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OWL magazineを読んで僕がサッカー旅へ出かけた理由 〜お礼文を送ったら記事を寄稿することになってしまった〜


OWL magazineの読者の皆さま、はじめまして。

僕はOWL magazineに影響を受け、サッカー旅を始めた豊田剛資(たけし)と申します。

いち読者の僕が寄稿することになったのは、主筆の中村慎太郎氏へサッカー旅を始めたことについてお礼のメッセージを送ったことが事の発端です。

そのメッセージは8月22日に投稿された記事はOWL magazineでは寄稿&スタッフを募集しています! の後半部分にあります。

僕は小学校2年生のころからボールを蹴り始め、41歳となった現在でも神戸市社会人リーグに所属するクラブでサッカーとかかわりを持っています。

社会人サッカーをしていると、どうしても「自分がするサッカー」を優先となり、よほど観たいと思う試合でない限り、サッカー観戦をする機会を逃すことが多くなります。肌感覚ではありますが、サッカー観戦を常にしている社会人サッカー選手は意外に少ないです。

今から読んでいただく記事は、サッカーを通じて大人になった男が、封印していたサッカー観戦への想いを爆発させる……、というお話ではないです。

僕は21歳の時にイングランドの地域リーグの試合を観戦し、「カテゴリーを問わず、たくさんサッカー観戦をするぞ!」と決心したのですが、深い事情によりサッカー観戦ができなくなってしまいました。

そして、OWL magazineが立ち上がった頃の記事に影響を受けたことによる、サッカー旅に対する心境の変化と葛藤を、時系列でお話します。


1. 2月1日 旅とサッカーをテーマとしたOWL magazine が立ち上がった日


僕の大好きな作家の中村慎太郎氏が共同プロジェクト『OWL magazine』を今日立ち上げた。所信表明と受け取って良いのだろうか、読み進めていくと自然と姿勢を正してしまった。

中でもOWL magazineの活動規模が大きくなっていくと次世代へつなげるサポート制度を設けるコンセプトに大変興味を持った。なるほど、OWL magazineとは著者と読者が共同して活動するプロジェクトなのか。非常に面白いなぁ。

でも、Webマガジンに月額700円?

正直、僕は戸惑った。なぜなら、有料のWebマガジンを購読した経験がないので、この価格設定がよく分からない。まずは価格そのものが平均的かを調べてみた。

他のサッカー関連のWebマガジンも似たような価格設定になっているので、一般的な価格であることが分かり安心した。

定期購読をしている雑誌はあるけれども、ネットでポチッと買う派ではなく、本屋へ出向いて購入する派。本を手に取って読むことが好きだからWebマガジンに対して抵抗感があった。こういうところが僕は昭和の人間だと思う。

僕は中村慎太郎氏の作品が大好きではあるが、ネットショッピングをしない人間にとってWebマガジンはかなりハードルが高い。

購読するかはこれからの記事を読んでから考えよう。

2. 2月13日 中村慎太郎著 
「鳥取砂丘は世界の夢を見るか」ガイナーレ鳥取紀行・前編 を読んで購読を決意する

「あの時の鳥取への旅は何年たっても色あせていない。」

「Jリーグと共に、あるいは日本代表と共に旅した記憶は、ぼくの一生の宝物だ。」

「つまり絶対的なストックなのだ。」


冒頭から何やねん、この胸に響く文章は。

僕にも色あせない、一生の宝物となる記憶がある。

2000年2月、当時21歳の時にイングランド南東部・イーストボーンという町へ2週間ホームスティをしていた記憶と封印していた想いが読み進めていくと少し蘇ってきた。


おまけの部分には魚料理について書かれているみたいだ。魚料理は特に好きではないけど、どんな魚料理がでてくるんやろうか。気になってきた。

残りを読みたければ月額700円の購読をしないといけない。今回はここまでにするか悩む。

やっぱり気になるやん。

仕方がない。購読しよう。

ポチッと。

有料の記事だけあって、読み応えは十分にあった。書いている内容は豆知識として、友達と飲みに行ったときに話のネタとして使えそうだ。こういった話のネタ系の記事は非常に面白い。

