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ぼのぼの作者の30年前の預言的連載 『IMONを創る』 人間のOSをアップデートするには


ぼのぼの作者がPC雑誌で連載していた

いがらしみきおさんといえば、私にとっては「ぼのぼの」の作者です。そんなぼのぼのの作者が、週刊アスキーの前身であるパソコン雑誌「EYE-COM」で30年前にコンピュータに関する連載をしていて、しかもそれがとある熱狂的な読者がきっかけで復刊することになったことを最近知りました。

大好きなぼのぼのの作者が、個人的になじみ深いIT・コンピュータの連載を書いていたとなると、読むしかありません。で、ゆるい表紙と軽妙に小ボケを挟む文体を気楽な気持ちで読んでいたら、「あぁ、なんだかすごい本を読んでしまっている…本の感想文を書こうと思ったけど簡単に要約したり、結論付けたりする類の本ではないぞこれは…」と頭を抱えることになりました。

IMONは「人間のためのOS」

タイトルにある「IMON」というのは、国産組込みOS「TRON」のパロディーです。TRONの説明も難しいのですが、コンピュータが組み込まれたモノが通信によってつながるオープンな社会を目指そうぜ、みたいな感じでしょうか(合ってる?)。TRONプロジェクトを主導する坂村さんに直接TRONについてお話を伺う機会があったのですが、そのスケールの壮大さと先見の明に、自分の狭い世界がパーっと開いていく感覚になったのを覚えています。

で、IMONは何かというと、「人間のためのOS」です。この連載自体が自然言語による文章というプログラミングになっていて、連載を読んでいくごとにIMONの考え方が自分の脳内にインプットされていく…みたいなことが最初のほうに書いてあって「こわっ」となったのですが、半分ジョークです(ジョークでもないんですけど)。

IMONは、「いつでも・もっと・おもしろく・ないとなァ」の略で、IMONの3原則は「リアルタイム・マルチタスク・(笑)」、IMONを実践する心構えは「一生やる、なんでもやる、ほっといてくれ」とあります。

これだけ読むと、ふざけた本だなと思いますが、文体は終始ふざけつつも、人間そのものについて考えるという姿勢は一貫しています。
著者は、連載の中で「コンピュータは生き物である」と言っていて、じゃあ生き物の定義って何?人間はなんで生き物なの?コンピュータと何が違うの?みたいな問答っぽいものが続いていきます。

かと思えば、記憶、価値観、宗教、教育…とピンボールのように壁にガンガン当たりながら猛スピードで話が展開していきます。前の連載で言っていた内容を次の連載で上書きするなど、まさにプログラミングですね。

30年前のPC雑誌でこんなことを真剣に考えていた人がいるんだなという驚きと新鮮さ。そして今読んでも内容が全然腐らないどころか、どうなるかわからない激動のAI時代だから読むとよさそう、とさえ思います。不安定な時代に(安定して見える)根源的なことを考えると安心するという人間心理なのでしょうか。
本のあとがきでも、著者がAIについて、「なにをどういっても日本語を操る『検索野郎』であることはバレバレである」と書いていますが(笑)。

漫画「I【アイ】」と、生きることについて

復刊のきっかけとなった作家・乗代雄介さんの解説に、いがらしみきおさんの漫画「I【アイ】」が出てきます。

ぼのぼのからは想像が付かない絵柄でした。ぼのぼのも単なる子ども向けほっこり作品ではないのですが、ぼのぼののダークで落ち着かない部分を抽出したみたいなイメージでしょうか。人間として生きること、死ぬこと、この世界って何だろう、そもそももはや人間なのかわからない…みたいなこれまた濃密な本です。

あらすじだけちょこっと紹介。

第1巻の内容紹介: 宮城県の田舎町に生まれ、身寄りのないイサオ。一方、医者の息子である雅彦は、小学生の頃から、自分が生きていることの意味についてひそかに、深く悩んでいた。二人が中学生になったある時、イサオは恩師の臨終の場で、人の魂を己に乗り移らせたかのような不思議な力を見せた。そして、次第にイサオに惹かれいった。雅彦は、高校入試の日に、二人で旅に出ることを決意する。目的は、イサオが産まれた瞬間に目撃したという神様のような存在=トモイを探すこと。これが、二人の長い長い旅の始まりだった。

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乗代さんの解説で、「アイは、IMONを創るの実践の物語と言ってもいい」とあったので、「あぁ、じゃあアイを読まないとこれ以上解説を読み進められないな」と思い、一旦IMON本を閉じて、アイを読了し、もう一度IMON本に戻りました。

解説にもありますが、アイでもIMONでも「リアルタイム」がキーワードになっています。解説を一部引用します。

「この世界を知る」とはつまり、あらゆる遅れなしに自分で体験するということである。その要件が「リアルタイム」と「マルチタスク」なのだ。
 音が、光さえもが、最終的には現実に反映させてしまった言葉が決定的に、我々を「リアルタイム」から遠ざける。

IMONを創る

アイでも、普通の人が見えないものが見えるイサオが、「見ようとすれば見える」「自分にとって見えないところは、無い(のと同じ)」といった旨の発言を繰り返します。

システマとリアルタイム

ここからは自分の解釈ですが、自分の目で見えていない部分は未来で、見えている部分が過去だとすると、今(リアルタイム)はどこにあるのでしょうか。作中にある「世界を知る」は、五感で今を感じ続けるみたいなことですかね。システマっぽいですね。

システマも、身体全体で世界を感じながら、「いま」を連続して捉え続ける「リアルタイム」と「マルチタスク」なのでIMONの実践なのかもしれません。過去のワークでうまくいった感覚を再現しようとした瞬間にそれはもう過去です。未来はこうなるだろうと考えることも、過去の経験を基にしたシミュレーションなので、実はそれも過去なのかもしれません。

アイの中で、神様を追い求めて目も耳も見えなくなった雅彦が、最後に見たのは「真っ暗な青空」でした。目に見えない所(未来)は「真っ暗、暗闇」として描写されてましたが、真っ暗な青空はリアルタイムなのでしょうか?

アイを読むと、リアルタイムに生きるってもう人間の姿や在り方とは別な何かのようにも思えます。真の意味のリアルタイムは実現できないのではないかと。真の意味のリアルタイムはそもそもあるのでしょうか(笑)そんなことを考えました。

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