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蛍たちの消えた愛―1977年のイタリアとLocanda Delle Fate

■Locanda Delle Fate / Forse Le Lucciole Non Si Amano più
■収録曲:1.A volte un istante di quiete(6:31) 2.Forse le lucciole non si amano più(9:48) 3.Profumo di colla bianca(8:25) 4.Cercando un nuovo confine(6:41) 5.Sogno di Estunno(4:41) 6.Non chiudere a chiave le stelle(3:34) 7.Vendesi saggezza(9:37)
■パーソネル:Leonardo Sasso(vo) Ezio Vevey(g,vo) Luciano Boero(b,hammond) Giorgio Gardino(dr,vib) Alberto Gaviglio(flt,g,vo) Michele Conta(p,key) Oscar Mazzoglio(key)
■カバー・アート:Barved Zumizion
■リリース:1977年

 Locanda Delle Fate / Forse Le Lucciole Non Si Amano Piu - 邦題「妖精」、ポリドール・イタリアンロック・コレクション盤です。このアルバムは、1977年の政治的・社会的緊張が高まるイタリアで制作され、その時代の不安と希望が反映されています。


普通の感想

 ロカンダ・デッレ・ファーテは、1970年代にイタリア北部で結成され、この一枚のスタジオアルバムをリリースした後に解散しましたので、暫くは伝説的な存在でした。当時のレコード等のライナーにも、スタジオミュージシャンが制作したものらしいとかメンバーの詳細は不明といったことが書かれていました。

 後になり、当時のライヴ音源が発掘発売され、1990年になぜか再結成、何枚かアルバムとライヴ盤などをリリースし現在も活動をしているようなので驚きです。チッタに来日もしたんでしたっけ。なんだか、最近、ゾンビのように70年代のイタリアのプログレの人たちが押し寄せてきているので観たいような怖いような何だか変な気持ちです^_^;

 この「妖精」の音楽は、イタリアの数々のプログレッシヴロックのアルバムの中で、特に「美しさ」が特徴です。変拍子を多用しテクニカルに構築されていながら、そうした技巧面を意識させないアルバム全体を支配する「美」が存在します。

 丸みを帯びたギターのトーン、生のピアノの響きなどかなり緻密に調整されています。唯一ヴォーカルのレオナルドおぢさんの声だけが丸みを帯びていないのですが、この声が、またいいのです!AOR系の無骨な声。カサブランカなんかも歌えるに違いない声。この声で、時には朗々と、時には吐き捨てるように歌い上げられてしまっては、もう「参りました」としか言いようがありません。そういうアルバムです。イタリアの懐の深さってヤツでしょうか!

 ジャケットの美しさも目を引きますよね!絵描きさんは不明。手元にはポリドール盤のLPとCDがあります。曲名の日本語訳は、1.ひとときの静寂、2.螢が消えるとき、3.白色の香、4.新しい世界を求めて、5.憧れ、6.星に鍵をかけないで、7.誤ち…です。CDには、ニューヨーク、と9番目の月の2曲のボーナストラックも収録されています。…なんだかこの邦題もそそられる気がしませんか^_^;

 こうした、イタリア語の曲が本当に何を歌っているのかということは、イタリア語をかなり詰めてお勉強し、かつ、イタリアの近代史なども併せてお勉強しない限り、かつては分かりませんでした。国内盤の解説にも大したことは書かれていませんからね。旅行で使うイタリア語会話的なもの程度はお勉強したことがありましたが、その程度ではなんのことだかみたいなレベル感です。なので、きっと、このレコードが発売された当時、その内容まで理解できて聞けていた方はほんの一握りで、他の一般の方々は、美しいジャケットを眺めながら、美しい技巧的な曲だなぁというところを楽しんでいたに違いありません。

「Forse Le Lucciole Non Si Amano più 〜 おそらくもう蛍は愛し合わない」の歌詞

 ところが、最近、AIのおかげで、こうしたヨーロッパ圏の楽曲の真意が、ある程度、簡単に分かるようになりました。以下は、GPT4との会話を通じて入手した2曲目のタイトル曲についての解説です。

「おそらくもう蛍は愛し合わない」

そして、風がまだ私の髪の間で少し休んだとき、 / 私はおとぎ話を創り出していた。 / そして私は落ちた、だがもう私の手はポケットの中にあった。

勇気に裏切られた多くの英雄たち、 / そして、香と涙にだまされた。 / 誰かがそれを売るだろう!

