北田斎

あらゆる差別と戦争と虐殺に反対

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連載のお知らせ

柏書房のnote、「かしわもち」で「鳥の鎮魂歌」という連載がはじまりました。 現代のうたから、神話的想像力を掘り起こしてみようというささやかな試みです。今日公開の第一回は神話とはなにか、なぜうたに沈められた神話的想像力に焦点を当てるのか、鳥の鎮魂歌とは、といったイントロダクションになります。そして第二回(22日公開予定)、第三回(25日公開予定)では、ある一人のミュージシャンの死によって産み落とされた鎮魂歌たちについて書きました。この時期に公開するということにピンと来たかた

    • Lucy Dacus "Thumbs" 和訳

      クソッタレ共同親権法案が衆議院で可決された。頭に来るので、長年会っていなかったクソ親父に呼び出され怯える友人に歌いかけるルーシー・デイカス「サムズ」の歌詞を載せておく(あんまりいい訳じゃないけど)。 こんな法案が通れば、人が死ぬだろう。人を殺すような法律がまかり通ってよいわけがない。 Lucy Dacus - Thumbs from Home Video (2021) あなたが電話を切った わたしはどうかしたのと訊いた あなたの父親がこの街にやって来た 彼は会いたがってい

      • 戦争反対

         むかし子どもの頃、あるミュージシャンが(というか藤原基央だが)、「『平和や反戦を歌ってほしい』と言われることがあるが、直接そういったことを歌うのがいいとはおもわない。もっと普遍的なことを歌うことによって、自然とそういった意識をもってもらえるようにしたい」というようなことを言っているのをきいて、なるほどとおもっていた。 多くのミュージシャンが平和や反戦を歌わずにそうして20年近くが経ち、現状はこうである。藤原の(少なくともかつての)考えは間違いだった。バンプのリスナーにも人

        • 明日はきっと青空だって言ってくれ

          仕事中、トイレに立った時に携帯をチラッと見たら、チバユウスケが死んでた。全曲聴いたこともない程度で熱心なリスナーとはいえないけど、チバユウスケだぜ、好きじゃないわけがない。深く考えてしまうと、なにか今顔を出してほしくないものが顔を出しそうだった。鼻血にティッシュを詰めるように、脈絡のない考えが勝手に頭を埋めていく。休憩スペースでも誰かが誰かにチバの話をしていた。おれはただふにゃふにゃしてるだけで、頭のなかでは「世界の終わり」がノンストップで流れている。こんな時に流れるのがこれ

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          ちゃんの看護人

          小学生の頃通っていた塾の国語のテキストは、結構変な文章を使っていることが多かった。山下明生「親指魚」とか山川方夫「夏の葬列」、福永令三「赤信号のなみだ」(『クレヨン王国なみだ物語』)なんかは強烈すぎてたぶん一生忘れないだろうとおもう。そのなかに「ちゃんの看護人」(デ・アミーチス『クオレ』)があった。 「母をたずねて三千里」でおなじみの『クオレ』の挿話なのでまあそんな感じのけなげな子どもの話なんですが、問題は訳である。ちゃんて誰だよという感じだが、父親の意味の俗語である。「(

          ちゃんの看護人

          トム・マスティル『クジラと話す方法』

          ホエールウォッチングの最中にブリーチングしたザトウクジラが上から降ってきたものの、奇跡的に無傷だった著者が、「クジラはあなたたちを避けてくれたのかもしれない」と知人の研究者に言われたことをきっかけに、取り憑かれたようにさまざまな研究者たちをたずね、クジラをはじめ動物とのコミュニケーションを探っていくもの。後半ではAIが飛躍的に研究を推し進めていく様子も描かれる(もちろん、その不気味さは拭い難くある)。 著者はもともと生物学者なので、語り口は禁欲的である。人間中心主義的な世界

          トム・マスティル『クジラと話す方法』

          すべてを記憶するということ

          先輩と、利尻島での壮絶なリゾートバイトの体験記をnoteで高額で売り捌いているガクヅケ木田さんのトークライブに行ってきた。もちろん利尻の話100%である。聞き手は牛女の佐野さん。なぜかというと、木田さんが出稼ぎに行った利尻の旅館とは佐野さんの叔父が経営する旅館だからである。 佐野さんがチケットの精算や案内をしてくれるのだが、異様に腰が低く丁寧かつあの風貌なので、変な汗が出た。開場時点で利尻富士がどうのとか、あるいはお金がどうとかいう歌詞の曲が延々と流れていて怖い。曲を流して

          すべてを記憶するということ

          弱さの聖性

          7月2日のライブのことをしつこく思い返している。もちろんsyrup16gのライブである。その場では泣かなかったのに、あとでちょっと思い出し泣きをするくらいよかった。そんなライブは生まれて初めてである。それくらい衝撃がでかかったのだろうか。でかかったかもしれない。人生で「ビッグラブ」なんて言われる日が来るとはついぞ思っていなかったし。それも山内総一郎とかならわかるが、よりによって五十嵐隆にである。いろいろ追いつかない。直後に慌てて「つまんな! 恥ずかしいからツイッターとかに書か

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          Birds, live forever