勇気を出して購読して良かったと思った。次の記事が待ち遠しくなった。


3.2月15日 2019年度JFL日程発表 観戦したい欲望とサッカーの話がしたい欲望が湧く


僕は神戸市社会人サッカークラブに所属している。高校卒業した1997年からなので、もう22年になる。

我々のクラブは設立時には関西リーグを目指していた。ところが、キックオフ10分前に11人が揃うことや、会費の未払いで消息不明となる選手がいる、といった試合をする以前の問題が毎年必ず起きる。そのため、成績よりもまずクラブを存続させることを目標にして22年間やってきている。

このようなアマチュアフットボール界の末席にいる僕のクラブの立ち位置からすると、「社会人サッカーのカテゴリーの最高峰に立つJFL」は現実的な憧れの舞台である。にもかかわらず、JFLの試合を初めて観たのは1997年の西濃運輸サッカー部の試合で、それ以来JFLの試合を観ていない。

一方で僕の地元にはヴィッセル神戸があり、足を運べばいつでもJリーグを観る環境がある。しかし、ヴィッセル神戸の設立当初からサッカークラブとしての良い面も悪い面もたくさん見てきているので、一定の距離を置いて応援している。そのため、Jリーグの試合は付き合いで観戦することが多く、自発的にはほとんど行かない。

イニエスタがヴィッセル神戸に所属しているので、正直彼のプレーを1回は観たいと思い、2018年鹿島アントラーズ戦を観に行ったがベンチ外だった。

しかし、アマチュア選手目線から考えるとイニエスタの現実離れしたプレーを堪能できたとしても、「凄い」の一言で終わりそうだ。それに対して、JFLの試合は意図するプレーや戦術に共感しつつ堪能できそうで、さらに試合後の会話は幅広く続くと思える。

そのように考えるうちに遠い存在のJリーグより現実味のあるJFLを観戦したい欲望が湧いてきた。

今日発表された今年のJFLの全日程を確認すると、所属するクラブの活動日と重ならない試合が多いことを知る。

3月14日、FC大阪とFC今治のJFL開幕戦がある!

試合会場のJ-GREEN堺は高速使って車で1時間もかからないから観に行きたいなぁ。要検討しよう。

お、3月31日は奈良クラブとホンダロックが試合!?

試合内容も大事やけど、それよりも中村慎太郎氏のYouTube で知った奈良クラブのアッコちゃんチャントが聞きたいぞ。こっちもええじゃないか。

奈良橿原へは行ったことがないし、程よい長距離ドライブもできるし、行けたら最高やなぁ。

OWL magazineを読むうちにこういった旅の想像して楽しむようになっていった。

4. 2月24日 円子文佳著「ごはんと元カレ ~2019Jリーグ開幕に寄せて~」

タイトルからして流し読みはできないぞという予感が漂う。

この記事はまず、長年応援していたクラブを1年間だけお休みをし、その年は他のクラブを応援した背景を恋愛話に例えたところから始まる。その後、円子文佳氏のサッカー観戦の哲学が展開していく中で、僕の心に突き刺さる言葉がいくつか出てきた。 

その中で、「僕の生き方においては、サッカー観戦がご飯のようなものになりました。」 という言葉が特に印象が残った。

サッカー観戦において、僕は円子文佳氏のような哲学的な想いを果たして持っているだろうか?

僕の地元の兵庫県神戸市はサッカー観戦において大変恵まれており、良い環境で生まれ育ったと思う。小中学校時代のコーチから「試合を観る練習」として神戸で行われる試合はカテゴリー問わず色々と観に行っていた。

というわけで25年以上前の記憶をたどり、Jリーグ開幕前後に観戦した試合を書き出してみる。

・1992年 JALレコパ・ファイナル 
南米クラブ王者同士の対決、チリのコロコロ対ブラジルのクルゼイロの試合が神戸で行われた。優勝したコロコロのサポーター数名が試合終了と同時に当たり前のようにスタンドを飛び降り、トロフィーへ向かって走った。そしてトロフィーにキスをした。サッカーで優勝した時、観客はピッチへなだれ込んでもOKという間違った喜び方を学ぶ。

・1992年 松下電器産業サッカー部がガンバ大阪となった初めての試合
試合内容は本当に全く覚えていない。なぜなら、吉本興業の漫才師・トミーズが試合前のイベントで漫才をするインパクトに心奪われたからだ。テレビでトミーズの漫才を見るたびにこの件を未だに思い出す。

