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最速挫折じゃ慰めにならない

 挑戦する人がいれば、諦める人だって当然いるわけです。もちろん、諦めた人の全てが挫折なんて深刻な状況ではないでしょう。他にもっといい道があったからそちらへ進んだみたいな、ポジティブな諦めを抱く人だっているに違いない。ただ、一度挑戦した物事を取りやめたのは事実です。

 わざわざ「挑戦」と銘打って何かをするんですから、その「何か」は困難な目標であることが多い。それでも敢えて挑む。大変な決心です。だから、私としては基本的に誰かの挑戦は応援したいと思っています。

 地元の友達、ここでは相馬君としておきますけれども、相馬君は高校を卒業したあと、アルバイトをして生活しておりました。いわゆるフリーターです。ただ、ものすごく気のいい男でございました。だから、地元を離れ、ひとり下宿しながら大学に通う私は、地元に帰るたび、相馬君と遊んでいました。無計画に海へ行ってみたり、朝までカラオケしてみたりして、よくはしゃいだものです。

 二十歳を超えた頃だったと記憶しています。その日は居酒屋で朝まで飲む予定でございました。席に着いた相馬君は早速、居酒屋へ来る前に見たテレビ番組の話をしました。過疎化した集落で働く医者を取材したドキュメンタリー番組だったんですが、それを見た相馬君はいたく感動したようなんです。そこで、相馬君はこう言ったんです。

「星野、俺、医者目指すわ」

 まだ最初の生ビールも来ていない段階での宣言でしたから、どうやらマジのようです。相馬君は勉強ができる人ではありませんでした。勉強を一切しなかったのだから当然です。言い換えれば、伸びしろしかない状態とも言えましょう。一念発起して参考書をむさぼるように勉強しまくったら、ひょっとするかもしれません。何より、友人がマジに宣言してるんですから、どんな結末が待っていても私は応援するつもりでいました。

 私は医学部に入れるような脳味噌は持っていませんが、大学受験の経験はありますから、「できる限り力を貸すよ」と言い、生ビールで乾杯しました。

 あとは飲みながら頭の悪い話ばかり一晩中いたしまして、翌朝となりました。居酒屋を出た私と相馬君は駅で始発を待っておりました。徹夜明けの眠さと朝日の眩しさで目を細めておりますと、似たような表情をして隣に座っている相馬君がポツリとこう漏らしました。

「星野、俺が医者目指す話、あれ無しだわ」

 私は眠すぎて「早くない?」とツッコむこともできませんでした。ただ、ぼんやりと思ったんです。昨夜、相馬君の決心に感動するあまり、酔っぱらいながら大学受験に必要なことを偉そうにベラベラしゃべったなあと。あんな問題集を買って、こんな勉強をして、遊びたい衝動をどうやって抑えたか、試験対策は何をしたか、みたいなことを延々と言ったんです。それを聞いた相馬君は酔っぱらった頭の中でもこう判断したんでしょう。「あ、無理だこれ」と。

 これを挫折と言うには挫折に失礼でしょう。医者を志してから24時間も経たずに諦めたんです。目標に向かって一歩も進まないまま、すぐその場で倒れたに等しい。

 ただ、思うんです。相馬君みたいに、何となく思いついた挑戦を、ちょっと現実を見ただけですぐ諦めるレベルの「挫折」って、世の中にものすごくたくさんあるんだろうなあと。

 その昔、第一志望の大学を受けて落ちた人に、担任の先生が「試験を受けられただけでもすごいことなんだぞ」と慰めていました。それをはたから聞いていた当時の私は、慰めるために嘘をついていたのだと思っていました。

 でも、あの朝の相馬君を見て、私は考えを改めました。我々の目にはなかなか見えないだけで、あの時の相馬君みたいに、挑戦を決意した翌日には速攻で諦めるような人が意外とたくさんいるのかもしれない。何なら、決意してから試験を受けるまでの間にも、挑戦を諦めて試験会場に文字通り辿り着かなかった人が何人もいると思うんです。だから、試験に落ちた人だって、実は大勢の人間が到達できなかったところまで来ていたのかもしれない。つまり、先生の「試験を受けられただけでもすごい」は、決して慰めのための嘘ではなかったんです。

 でも、まあ、大して慰められはしないかなとは思いますが。相馬君のあまりに軽い決心と更に軽い挫折を見てると特にそう思います。もちろん、相馬君はちゃんと医者にならず、今は普通の会社で働いてします。あの時の挫折は確かに軽かったですけれども、ポジティブな挫折だったのかもしれません。

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