見出し画像

ビジネス歳時記 武士のおもてなし 第48話「煤払い」

一年の厄も落とした、大奥での胴上げ

我が家は団で煤をはらひけり(一茶)。12月に入り、そろそろ大掃除の日程を決めなくてはと、考えている方も多いのではないでしょうか?
 
江戸時代も、12月は正月を目前にして一年の汚れを落とす大掃除をしました。当時は蝋燭などを多く使う暮らしだったことから「煤払い」や「煤掃き」ともいい、江戸城の「将軍家の煤払いの定日」(12月13日)に倣い、武家屋敷や町人の商家などでも、この日に多く行われました。

町家では、掃除が終わると陣頭指揮をとった家長などを胴上げして、その家長は労いの食事や新しい手拭いなどを使用人や手伝いの人に贈りました。
今回は、この煤払い後の胴上げや打ち上げが、江戸城の大奥でも行われていた話題を中心にご紹介しましょう。

「煤梵天(すすぼんてん)」「煤男(すすおとこ)」※というのが、煤払いに使う道具の名前。煤竹の先の葉だけを残し、ハタキのように仕立てたもの、または藁をモップのように竹竿に結びつけたものなどが、使われました。ただし、大奥では鳥の羽根を結んだ「天井払い」というものを使いました。

おそらく、正室や側室たちの部屋は繊細な造りの御簾や調度品などが多く、笹や藁で煤払いをするというわけにはいかなかったのかもしれません。
 
ちなみに、大奥の広さは江戸城全体の半分以上を占めていたと言われています。弘化2年(1845)当時の江戸城で、江戸本丸が総建坪11,373坪(37,530平方メートル)で、大奥は6,318坪(20,850平方メートル)。

一説にはそこに500~600人の女性たちが所属し、将軍以外は男子禁制の暮らしをしていたわけです。しかし警護をはじめ、建物の修繕、物品の調達などおよそ300人の幕府の役人がおり、大奥全体の運営を統括したのは「留守居(るすい)」※という役職の役人でした。

この留守居の陣頭指揮で、大奥の煤払いも進行するわけで、部屋数も多いことから12月の初めから一部屋ずつ順に煤払いを開始し、12月13日は最終の仕上げ日となりました。正室の御座所などは最後に掃除してから、新品の畳に入れ替えました。

掃除が済むと、「納めの祝い」※として、後は打ち上げになりました。その打ち上げで行われたのが、胴上げ。ここで標的となったのは、留守居の役人でした。

「目出た目出たの若松様よ、枝も栄えて葉もしげる、お目出たやサァーサッササッササ」と歌って、大奥の女性たちが担ぎ上げて、胴上げをしました。女性だけといっても、中には「御末(おすえ)」という、雑役や掃除のほかに江戸城の正門についた駕籠を、男子禁制の大奥の入り口まで150メートルくらい担ぐなど、力仕事ができる女性たちも混じっていました。

この胴上げは、「厄払い」の意味もあったといいますが、限られた空間の中で女性たちだけで暮らしているストレスを発散する、ちょっと手荒いもてなしだったのかもしれません。

江戸時代後期の大名で肥前(長崎県)平戸藩主松浦静山が書いた『甲子夜話』※には、煤払いだけではなく、新年の節分の際にも、座敷を掃き清めると、やはり留守居など年男の胴上げを行ったことが記されています。

「ご祝儀につき胴上げをいたします」と、位の高い老女衆がお断りの挨拶をするのですが、数多い行事のひとつを成し遂げたことの祝いや、季節の変わり目に行って病や厄を払うという意味があったようです。

この12月13日に行う煤払いの行事と、そのあとの胴上げの慣習は、武家屋敷や商家から一般庶民にも伝わり、広く行われるようになりました。大奥では打ち上げ後に酒と、里芋や大根、牛蒡などの煮染めや塩鮭、あんころ餅などのごちそうを出し、これに庶民も倣いましたが、商家などは手早く食べられる蕎麦などを出すことが多かったようです。また、大晦日まで何かと忙しい商家同士は“煤見舞い”として、蕎麦を贈り合う習慣もありました。

 【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル


※煤梵天、煤男
年末の煤払いに用いる笹の葉や藁がついている竹竿。掃男ともいう。使用後は戸外に立てておき、川に流したり、新年のどんど焼きの時に注連飾りなどと一緒に燃やしたりする。
 
※留守居
江戸幕府の職名。老中の支配下にあり、大奥の取り締まり、奥向き女中の諸門の出入り、諸国関所の女手形などの事務、将軍不在のときは江戸城中の警衛などを担当した。留守居年寄。奥年寄ともいう。
 
※「納めの祝い」
明治23年に描かれた「千代田之大奥 御煤掃」(楊洲周延画)。胴上げの様子がユーモラスに描かれている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1302681
 
 ※『甲子夜話』
江戸後期の随筆。総278巻。松浦静山によって文政4年(1821)から天保12年(1841)まで書かれた。大名・旗本などの逸話、市中の風俗などを記述。書名は11月の甲子(きのえね)の夜に起稿したことに由来。
 


参考資料
『江戸年中行事図聚』(三谷一馬著 中公文庫)
『図説 民俗探訪事典』(山川出版社)
『図解・江戸の四季と暮らし』(河合敦著 学習研究社)
『日本人はなぜそうしてしまうのか』(新谷尚紀著 青春出版社)
『江戸城の見取り図』(中江克己著 青春出版社)
『日本風俗史事典』(日本風俗史学会編 弘文堂)
『図説 俳句大歳時記 冬』(角川書店)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?