見出し画像

父を台湾に連れていった記録。


2023年8月、父を3泊4日台湾に連れて行った。63歳(たぶん)にして初めての海外。幸い天気に恵まれ大きなトラブルなく無事帰国ができほっとしている。親子で海外旅行なんて世にありふれた出来事だけれども、私にとっては大きな4日間だったので、記録として残しておきたい。

│ きっかけ

台湾旅行のきっかけは、父がパスポートを取ったことだった。
実は今年の春、妹が「生きているのに疲れた。みんな(家族)とはもう二度と会うことはない」と遺書を残し失踪した。さまざまな痕跡を辿った結果、ヨーロッパを放浪していることがわかり、彼女を連れ戻すために父はパスポートを取得した。結果として父が現地にいくことはなかったが、改めて私たち家族とはなんなのかを突きつけられた出来事だった。(ちなみに妹は無事帰国し実家に身を寄せている)

話は変わり、なにを隠そう私は完全にお父さんっ子である。子供を3人育てるのは容易ではない。自分が働くようになって余計に父の偉大さが身に染みている。
父が文字通り自分を削って私たちに不自由ない暮らしをさせてくれているのだとなんとなく感じていた。それは、何年も変わらない衣服や持ち物、年齢の割に脂肪の少ない体つき、たまたま知った住所のアパートの家賃、投資信託の案内ハガキ、些細なディテールに現れていた。
すくすくとアラサーに育った今でも変わらず、初任給でご飯をご馳走するつもりが知らない間に会計されてしまったり、毎度家まで車で送ってくれたり、定期的に食べきれない果物を送ってきたり、プレゼントした良い鞄はつかってもらえなかったり(気に入らなかったのかな😭)なんだかいつも結局なかなか親孝行らしいことはさせてもらえず、心のどこかで寂しいようなもどかしいような思いをしていた。

そんな折の父のパスポート取得。「せっかくだからどこか海外行ってみようよ」とダメもとで連絡してみたら意外と乗ってきた。
それは、日本を出たことがなく、趣味らしい趣味もない父にまだ体が動くうちに異国の地を体験して、なにか新しい世界への興味を持ってくれたらと思ったのがひとつ。(余談だが父の趣味のなさは本当に心配で、今は嘱託として仕事を続けているから良いもののこれがなくなったら一気に老け込んでしまうのではと心配している。)
そしてもうひとつは、立派に育った私が現地で大活躍する(?)姿を見せて、ここまでたくさん応援してもらった結果、こんなに立派に育ったよと伝えたかったから。そして願わくば、これからは安心してもう少し自分の人生を生きてほしいと。

色々要望聞いた結果、私が行き慣れていて言葉も通じる、日本人のハードルも比較的少ない台湾にいくことにした。

│ 事前準備

実はこれまでひとり旅ばかりで人と旅行をした経験があまりなく、事前準備で言えばかなりぽんこつだった。
飛行機とホテルと旅のスケジュール、一応すべてひととおり自分で手配したが、父に対しては「もちものはパスポートとクレジットカードと現金3万円だけあれば大丈夫★」と初海外の相手にしてはかなり乱暴なインプットしかしていなかった。

渡航1週間前になってさすがにこれはオリエンテーションが足りなすぎると焦って、父を食事に誘いつつ簡単な旅程の説明をし、持ち物と旅程をまとめた「旅のしおり」を作ったのであった。
そして「故宮博物館」「中正記念堂」「台湾総統府」の3ヶ所は行きたいようだというのもこのタイミングで初めて知ることとなる。中正記念堂は特段なにもないしええやろ・・・と行程から外していた。危ないところだった。。。

旅のしおり

│ いざ出発

結論、楽しかった。父も心なしかいつもよりテンション高かったように思うし、海外初心者の視点を久しぶりに思い出して、「あ、確かにそれびっくりするよね〜」と逆に新鮮な気持ちにもなった。

▼よかったこと
・海外初心者の新鮮な目線に初心を思い出した
・中国語をバシバシに使いこなして旅行を無事に終えられた
・父と4日間海外で楽しめたことそれ自体
・父に台湾という土地の奥深さを体感してもらえたこと

▼改善できたかな〜ということ
・旅程つらくなかっただろうか・・・
・ホテル近くのレストランをもう少しリサーチしておけばよかった
・休館日ちゃんと調べておけばよかった
・もう少しちゃんと写真撮ればよかった