・1992年 天皇杯準決勝 本田技研対日産自動車
この試合は、真冬の雨の中、寒さを吹き飛ばす好試合で、延長PK戦までもつれ込んだ。この試合の木村和司は常にシンプルな動きでボールを捌き、攻撃の起点を作り続けていた。

・1991年と1993年 大学サッカー総理大臣杯
1991年の東海大は本当に強かったことを覚えている。特に澤登正朗の冷静沈着なプレーと弾丸ミドルをぶち込む田坂和昭に心を奪われた。また、夜の照明に照らされた東海大のタイガージャージは非常にかっこよかった。

1993年では、順天堂大の名波浩が決勝ゴールを導くコーナーキックを蹴ったのを目の前で観た。試合後の名波浩は優勝に浸りながら、コーラを飲んでいた。ゴクゴクと。心の底から美味そうに。あのコーラの味はどんな味がしたのだろうか。

・1993年 W杯アメリカ大会アジア1次予選 日本対タイ戦
カズのゴールを観ることができたのが嬉しかった。ただ、ウルトラス・ニッポンの植田朝日氏がゴール裏ではなくバックスタンド2階席でスタジアムを煽っていた方が印象に残っている。

1990年ごろの僕のサッカー情報源と言えば主にサッカーマガジン、サッカーダイジェストといった雑誌だった。基本的に付録の選手ポスター次第でこれらの雑誌を買っていたので、神戸へ来るクラブや選手の下調べができないことが多かった。

それでもお構いなしに、とにかく試合会場へ足を運んで「試合を観る練習」をしていた。その練習の効果なのかは分からないが、この時代に「知ることの喜び」「知らないこと知って感動する」といった感情のセンサーが自然と鍛えられ、サッカーにのめり込んでいったのだと思う。

円子文佳氏のようにサッカー観戦に自問自答をしたことがなかったので、彼のような世界観もあると知ることができて非常に嬉しかった。感動。


5 3月13日 ふらいくる著「札幌サポ、韓国の要塞でACLに出会う」を読んで羨ましくなる

冒頭で中村慎太郎著『サポーターをめぐる冒険』に登場する学生サッカー観戦サークルのメンバーがふらいくる氏だったことを知り、感動した。


 
学生時代の時間は社会人になるまでの執行猶予期間でもある。この期間中は勉強に打ち込んでも良いし、バイトに明け暮れても良い。そして遊び回っても許される。

ふらいくる氏は各地へできる限りサッカー観戦をして、キラキラ輝く思い出の宝物を増やして行っていて、本当にいいなぁと思った。

対して学生時の僕は付き合い程度でヴィッセル神戸を中心にJリーグを、加古川や淡路島で関西リーグを観戦することがほとんどだった。母校の応援として日帰りで国立競技場や埼玉スタジアムへ行くことしかできなかった。

この記事を読み進めていくほどふらいくる氏が羨ましいとしか思えず、読み終えた時は、彼のようなサッカー観戦をできなかった悔しさを感じた。負けたとすら思った。


6. 3月17日 2019年JFL開幕 僕が封印した感情と想いとは 

この日は結局FC大阪とFC今治のJFL開幕戦を観に行かず、ひたすらOWL magazineを読んでいた。

しかし、先日読んだ円子文佳氏の「ごはんと元カレ」に出てくる「人生には仕方ないこともあるが、運命はある程度選択出来る」という文章に引っかかり、他の記事が全く入ってこない。

何でやろ、と考えていると先日思い出さずにはいられなかった感情と封印した想いがまた蘇ってきた。

その感情には、2000年2月、21歳の僕はイングランド南東部にあるイーストボーンという町でホームスティをしたことが背景にある。

ホストファミリーはサッカーに全く興味がなく、町にサッカークラブがあることを知らなかった。仕方なく、ひたすらイーストボーンの町を自転車でサッカーの匂いを探したけど、自身の英語は実力不足であり、結局見つけることができなかった。

日曜日の朝、飼い猫5匹に囲まれながらこの町に来た初日に買ったイングランドのサッカー雑誌を辞書片手に読んでいた。教会から帰ってきたホストファーザーが僕を呼び、1冊のマッチデープログラムを僕に手渡し、「行く?」と尋ねる。

Yes,offcourse. I’ve got to go watching this game !!