          毎日シロップのライブDVDを観ている。大体時間を取れるのは夜だが、夜観ると寝付けなくなるのでまあまあ困る。でも観たい。大体順繰りに観ているが、『生還』だけBlu-rayしか持っていないことに気づいて悶絶している(Blu-rayプレイヤーは壊れた)。仕方ない、買うか。Blu-rayプレイヤーではない。DVDのほうをだ。 前回の記事では中畑について書ききれなかったのだが、かれこそ解散に至るまで五十嵐と腹を割ってきちんと向き合ってこなかったことを最も悔いている人間だろう。けしてな

          Birds, live forever

          Nothing's gonna syrup us now

          『HELL-SEE』再現ツアーを観てからシロップ熱が俄然再燃してしまい、四六時中シロップを聴くか観ている。聴きすぎて朝起きた瞬間も頭のなかに流れている。今日は「冴えないコード」だった。それはいい。そもそも『HELL-SEE』というアルバムは15曲入り1500円という狂った価格設定もあり、最初の一枚というファンも多い。それゆえにやたら思い入れがあったりするのでその再現ライブに何もおもわないわけがないのだが、それはそれとしてsyrup16g、今が一番バンドとして絶好調である。

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          Julien Baker "Blacktop"(歌詞和訳)

          試訳です。文法には自信がない。 この頃ジュリアンは運転する時、決してシートベルトをしなかった。生死に関わるような事故を起こして、神の愛を試していた。南部の敬虔なクリスチャンとして生まれ育ちながらゲイである自分は、神に見放された存在なのか。黒いアスファルトの上に小柄な体が投げ出され、血が広がる。応急処置の生理食塩水がゆっくりと体をめぐる。供犠は執り行われ、神は嘉納する。 どこか遠くへ行ける 方法があると思う? わたしがあなたのいる場所を尋ねるように わたしがどこにいたのか訊

          Julien Baker "Blacktop"(歌詞和訳)

          火の傍らに物語す

          神話の時代は遠くなり、大きな断絶ののちの今ひとたびの獣と人のあやしい交歓である。 古代、一日のはじまりは夜だった。 人は畏れて眠り、カミやモノが目醒める時。 だがもはや人は夜にも畏れず眠らない。 火を焚く人の傍らに獣がやって来て物語する。 もはや消し止めることのできぬ、真っ赤に空を焼く火の傍らで。 人は歌う。 おもうに、歌というのはある種の供儀ではないか。 (供物はいつだって人の手が加わってはじめて供物となる。) その供物をおそるおそる受け取りにやって来たのだろうか。 (

          火の傍らに物語す

          いつ落ちてもおかしくない綱渡り

          昨日(10/31)は先輩にガクヅケというまだそんなに売れてないお笑いコンビが月一でやっているライブに連れて行ってもらって楽しかった。 ガクヅケはそんなに売れてはいないけど、世界観が狂っていて妙に後を引く。段ボールとガムテープを駆使して作られたへにょへにょの小道具も独特だし、歌ネタは選曲が完全に同世代で、フジファブリックやナンバーガールなんかに乗せて無言で異様なコントを繰り広げていていい。ガクヅケを生で観るのはこれで3回目、配信やYouTubeのコントはもう少し観ていて、めち

          いつ落ちてもおかしくない綱渡り

          歌は常に雄弁である(僕自身に比べたら)

           英語は昔からホントにできないんだけど、ここ二年くらいで好きな曲の歌詞を訳す楽しみを知った。お金がないのでなかなかCDが買えなかったり、買えたとしてもついている対訳がひどいことが多い。どう贔屓目にみても明らかな誤訳もごろごろ転がっている。でもインタビューを読んだりしてミュージシャンに対する理解が深まると、次第に彼らの歌っていることがほどけるようにわかってきたりする。そうするとやっぱり書き留めたい。そんなにバリバリやっているわけでもないけど、でもすごく楽しい。もちろん英語力が飛

          歌は常に雄弁である(僕自身に比べたら)

          Phoebe Bridgers - I Know the End

          ボーイジーニアスの来日公演を実現させるべく、3人は最高だということをもっと日本に知らしめねばならないッッ!! と思い立ってそのうちのひとり、フィービー・ブリジャーズの歌詞和訳でも載せようかとなったのであった。Glastonburyでアーロ・パークスをコーラスに迎えてこの曲をやっていたのもよかった。 ------ それはドイツのどこかではじまった、場所は知らないけど ああ、テキサスのこのあたりは大嫌いだ 目を閉じて、空想する 三つ数えたら、わたしは家にいる 戻ってくるとわた

          Phoebe Bridgers - I Know the End

          My Gift Is A Providence and Also A Curse

          フランスの音楽誌に載ったザ・ヴァインズのボーカル、クレイグ・ニコルズのインタビューをフランスのファンの子が英訳してくれている。 短いけど、クレイグ・ニコルズという人がどういう人物なのかよくあらわれている、その業の深さが強烈な印象を残す記事だとおもうので訳してみた。 そんな感じで下記のデータベースには仏誌の英訳もいくつかあるのでおすすめです。 R&F: 多くの人びとが、2001年がストロークスの年だったように、2002年はヴァインズの年になるだろうと認めています。このプレッシ

          My Gift Is A Providence and Also A Curse