誕生日の日に思うこと
「あなたは皇太子と同じ誕生日なのよ」と母に言われて育ち、それが何よと思っていたけれど、
私の誕生日は令和になって祝日となった。
明日誕生日かぁ、と思った昨日。
誕生日をどんな風に過ごしたいか、よくわからない気持ちになった。
誕生日。
だいたい1歳から18歳頃までは家族がお祝いしてくれて、それ以降は友達や彼が私の誕生日を素敵な日にしてくれた。毎回は覚えていないけれど、きっと毎年すごく嬉しかったと思う。みんなからのプレゼントや手紙、おめでとうのメールに、「自分は愛されてるなぁ」と1年で1番感じられた日だったと思う。
29歳の誕生日までは、間違いなく誕生日は、私が主人公だった。
30歳で出産してからは、自分の誕生日がちょっと違うものになった。
自分が生まれた日であるからといって、主人公が子どもであることはくつがえされない。母親としてつつましく、夫から花束をもらって、子どもも入店できるいつもより少し良いお店にご飯を食べに行っていた。ポストには、親友たちからの個包や手紙が届きいつもポロっと涙が出たけど、誕生日当日に会って乾杯して抱きしめあうことは、もう遠い過去になってしまったという涙もこぼれた。
そんなことを回想しながら、私はノートを開いて、「今年はどんな誕生日になったら嬉しい?」と自分に書いて聞いてみた。
そしたら、とっても〈ささやかな願い〉がたくさん出てきた。
自分のことなのに、なんだかかわいいなぁと思ってしまった(笑)
このメモをそのまま夫にメールして寝たら、翌日の朝にこんなメールが返ってきていた。「承知!ケーキはどこのにしようか?!」って。いやいや、クレープたらふく食べようとしてるんで、ケーキは食べられなさそうです。だけど、気持ちが本当に嬉しい。
それでね、思った。
私は昨日、自分の誕生日を特別な日にしようと思っていたから、よくわからなくなっちゃったんだね。だけど今私は、なんでもない毎日を、毎朝いい日にするって決めている。決めて過ごしてる。ノートに「どんな誕生日にしたら嬉しい?」って書いてみたけど、そういえば私はあれを、毎日自分にやってあげてるんだった。「今日は、どんな1日になったら嬉しい?」って。小さな望みも少し大きな望みも、日々着々と叶えてあげている。
私は、毎日を自分の誕生日みたいな気持ちで過ごせているんだ。
だから、誕生日は1年で1番何かを感じられる日じゃなくていい。特別なことはあまり起きてほしくもない。ケーキも、花束も、自分へのご褒美も、誕生日だけのものじゃないって、知っているから。会いたい友達にも、すぐに会いにいける。
私の人生の主人公は、どんな時だって、どんな日だって、自分。
今日も私は、いい日になるって決めている。
明日も。
明後日も。
毎日が誕生日みたいに。
おわり
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