あえてイギリス英語で「行きたい」と返事をしたらかなり喜んでくれた。

ホームチームの名前はイーストボーンユナイテッドFC。どんなクラブで、どの程度のカテゴリーやレベルかは全く知らない。けれども、「イングランドでサッカーの試合が観られる!」と興奮した僕は教えてもらった試合会場へ向かった。

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会場入り口でチケット代3ポンド(約600円)を払う。

少し歩くと古くてシンプルだけど屋根付のスタンドが目に入った。

さすがサッカーの母国イングランド。街クラブでも屋根付スタンドがあるなんて素晴らしい。最高だ。

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屋根付のスタンドを持つクラブだから、試合レベルは当然高いだろうなと期待する。いや、期待しかない。しかし、その期待はすぐに消えた。

アップ時のシュート練習でチームのレベルがすぐに分かった。インサイドキックで蹴ったボールの音、神戸市リーグ1部でも厳しいぐらい下手なクロスボールとヘディングシュート。どれを観ても残念なレベルであった。

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このレベルの試合を観るのにお金を払って損した気分になった。しかし、プレミアリーグのチケットは学生の僕には高すぎて買えなかったので、今回は仕方がないと諦めた。

残念な気分を切り替えるためにスタジアム敷地内を歩いていたら、次から次へと人が出てくる建物があることに気づく。

その建物の中は立派なBarがあった。気難しそうな親父1人がビールをサーバーから淹れていて、またビリヤードで遊ぶ10代の若者の姿があった。

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また、その隣の建物の中には軽食やクラブのグッズを販売する売店もあった。

街クラブがこのような施設を持っていてもいいの??

この疑問に売店のおばちゃんは笑って答えてくれた。

イーストボーンユナイテッドFCは1894年に創立したクラブで、ただサッカーが好きな人が集まって積み重ねてきたクラブです、と。

売店のおばちゃんの一言で僕は数分前に低レベルと思ったことを恥じ、目が覚めた。プレミアリーグが持つ絶大なるスケール感は、イーストボーンユナイテッドFCと同じような施設環境を持つクラブが地域に根付き、同じようなサッカークラブが点在し積み重なっていった背景があるのだと改めて実感した。

今回プレミアリーグを観られなかったけれども、イーストボーンユナイテッドFCを知らずにイングランドのサッカー文化を知った気にならなくて良かった。

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イングランドの地域リーグを観ることができて勉強になったし、大変貴重な経験ができた。ただ、今回知ったことだけでサッカー文化を語るのは少し違うとも思った。まだサッカー文化を知る上で、これは小さな第一歩目かもしれない。だからこそ、「カテゴリーに関係なく、様々な角度からサッカーをたくさん観戦して、もっとサッカーを好きになろう」と、この時僕は心に強く誓った。



しかしながら、イングランドから遊んで帰ってからは寝込んでしまった。


と言うより、起き上がる体力が奪われてしまった。経験のない腹痛を感じて病院へ行くと即入院させられた。




原因は大腸ガン。




僕は21歳でガン患者となってしまった。






イングランドへ行くまでの半年間ぐらい腹痛と嘔吐をすることは日常的で、その旨を胃腸科で訴えても「ストレス」の一言で片づけられ、最終的に拒食症とも疑われていました。

ガンの進行と転移するスピードは発病する年齢によって異なり、年齢が若い場合は細胞も若いので当然進行はとても速くなります。そして発生した箇所によってはその箇所と隣り合わせになっている箇所へ侵中することがあります。

読者の方々に以下の自覚症状が起きたらすぐに病院で検査してください。
違和感がある腹痛、吐き気と嘔吐が続き、食欲が極端に減る。

香辛料を多く使う料理を食べるとすぐに胸焼けと吐き気が起きやすくなる。

にぎり寿司といった生魚系の料理は、咀嚼し飲み込んだ数分後に嘔吐する。
少々の痛みは我慢をしてしまいますが、以上のような自覚症状がある場合の痛みと我慢はよくないです。早く病院で検査をしてください。お願いします。

抗がん剤治療に関しては、説得されるのではなく、納得するまで主治医とよく話し合ってほしい。僕は毎食後に服用する薬の量が多いので水でお腹がいっぱいになるのが嫌だったので、抗がん剤治療はしていない。