海外初心者の新鮮な目線に初心を思い出した

トイレに紙が流せないこと、入国審査のドキドキ、コンビニの茶葉蛋の匂い、道ゆく人が日本人か当てるゲーム、お土産に書かれた日本語、電車や新幹線が日本製か否か、ホテルで荷物預けられるのか、夜市のカオスとエネルギー、台湾の人が話す言語は中国語なのか台湾語とはなんなのか・・・書き出したらキリがないが、年に数回は海外に行く私にとってはもはや当たり前になってしまった「日本との文化や習慣の違いの体験」を父はシンプルに驚き、楽しんでいるようだった。たしかにそれ気になるよね、面白いよね、という初心を私も思い出させてもらった。

レトロかわいい台南の電車

中国語をバシバシに使いこなして旅行を無事に終えられた

滞在中のローカルとのコミュニケーションは99%私が担当し99%が中国語だった。父に頼まれて通訳することもあったが、基本的に困ることはなく全て通訳できたと思う。量り売りのお店で値段聞いたり、帰りの飛行機のチェックインで座席のアサインについてグランドスタッフと相談したりちょっぴり複雑なことも基本スムーズにやり遂げられた。

誰かと、特に父のような海外初心者と旅行をすると、自分とは違う行動パターンに出会うことがある。ひとりだったら避けるようなお店に突撃して行ったり、スマホで調べて解決してしまうことも人に尋ねたり、父の要望を叶えるために店員さんに相談や質問したり。これらをこなせたのはちょっとした自信にもなったし、父にも頼もしい姿を見せられたのではないだろうか。

初日の朝に父が突撃して行った朝ご飯屋さん。きっと文字だけの中国語メニューではよくわからなくて、とにかく目の前にならんでいる実物の料理から選びたかったのだと思う。笑

父と4日間海外を楽しめたことそれ自体

コツは、部屋を分けたことだったと思う。親子とはいえ実家を出て10年近く経つので、お互い自立した成人として一定の距離感をたもっている。異国の地で、観光でへとへとなところ4日間もずっと一緒ではお互いしんどいと思い、別で部屋を予約した。体力の回復や夜のだらだらYouTubeタイム、朝起きる時間など生理的な部分をマイペースに時間取れたのがきっとよかった。
それから父の体力を考慮して移動は基本的タクシーを使った。またできるだけ半日は室内で過ごす、など炎天下で過ごす時間を考慮した旅程を組んだ。それでも外が多かったが・・・

初めは「こうなったらどうするの」と先回りして不安になってる様子だったが、2日目以降は少しずつ「〜したい」と言ってくれることが増えて、些細なことだったけれどそれが嬉しかった。普段そういわれることは皆無だからだ。写真撮りたい、ここ行ってみたい、これ食べたい。なんか頼られているような気がして、できるだけ叶えるようにした。ひとつだけ無理難題があり、かなえることができなかったが、それについては後述する。

旅行中はおそらく父の我慢強さに知らずに助けられてた部分もあったはずだが、私にとっては行き慣れた台湾という地、日本人も馴染みやすい場所、毎日快晴の恵まれた天気、などなどいろんな要件が重なりたのしい4日間であった。

父に台湾という土地の奥深さを体感してもらえたこと

父は日本史教師なので、日本統治時代の台湾にもともと興味を持っていた。ただ、日本統治時代の観光地といっても数は多くなく、建物を外から眺めるだけ、というのも少なくない。そこで私の裏テーマとして、「台湾の多元性を体感してもらう」というものを掲げた。
台南にあるオランダが建て鄭成功が改築した「安平古堡」や「赤嵌樓」から始まり、清朝に栄えた「迪化街」や「龍山寺」、日本統治時代の「台湾総統府」や「台湾人日本兵の墓(台南にある)」、そして「中正紀念堂」と「228記念館」。図らずも総統府で百家族や台湾原住民についての展示を見ることができ、「台湾人」というアイデンティティや、「外省人」「内省人」という二元論では説明しきれない台湾の多元性を感じてもらうこともできた。

街歩きの最中も折に触れて台湾や台北のまちがどのように発展してきたかを説明したりして(台北市の発展は大学の卒論テーマなので実はちょっとだけ詳しいのです・・・)今見ているもの、今いる場所が歴史的にどんな文脈上にあるのかを説明した。帰国後父が改めて台湾の現代史を調べていると連絡が来てとても嬉しかった。

十数回目の訪台にして初めて行った総統府の展示。ガイドさんの日本統治時代の説明を、ちびっこたちはどんな思いで聞いていたのだろうか。


旅程つらくなかっただろうか・・・

以降は旅を終えての反省である。還暦を超えた父と真夏の台湾の旅行なので、工程は少なめにしたが、それでもつらくなかったか心配だった。なんだかんだ毎日1.3万歩ほど歩いたし。ただ父のことだからつらいとは言ってくれないし、様子を見ている限りは大丈夫そうだった…かな?ただかなり暑そうですぐ冷房のあるところに行きたがっていたけれど。笑

