩悶となる。

ぼくはこうやってnoteに毎日投稿しているのは、何かのきっかけでぼくの記事を目にして、心について興味をもってもらえればと思っている。

だからといって大それたことを考えているわけではない。ビジネスにつなげようとする意図もない。

しかし、心について深く学んだ人が読めば、おそらく効果的で、ビジネスへの応用が即可能だとすぐに気づくだろう。でも無料だ。

「どう考えるか」といった課題は常に求めなければならないものだと思っている。

心の制御は、ノウハウや助言や説教では効果はない。残念ながら哲学も役立たずである。

そんなことが通用しないことはその専門の人ならわかっているはずだ。

人間は言葉を使うことを特徴としている。そのことは良くも悪くも心をとらえるものだ。

ぼくが記事にするのは、多くの人が迷うことを課題にしている。
それに対してあなたなら「どう考えるか」と問うているわけだ。

「人それぞれ」は答えではない。
そう答えたがる心理傾向は説明できるがそれはしない。

課題となるものは不満があるからだ。思考は不満から満足で終わるものであり、答えに満足するなら迷いや苦悩も消えていくだろう。

心の制御は何かを記憶することではなく能動的な意志が必要である。それについて学ぶ機会はほとんどないといってもいい。

心理学用語や哲学用語を振りかざしても何の役にも立たないというのはそのことだ。

「で、それをどんな時にどう使えばいいの?」という質問に答えられないからだ。

また何かの機会にぼくの記事に出会ったらいろいろ考えてほしい^_^                             おわり


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