「モノがある」ことの不思議 存在について~その1

「コペルニクス転回(てんかい)」と言う言葉を聞いたことがあるだろうか。西洋の大哲学者イマヌエル・カントがもたらした、認識論上の大革命をこのように呼ぶのだ。

このコペルニクス的転回と呼ばれる大発見により、カントは私たちの認識の在り方、つまり平たく言うと「私たちのモノの見方」というものを全く変えてしまったのだ。そして、これは哲学史上、極めて重要なものでもある。

哲学のビッグネームカントによる「モノの見方の大転換」… そう聞けば哲学に関心のある人はもちろん、あまり関心の無い人でも「ん?なんか知らんがすごそうだぞ」と興味を持たれるのではないだろうか。

だが、一方で、その内容はとても難解である。簡単に理解できるものではない。正直なところ、私自身もどこまで本当に分かっているか、心もとないところも認めなくてはならない。

というわけで、今回はカントの「コペルニクス的転回」について、精一杯わかりやすく紹介してみようと思う。

実はこの言葉は、元々はカントの業績を示したものではない。勘の良い方はもうお気づきかもしれないが、コペルニクスとはポーランド出身の天文学者のことである。

 コペルニクスは、今から500年ほど前、地球が太陽の周りを回っているという、今では当たり前だが当時としては画期的な地動説を広めたことで有名だ。

ちなみにコペルニクスは、キリスト教の教会から異端であると非難され、「それでも地球は回っている」と自説を撤回させられたとされるガリレオ=ガリレイの約90歳年長である。 

それまでは地球が宇宙の中心だと信じられていた。しかし、コペルニクスが地動説を発表したことで、「地球は太陽の周りを回っているに過ぎない」とこれまでの宇宙観が180度変わってしまった。コペルニクス的転回は、元々はこのことを指していた。

そして、コペルニクスから遅れること、およそ300年。ドイツ(当時はプロイセン帝国)に現れた哲学者カントのもたらした哲学上の大転換のことを指すようになったのである。

カントのもたらした認識上の大転換とは?

さあ、それではいよいよコペルニクス的転回の核心に触れてみたい。

冒頭の方でも書いたが、これは「認識論の大転換=モノの見方が大きく変わった」ということである。

カントの言葉を借りれば次のように説明される。

 「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従う」 

イマヌエル・カント


なんだか、ホンモノっぽい感じはする。だが、これだけではわけのわからない。

哲学はいつも抽象的な問題を扱うので、慣れていないと(慣れていても)とても難しい。というわけで、身近にある「リンゴ」を例に説明してみよう。

リンゴはなぜに赤いのか

下にあるリンゴ、何色に見えるだろうか。


リンゴ何色?

「赤い」と答えた人、大正解!

「当たり前だ!」と叱られそうだけど、続けてもう1つ質問します。

「リンゴはなぜ赤いのだろうか?」

「はぁ?リンゴは赤いから赤いんちゃうんけ。アホか!」

もし、あなたがこう答えたとしたら、あなたはカント先生に叱られてしまうだろう。

 カントによれば、
「リンゴが赤く見えるのは、リンゴが赤いのではない。オヌシが赤く見ているだけなのじゃ」
ということになる。



ケーニヒスベルクから一歩も出たことのないカント先生


カントの言ってることってホントなの?

「客観的な世界など認識できない。世界は主観的に把握できるのみ。」

少し意訳をすれば、カントはこのように言うわけである。

 カントの言っていることは、常識から外れた、いかにも哲学者が言い出しそうな意味不明のヘリクツに聞こえる。しかし、実はこのことを否定するのはとても難しい。

 リンゴは赤いと言うが、例えば目にある種の障害のある人には赤く見えない。「でも障害のない人には赤く見えるじゃん」って言われそうだが、もし、目に障害のある人ばかりだと赤いリンゴなど有り得ない、ということになる。

また、地球人には赤く見えたとしても、地球人よりはるかに優れた目をもつ宇宙人なら、赤なんてものではなくもっと複雑な色に見えるかもしれない。そもそも、色とは物理的には電磁波の波長の長さのことで、波長がある長さの時に人間の大多数にはたまたま赤く見えて、また波長が別の長さの時には青く見えるということに過ぎないのだ。

世界は感覚的に認識されるのみ

カラスや宇宙人はともかく、人によってモノの見方は異なる。これは人間は感覚器官を通してモノを把握しているからであり、逆に言えば、感覚器官がなければモノを把握できないということだ。


感覚器官と対応する世界の関係


1、目ー視覚ーモノの発する可視光線

2、耳ー聴覚ー振動による音波

3、鼻ー嗅覚ー特定の化学物質の微粒子

4、舌ー味覚ーモノ(主に食べ物)のある性質を味に変換

5、皮膚ー触覚ー圧力や温度


人間には上の表に示した感覚器により世界を把握している。

例えば「風の音が聞こえる」、ということは正確に言えば「空気が振動することにより音波という物理現象が耳という感覚器官に達し、「ヒューヒュー」という感覚が脳の中で生じる、ということだ。

つまり「ヒューヒュー」という音がするという現象は、「風が吹く」という客観世界の物理現象と人間の持っている感覚器官のコラボレーションということができる。

私たちは五感によって世界を把握しているが、五感によってしか世界を把握できていないとも言えるのだ。

東日本大震災に絡む原発事故で、放射能の心配を持った人も多いと思う。目に見えない放射能を検知するために「ガイガーカウンター」という機械が必要だが、これは人間が放射能を知覚することができないからだ。

もし、広い宇宙の中に、鼻の横あたりに「ホシノ」という出っ張った感覚器があって、放射能を知覚できる宇宙人がいたとすれば、彼らは当然、放射能を見る(というか分からないが)ことができる。

それは、人間がリンゴを見て「真っ赤で美味しそうだね」というのと同じ感じだろう。そしてそんな宇宙人同士は

「あのリンゴは放射能があまり出てないから、甘そうだね♪」

「は?何言ってんの?放射能たっぷりでとるやん。お前のホシ腐ってんじゃないの」

なんて会話をしてることだろう。

「リンゴが赤いということは絶対確実な真実ではなく、見る側の都合による現象の1つに過ぎない」ということなのである。

「ふーん、そんなもんかー」と半信半疑といったところだろうか。しかし、このことは現在では多くの哲学者や科学者が一つの真実として受け入れているのだ。

結論

いかがだろうか。私たち人間がいかに世界を部分的にしか理解していないかがお分かり頂けたのではないかと思う。

西洋では人間は、神の似姿であり、他の動物とは違う特別な存在だと考えられていた。そして、その人間が本気で突き詰めて考えれば世界は把握できると無邪気に期待されてもいた。

それが、カントの登場により、

「は?世界を把握?そんなのムリだよ。ちゃんちゃらおかしいね♪」

という鋭い見方を突き付けられたのである。

 このような考え方の大転換をもたらした西洋の偉大な哲学者カントだが、実は東洋ではカントより数千年も早くこのことに気づいていた人物がいた。
古代○○で生まれたその人物の天才的な頭脳から生み出された強力な理論は、現代においても多くの人々を魅了し続けている。

次回は、存在について~その2として、その人物の提唱する「○の理論」についてご紹介する予定です。


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