入院期間中は術後の後遺症に向き合い、治療することのほか、病棟にいることによるストレスとも戦わなければいけなかった。

このストレスは、外出することができないストレスではない。他の患者との接触によるストレスである。対人関係を遮断すれば良いだけの話ではあるが、遮断することは僕にとって非常に難しかった。

談話室では患者同士の交流があり、病気になった者にしか分かり合えない辛さなどを共有することもできる。しかし、その交流の中で病状が一番重く、かつ話好きの人(寂しがり屋とも言う)がいるとある種の縦社会が自然と出来上がり、その方がトップになる傾向がある。

トップの方がリハビリをする姿を見て、自身も頑張るという素晴らしい相乗効果が生まれる側面がある一方、自身の病歴や病気になって悟った人生論を語ってマウントを取りたがる、本当に残念な側面もある。

病院内のガン患者最少年記録を打ち出した僕が彗星のごとくこの病棟内に現れた時期は、この縦社会が形成されていた時期であったため、格好の餌食となってしまった。

それは当然の話である。

病棟にいる患者は親または祖父母の世代の年齢の方しかいない。息子または孫と同じような歳の若者が病棟にいること自体が不思議に思うだろう。

談話室にいると縦社会のトップだけでなく、誰かしら僕に興味を持って声をかけてくる。さらに、その患者らをお見舞いに来た人からも質問攻めをされ、中には怪しい勧誘のようなものを受けたりもした。

聞き流す術と会話から逃げる術を持たない当時の僕は、ストレスでメンタル面を彼らに潰されそうになっていた。

そこに追い打ちをかけるのが、同じ歳のJリーガー中村俊輔

入院中にキリンカップ、スロバキア戦があり、病室のテレビで見た。この試合で彼は絵を描いたようなフリーキックをゴールにぶち込んだ。同じ歳の人が必死にボールを追いかけ、活躍する姿を見るのは入院中の僕にとって非常に辛いものだった。そう思う自分自身が情けなく、号泣した。

ふとサッカー観戦への想いが蘇るたびに、「もし病気になっていなかったら」と妄想することは多々あった。そして、手術前後はこの妄想は励みになった。しかし、術後の後遺症により世間一般が普通に暮らす生活リズムを取り戻せず、入院生活は予定以上に長引くことになった。

そうなると、何もできてない自分が夢のような妄想をすることに嫌悪感が生まれてきた。そして、当たり前のことを当たり前に、何も悩まず、不安に思わず、ありきたりな普通の生活がしたいと望むようになった。

目の前の目標として社会復帰をすることしか考えられず、サッカー観戦をする想いを力づくで封印していった。

それから10年が経って完治し、元々下手なのにより下手になってしまったが一応ボールを蹴ることができるまで元気になった。時には封印したはずのサッカー観戦への想いが蘇ることもあった。しかし、この想いが蘇ると同時に入院中に受けた嫌な思い出なども蘇るため、「それはそれ、これはこれ」と割り切って考えないようにしていた。

ところが、OWL magazineと出逢ったことで再びこの想いを思い出すことが日に日に増えてきた。そのサイクルが短くなってきたこともあり、最大限の抵抗をしながら考えないようにしていった。


7. 思い立ったら吉日、さぁサッカー観に行こうや

僕がOWL magazineの魅力に惹かれた根本的な部分はいったい何だろうか。

全ての記事の中で、著者自身をよく見せようする言葉で紡いだ文章がなく、一つ一つの文章を通じて著者の生き様を垣間見ることができる。

この点こそがOWLmagazineの魅力だと僕は思う。

著者は誰かに急かされている訳でなく、自分のペースの中で常に全力疾走している。その姿勢を真似てみたいと思うようになった僕は、再び円子文佳氏「ごはんと元カレ」の記事を読み返した。そして入院していた頃の心の持ち方と今現在の持ち方を見直した。

僕は病気をしたことでたくさんの事を諦めた。さらに「カテゴリーを問わずサッカー観戦をたくさんする」という想いも社会復帰をしたいがため諦めざるを得なかった。

その反面、諦めたことで新たな視点、健全で過ごすことができる人と真逆の立ち位置での視点も持てた。結果として自らの身体を駆使してしまったが、通常ではできない経験ができて良かった、と思い込むことで僕は自分自身を説得させていた。

しかし、心のどこかで納得はできていなかった。だからこそ、OWL magazineを購読したのだと思う。そして、封印していた想いが蘇り、あれから19年経ってもまだ納得していなかったことに対して憤りがあり、葛藤してしまったのだと思う。

このように自己分析できると腑に落ち、「僕が病気をしたことは仕方ないことだった」と考えないと本当に前へ進めない気がしてきた。

あなたは、イングランドの地でカテゴリーを問わずサッカー観戦をたくさんすると誓いました。それを「運命として受け止める選択」はできませんか?