涼を求めて行った台南のマングローブ遊覧船。実際はバチバチの炎天下でそれほど涼しくなかった・・・

ホテル近くのレストランをもう少しリサーチしておけばよかった

食を楽しみたいとのリクエストだったので、レストランは事前に下調べして行ったし、Twitterでも情報を募った(情報いただいた皆様ありがとうございました)。ただ想定外だったのが昼間の観光で疲れ果て、タクシー乗って美味しいもの食べに行くぞ!とならなかったことである。一晩夜市行ったのを除けば、全てホテル徒歩圏内で済ませてしまった。もうすこし事前にホテル周辺のレストランを調べておいて、選択肢提示して上げられればよかった。

前述した「唯一叶えてあげられなかったリクエスト」がこのことで、①ホテル徒歩圏内で②冷たいさっぱりとしたごはんで③ビールと④冷房があるところ、と言われてしまい、どうにもできなかった。かろうじて熱炒が浮かぶもホテル周辺にはなく、そもそも中華圏は冷たいご飯を食べる習慣がないことを説明してなぜかその辺にあったシンガポール料理となった。しかもそこで注文したラクサが要望と正反対の熱いスープだったにもかかわらず、いざ食べたら美味しかったらしく、なんだよ😂😂😂と拍子抜けしてしまった。

台北の昭和街(日治時代の日本人住宅街)にある「青田六七」の定食ランチ。綺麗に保存された日本家屋でいただく正統派日本料理。心なしか台湾アレンジが効いていて最高。おすすめです。

休館日ちゃんと調べておけばよかった

初歩的ながら父が必ず行きたいといっていた「故宮博物館」がなんと行ったら休館日だった。旅程的にも翌日行くことは叶わず・・・角煮と白菜見せたかった・・・。父が行きたいと言っていた場所なのに、あまりに初歩的なミスで自分を恨んだ。片道1時間かけて博物館まで行き、何もせずに現地に戻るというつらすぎる時間だった・・・。その代わりゆっくりお土産を買う時間が取れたのは結果オーライだったのだが・・・。他にも行く予定だった「288記念館」が改修中で入れなかったりと想定外がいくつかあった。
その代わりに歴史博物館や国立博物館など父が好きそうな別なミュージアムの候補を調べておけばよかった。そういえば私台湾でミュージアム系ほとんど行ったことないな・・・

もう少しちゃんと写真撮ればよかった

今台湾旅行をふりかえりながら改めて後悔しているのが写真の少なさである。あまりにも少ない。すくなすぎる!!父とのツーショットに至っては1枚しかない…。確かに普段あまり自撮りはしないし、人と旅行していたら景色の写真などあまり撮らないのは自然なことなのだけれど、あまりにもちゃんとした写真がなさすぎる・・・。どうしても照れが勝ってしまったが、せっかくはるばる台湾まできたのだから旅の恥はかき捨て精神でもっとちゃんと写真を撮ればよかった。

唯一のツーショット。まじでもっといい写真撮る機会あったと思う・・・

│ いつまでもあると思うな親と推し

春に妹が遺書を残して失踪したとき、人間とはこんなにも呆気なく消えてしまうものかと衝撃的だった。堅牢にみえた足元があまりに頼りなく脆くみえた。実際には彼女は生きているわけだけど、それはあくまでも結果でしかなくて、他人の生死の境界を前に私はどれほど無力なのか、これほど呆気ないものなのかと嫌でも思わされた。

翻ればそれは年老いていく親も同じで、「健康で長生きしてほしい」という願いの意味とその願いが潰えた先に待つもの。それまで考えたことすらなかったものが、急にべっとりとした実感をもって迫ってきた。

「いつまでもあると思うな親と推し」。誰が言い始めたか知らないけれど、金言なのかもしれない。あたりまえや日常はいとも簡単に手のひらからこぼれ落ちていく。
「親孝行」なんて言うと恩着せがましくて、ただ父にこれまでの感謝を伝えたいし、恩返しをさせてほしい、そしてこの先は自分の人生を生きて少しでも「健康で長生きしてほしい」。それだけなような気がしている。そうはいってもなかなか受け取ってもらえないのが現状なのも悩ましいところではあるのだが。このまま娘として父を適度に頼るのも親孝行のひとつとも理解しているが、社会的にはこれから私の方がリソースを持つフェーズ。なんとか父にも遠慮なく受け取ってもらえるくらい認めてもらいたいのだって、素直な気持ちだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?