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地方国公立大進学~少々脱線

息子がGWに母の希望により、帰省してくれました!
当日は、どちらが夕ご飯を作り、どちらが迎えに行くか・・みたいな話をして浮かれまくりの夫婦でした。
あっという間の2.5日でしたが、久々に元気な姿も見ることができ、
涙はこぼさずに見送ることができました。

目標や志望校が明確ではない大学受験から、最後に息子が通した「国公立に浪人せずに進学する」という希望。その結果、この春から家を出て一人暮らしをすることになりました。

実は、我が家は夫が2022年1月~5月GW明けまで休職していました。
仕事でメンタルをやられたことにより、夫は心療内科にかかり、休職することになりました。息子が高2、娘が中2の時でした。

息子は今までいろいろ書いていた通り、高校生になってから学校行きたくない、遠い(と言っても田舎の中ではまだましで自転車で30分かからない程度)、天候が荒れれば「学校潰れないかな~」と言い、行事の翌日、校外学習などの翌日、時には授業も休みながらなんとか3年間を過ごしました。
中学の頃は片手で収まるくらいの休みしかなかったのに。

同じクラスで時期は別ですが、退学した子が2名、不登校の子が1名(退学せずになんとかなった)がいて、「学校辞めたいわ・・」と冗談とも本気ともとれるような表情でボソっとつぶやくときも数知れず。親ならこれが冗談なのか本気なのか、多分うっすらとはわかると思うのです。ですから、このセリフが出るたび、背筋が凍る思いでした。どうか、高校は卒業できますように・・と祈るような日々でした。

そんな状態でしたので、娘にも夫にも気を向ける余裕はなく、まさか夫がここまで仕事でしんどい思いをしているとは気づきませんでした。
私が正社員で働いていることもあり、「嫌なことがあればいつでもやめていいよ」ということは常日頃言っていました。
息子のことで日々がしんどすぎて、夫のことはできれば重症でないことを願うしかありませんでした

そんなある日夫が「俺、明日から仕事休む。病院で診断書ももらってきた」

そうなんだ・・そんなにしんどかったのに、何も気づいてあげられず、本当にごめんねという思いと、うすうすは気づいていたのに、見て見ぬふりしていたことを心から申し訳なく思いました。
いろんな不安はありましたが、子供が大学に進学するほかにも、いつか夫が無職になる日がくるかもしれないという予感はありました。
そのために家も、習い事も、大きな車も諦めて今までずっと働いてきたんだから、今がその時なんだと夫の休職をしっかり支えていこうと決意しました。

今まで夫は子供らが小さい頃からずっと帰りが遅く、仕事が休みの日しか一緒に晩御飯を食べることができませんでした。
また、土曜日も仕事でしたので学校行事にも一度も出席したことはありません。息子のスポーツ系の習い事、部活、塾もすべて私が一人で対応していたので、疲れでいつもボロボロでした。
娘も義母に任せてほったらかしでした。

そんな状況で急にできた家族の時間。
娘中2、息子高2にして初めて家族そろって晩御飯を食べる平日が訪れました。塾の送迎も夫が送りを担当、私が迎えを担当することになり、疲労も軽減しました。お弁当作り以外の家事は夫が専業主夫として一手に引き受けてくれました。
稼ぐ金額はさておき、「仕事だけするってこんなに気持ちが楽なんだ!」と嬉しくなりました。帰宅したらごはんが出来上がっていて、何も献立のことを考えなくていい!みんなで囲む食卓も、本当に幸せでした。

4か月が過ぎ、夫はメンタルも回復傾向にあったので、会社と面談して復帰しました。役職は外れ、望んでいた技術職中心の職場に配置転換になったので、退職することは保留になりました。

あれから2年が過ぎ、夫は多分元気に働いています。
残業もしなくなり、家族でずっと晩御飯を食べることができています。
家事の分担、送迎の分担もしてくれているので、私も楽になりました。

息子が大学進学で家を出るとは思っていなかったので、この2年の間、
家族で食卓を囲み、夫も息子と娘の塾の送迎に加われたことで大切な時間を過ごせました。
本当はもっと子供たちが小さな頃から一緒に晩御飯を食べることができたら、親だけに向けてくれる愛情を感じられる間にもっとたくさんの時間が過ごせたらよかったのになと思わずにいられません。

これから子育てする若い世代の方たちには、長いようで短い子どもとの時間を大切にしてほしい。
夫婦が働きながら、存分にこの時間を過ごせるよう、微力ながら私も今後は協力していきたいです。

夫は子どもとの関わりは少なかったですが、とても愛情を持って接していたので、二人とも夫のことは大好きみたいです。

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