― はい、できます。運命として受け止めないといけません。 

直接会ったことはないけれども、勝手に嫉妬しているふらいくる氏へ「素敵やね!いいね!」と思えずにずっといるのか?

― 男の嫉妬はカッコ悪いです。嫉妬はもうしません。

あなたは中村慎太郎氏のように一生の宝物を再び探しに行かないでいいのか?

― 新しい宝物を探しに行きたいです。いえ、探しに行かないといけません。

自問自答をする僕をOWL magazineは誘うのです。

「思い立ったら吉日、さぁサッカー観に行こうや」と。

OWL magazineはサッカー観戦へ行かない僕の背中を押してくれた気がした。観に行くと決心したらあとは行動するのみ。手始めにJFLのクラブの試合を中心に観ようと思ったその結果——。

・3月31日 JFL 奈良クラブ 対ホンダロック@奈良橿原

・7月3日 天皇杯2回戦 ジュビロ磐田対ホンダロック@ヤマハスタジアム

・8月14日 天皇杯3回戦 Honda FC対徳島ヴォルティス@ポカリスウェットスタジアム

2019年8月末時点で以上3試合を現地観戦し、今まで封印したサッカー観戦する想いが一気に爆発することになった。

これらの試合を観に行くと宣言するたびに、妻や親、兄弟に伝えると「縁もゆかりもないクラブの試合を観て楽しいか?」と質問された。

これは、時間とお金を使って縁もゆかりもない土地で観る試合が期待はずれだった場合を心配しているからだと思う。

縁もゆかりもないからこそ、俯瞰的に試合やスタジアム内外の雰囲気を楽しむことができる。また、「知らなかったことを知った」瞬間の感動のレベルは、縁もゆかりもある時以上に大きくなることを僕は知っている。

なぜなら、封印した想いの原風景にある2000年のイーストボーンユナイテッドFCが教えてくれたからだ。

その教え通りに僕は試合を全てアウェー側で観戦し、試合を思う存分楽しんだ。それらの会場で本当にサッカーが大好きなサポーター達と出逢った。愛するクラブを想って歌う彼らの姿はとても美しかった。

僕も彼らと同じように輝きたいし、負けないぐらいサッカーを好きになりたいと率直に思った。

そして、まだ行ったことのないスタジアムへ行きたいという目標もできた。

アルウインで試合を堪能するほか、白線流しのロケ地やパルコにも行きたい。

都田へ行ってHonda FCの歴史を勉強したい。そして試合会場でしか買えないHonda FCグッズを買いたい。

野津田へ行く場合は必ず旧鎌倉街道を歩いて行く。へばって辿り着いてしまったら、ゼルビーにケツバットされて気合いを入れてもらいたい。

北九州スタジアムでは海ポチャを期待しながら試合とスタジアムから見える風景を楽しみたい。

目標に挙げたスタジアムへは、いつ行けるのかは分からない。気が変わって他のスタジアムへ先に行くかもしれないが、決して「行く行く詐欺」はしない。こんな楽しい妄想ができるのは本当に嬉しい。
 
ありがとう、OWL magazine。これからもよろしくお願いします。

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編者より
豊田さん、初めての執筆が大作になりましたね。執筆お疲れ様でした。最初に頂いた箇条書きのメモを膨らませるときっと良い記事になるだろうと直感したのですが、それは間違いではありませんでした。こんなに自分やOWL magazineがべた褒めされている記事を編集するのは照れくさくもありましたが、とても嬉しかったです。文字通りやってきて良かったなと思いました。

以下の有料記事の部分ではOWL magazineに寄稿するまでの悪戦苦闘について豊田さんにまとめてもらいました。これからご寄稿を考えている方は是非お読み頂ければと思います。

豊田さん、読者の皆様、フクロウたちの旅はまだまだ続きます。必ずどこかでめぐりあいましょう。 
OWL magazine 中村慎太郎

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