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無限の猿と乗り過ごし苦労

 「無限の猿定理」というものがあるわけです。まず、おサルさんにキーボードをカタカタ打ってもらう。おサルさんは適当に打つでしょうから、大体は文字が滅茶苦茶に並んだ、とても文章とは言えないものができあがる。でも、滅茶苦茶に打ったとしても、ものすごく低い可能性ではあるが、ちゃんとした文章が出来上がる可能性はある。それこそたまたまシェイクスピアの作品を打つ場合だってありえる。だから、非常に膨大な時間をかければ、おサルさんがキーボードをバシバシ叩いても名作が出来上がる。そんな考え方です。

 「そりゃ可能性はゼロじゃないだろうけどさ」というのが、大抵の人が思いつく、それでいてちゃんとした批判です。ウィキペディアによると、宇宙の年齢と同じくらいの時間をかけてもおサルさんがハムレットを完成させる見込みはほとんどないそうです。

 この「可能性はゼロじゃない」というのが「無限の猿定理」の厄介なところで、だから人はまず起こらない奇跡を信じて余計な希望を抱いてしまったり、ほぼ起こらない大災害の気配を感じて取り越し苦労に苛まれたりするわけです。

 さて、都市部を中心に電車で通勤通学している方が多いかと存じますけれども、電車でありがちな失敗のひとつに「乗り過ごし」がございます。何らかの理由により降りるべき駅で降りられない現象ですね。

 対策はいろいろございます。車内放送をちゃんと聞いておく、窓に映る景色をチェックする、熟睡しない。自分の降りる駅の乗降者数が多い場合には、駅に着いた際の乗客の動きも役に立ちます。大勢の乗客が乗り降りを始めたら「降りる駅かな」と気づくわけです。私が降りる駅もまた乗降者の多いターミナル駅のため、この方法を乗り越し防止に役立てています。

 しかし、取り越し苦労がプロ級の私に、ここで「無限の猿定理」が影を落とします。私と同じ駅で降りる客がいくらたくさんいるとは言え、全員降り忘れる可能性がゼロではないと考えてしまうわけです。奇跡的に同じ車両の数十人から数百人の乗客が、爆睡してたりボーっとしてたりして、みんな揃って電車を乗り過ごす。もしそうなったらどうしようと、私はまたいらぬ心配を思いついてしまったんです。

 もし乗り過ごしたら、私は遅刻確定です。そういう方は他にもいらっしゃるでしょう。数十人から数百人が乗り過ごしたら、それだけの人数が一斉に動揺するわけです。車内はちょっとしたパニック状況に陥るでしょう。何なら、そのパニックが原因で電車が更に数分遅れてしまうかもしれない。単に遅刻するだけではなく、奇妙な混乱に巻き込まれるかもしれないわけです。

 数十人から数百人が一気に乗り過ごす可能性がどれくらいなのか分かりません。おサルさんのハムレットみたいに、宇宙の年齢と同じくらいの時間をかけても滅多に起きないのかもしれない。でも、一応は乗客の動きだけで降りる駅かどうか判断するのはやめようと思ってしまうところが、私のプロ杞憂選手たる所以でございます。

 というわけで、今日も元気に取り越し苦労している次第です。

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