朝。奇跡の朝。

毎朝、同じことの繰り返しだ。

朝8時50分にiPhoneの目覚ましがなって、目が覚める。
9時にもう一度目覚ましがなる。
数分間ベッドの上でごろごろして、
起きて、トイレに行って、顔を洗って、歯を磨く。
顔はぬるま湯で洗う。化粧水と乳液もきちんとつける。
ハンドクリームも塗る。
歯は、電動歯ブラシで磨く。
このあたりから、目が覚めてくる。
そしたら、次は着替えだ。
下はジャージ、上はTシャツ。
冬は、Tシャツの上にセーターを着る。

着替えたら、近所の森まで散歩にでかける。
これは、雨でも必ずでかける。
散歩とはいっているが、実際はウォーキングだ。
かなり速い速度で歩いていく。
土の感じや木の感じをよく感じておく。
季節の移り変わりや、気候の変化を五感で感じる。
途中たまに立ち止まり、深呼吸して、新鮮な空気を体に送り込む。

帰宅して、コーヒーを飲んで、自家製のパンを冷蔵庫から取り出して、焼く。
和室に行って、コーヒーとパンを楽しむ。
ついでに、和室に置いてある果物もいただく。
このあたりでスマホを取り出し、Twitterで情報収集して、世の中の負のオーラを体に浴びる。
体は次第に、社会に適応したモードになってくる。

9時55分になったら、飲みかけのコーヒーを持って部屋に戻り、パソコンの前に座る。
10時になる。ここからが、わたしの仕事のスタートだ。


こんな当たり前の日常を、とても神聖なもののように思う。
朝というのは、美しく、清々しく、
エネルギーに満ち溢れ、
開放的で、正の明るさに満ち満ちた、
ポジティブな始まりである。

24時間ごとに、この素晴らしい時間に立ち会えることが、奇跡のように思える。
そう、朝とは奇跡なのだ。


多くの人が、この朝を恨めしく思い、辛く感じているのが、昨今の世の中の状態のように思う。
実際私も、親から独立してからというものの、このような朝を迎えられるようになるまでに、実に13年かかった。
それまでは、朝というものは、辛く耐え難い時間であった。


必ず朝はやってくる。
苦しくて辛くて耐えられないときも
平等に全ての人に降り注ぐ。
そして朝は、
心の奥にある黒いものを、強烈に否定してくるのだ。
「あなた、何やってるんですか?」
「あなた、今生きたくない人生生きてますよ?」
朝は、心の中にある黒いものをくっきりと浮かび上がらせる。
人々は、そんな朝の力を猛烈に嫌っているのだ。


今日は日曜日。
目覚ましがなる前にパートナーが私の部屋までやってきて、ベッドの中に入ってきた。
彼の冷えた体温が、私のベッドの中であたたまり、眠気まなこで抱き合って、少しずつ目が覚める。
わけわからない2人だけの会話が目覚まし代わりだ。
こんな日曜日も悪くない。少し楽しい一日のはじまりだ。

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