天使たちはどこで眠るのか? / 幻想と夢はどこに消えたのか? / もう誰も買わない、不確かな儚い影の中で。

狂った強い英雄たち、 / 全てが間違っていた。 / 息を吹き返す時間が足りなかった。 / 血が頭に上り詰めて、 / あなたたちのためにも選んだ。

意識の盗みに引きずられ、 / 神話と伝説に惑わされて、 / 私たちの夢は奇跡でいっぱいだが、 / 明るい時にはもう十分ではない。

暗い幕はいつも上がる、 / 灯りは点いているか消えているかだ。 / その間に、暗闇から / 新しいおとぎ話が生まれる。 / 人々は見守り、誰かが老いる。

どこで、怪物と聖人が死に、 / 神がもう降りたかもしれない、 / 二十億の涙の目が、 / 笑う者の顔を向く。

どこで、怪物と聖人が死に、 / 神がもう降りたかもしれない、 / 二十億の涙の目が、 / 笑う者の顔を向く。

輪になって、敵でさえもあなたの息を語る、 / 一緒に、そして対立して、 / 知られざる永遠の舞踏で抱擁し、 / 血に染まった聖体、 / なぜを問い続ける私たち、 / 目が星に達する間に、 / 私たちには細い翼が二枚あれば十分だ。

不満足な老いた酔っぱらいの歌は、 / もうあふれ出している不安を消毒する。

周囲とここ内部の沈黙は暗すぎる、 / おそらくもう蛍は愛し合わない。

私は、香とガラスと鐘の音の死の匂いをどう知ろうか。

そして、風がまだ私の髪の間で少し休んだとき、 / 私はおとぎ話を創り出していた。 / そして私は落ちた、だがもう私の手はポケットの中にあった。

勇気に裏切られた多くの英雄たち、 / そして、香と涙にだまされた。 / 誰かがそれを売るだろう!

天使たちはどこで眠るのか? / 幻想と夢はどこに消えたのか? / もう誰も買わない、不確かな儚い影の中で。

by GPT4

歌詞の概説

この詩『Forse le lucciole non si amano più』は、失われた理想、幻滅、そして現代社会の孤立感を表現しています。タイトル「おそらくもう蛍は愛し合わない」は、蛍が見られなくなった現象を通じて、美しいものや純粋なものが失われていく現代の状況を象徴しています。

詩は、いくつかの異なるイメージとシナリオを描いていますが、一貫しているのは、かつての価値や信念がもはや現実のものとして存在しないという感覚です。登場する「英雄」や「天使」、「夢」や「幻想」といったキーワードは、理想が現実の圧力によってどのように失われていくかを示しています。これらは一度は高貴で価値のあるものとされていましたが、今や「誰も買わない」もの、つまり市場の価値がないと見なされるものとなっています。

詩中の「英雄」たちが「勇気に裏切られ」たり、「香と涙にだまされたり」という表現は、彼らが持っていた理想が結局は彼らを裏切る形で終わってしまったことを意味しています。彼らの行動や信念が最終的には空虚なものとなり、彼ら自身を守ることができなかったという皮肉を含んでいます。

また、「二十億の涙の目が笑う者の顔を向く」という行は、大衆が苦しみながらも、権力を持つ者や成功を収めている者を羨ましく思う様子を表しているかもしれません。これは社会的な不平等や、人々が持つ悲哀の感覚を強調しています。

詩はまた、暗く退廃的な情景を通して、現代社会が直面する多くの問題—孤独、断絶、価値の喪失—に光を当てています。詩の繰り返し部分は、このようなテーマの持続性と普遍性を強調し、読者に深い共感や反省を促します。

1977年のイタリアの政情との関係

1977年のイタリアは、社会的、政治的に非常に動乱の時期でした。この時代は「イタリアの鉛の年代」とも呼ばれ、左翼と右翼の過激派による暴力が頻発していました。また、この時期は学生運動や労働運動が高まり、伝統的な価値観や社会構造に対する挑戦が激しくなっていた時です。

詩『Forse le lucciole non si amano più』は、この社会的混乱と失望を背景に書かれた作品です。詩のタイトルと内容からも、かつては存在した美しさや純粋さが失われ、社会が持っていた理想や希望が消え去っていく様子が描かれています。蛍(ルッチオレ)の消失は、より良かった過去への郷愁と、それがもはや現実には存在しないことへの哀愁を象徴しています。

1977年という年は、イタリアにおける過激な政治的活動がピークに達していた時期であり、多くの若者が政治的な理想に燃えていましたが、多くは失望とともにその後の年代に疎外感を感じるようになります。この詩は、そうした時代の精神を捉え、失われた理想と現実との間で苦悩する人々の感情を浮かび上がらせています。

詩の中で繰り返される「英雄」たちの裏切りや、夢や幻想が市場での価値を失っていく様子は、理想を追い求めるが故に結果として失望と疎外感に苛まれる若者たちの姿を反映しているとも解釈できます。社会全体が理想から遠ざかり、個人の内面においても孤独や失意が増していくプロセスを、詩は深く掘り下げています。

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