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ビジネス歳時記 武士のおもてなし 第41話「お救い小屋」

官民が力を合わせた、復興の拠点づくり

「地震、雷、火事、親父」とは、この世で怖いもの順に並べたことわざ。最後のかつて家長として権力を握っていた「親父」とは、台風を表わす「大山嵐(おおやまじ)」が訛って伝わったとされています。

ところで、9月は近年の度重なる震災の教訓を見直す防災月間として位置付けられています。そこで、今回は江戸時代の地震対策や、救援活動について少し触れてみたいと思います。

およそ300年続いた江戸時代の中で起きたマグニチュード6~7以上の地震は、およそ30回を数えます。関東や、三陸沖や雲仙、富士山の噴火による地震などは繰り返し起きています。

なかでも、南関東に被害をもたらした「元禄地震」(元禄16年/1703)や、関東から九州までの全域を襲った「宝永地震」(宝永4年/1707)、江戸の下町を中心に1万人の死者を出した「安政地震」(安政2年/1855)などの大きな地震がありました。

「元禄地震」では、続く余震と、綱吉の政治が悪いから地震が起きたという民衆の間での噂を恐れて、徳川綱吉※が伊勢神宮や江戸の山王神社、神田明神(神田神社)、鎌倉の鶴岡八幡宮などの神社に祈祷を命じています。綱吉はその噂を払拭しようと、江戸城内にも僧侶や神官を呼んで祈祷の儀式を行い、神楽※の奉納まで行っています。

余震が治まった翌年には、各神社の貢献度か社格に応じてなのか、伊勢神宮には米100石、山王神社には銀貨100枚などそれぞれを贈り、その働きを労っています。まさに、神頼みということだったわけです。しかし、民衆は「鯰絵」※などのように、この地震をお上に対して声を上げられる「世直し」「世直り」の好機として捉える逞しさも持っていたようです。

また、「安政地震」の記録では、地震の5日後には浅草広小路、防火用の空地の上野御火除け地、深川八幡社(富岡八幡宮)など5カ所に「お救い小屋」が設けられています。今の避難所にあたるもので、住まいや食べ物を失った2700人に上る被災者を収容しました。

これには、江戸にある各藩の下屋敷なども多くの被害を被った中、武士たちが迅速な行動をとっています。当時16歳で、後に南町奉行所与力として活躍する佐久間長敬(おさひろ)※の体験談によると、奉行所に集まった若い与力や同心たちは救援を直ちに決定し、具体的な救援方針に基づいて動き始めました。

安政地震は下町の被害が甚大でしたが、この地域は日ごろから度重なる火事などに備えて、商人たちも商品の備蓄をしていました。その備蓄を買い集めて、お救い小屋で怪我の手当てや炊き出しが行われました。

被災者には一日5 合の米が配られたほか、味噌・醤油・芋・菓子・手拭いなどの支援物資が商店から持ち込まれています。また、床屋や髪結いたちが小屋に訪れて、ホコリまみれになった髷などを整える奉仕も行われました。
そして、安政大地震で集まった義援金※は一説には15,184両にもなったとされています。

公私にわたる寄付の全貌はわかりませんが、そのうちの681両を一人でポンと出したのが、幕府の各部署にさまざまな商品を納入していた日本橋の豪商の川村伝左衛門※。こうした豪商や町の旦那衆たち、与力などのお役人たちが、有事の時は連携して協力をし、江戸の町は縦割りではない、人としての繋がりで復興を遂げたのでした。
 
【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル


※徳川綱吉[1680-1709]
徳川家光の4男。延宝8年(1680)、江戸幕府第5代将軍となる。治世不良の大名や不正代官の処分などを推進。その後、柳沢吉保ら側近を寵用して幕府の財政を悪化させる。「生類憐みの令」により犬公方と呼ばれた。
 
※神楽
神前で行われる歌舞のひとつ。神座を設けて招魂・鎮魂の神事として行ったのが、神楽の古い形。宮中などで行われる御神楽と、民間の里神楽に分かれる。※「鯰絵」安政江戸地震発生後、大量に出版された錦絵の版画。大鯰の動きで地震が起こったとする俗信から社会風刺などにおよび、受け手の民衆にも評判になった。
 
※佐久間長敬[1839-1923]
江戸・八丁堀生まれ。南町奉行所に与力として代々務める佐久間家の長男。司法・行政・立法の中枢部の要職にあり、著書『江戸町奉行事蹟問答』は貴重な史料とされる。
 
※義援金
当時集まった義援金を現在の価格で換算するには、日本銀行金融所貨幣博物館の資料によると、米で換算すると1両が4~6万円、蕎麦で換算すると12~13万、大工の手間賃では30~40万円になる。
 
※川村伝左衛門[1822-1885]
幕末- 明治時代の商人。名前は迂叟(うそう)、富之など。通称が伝左衛門。江戸・日本橋で材木商を営み、幕府の用達を代々務める。宇都宮藩の山陵(天皇陵)修復事業にも資金を提供。明治4年宇都宮に洋式製糸機械を導入し工場を設立した。


参考資料
『日本人はどんな大地震を経験してきたのか』(寒川旭著 平凡社)
『千年震災―繰り返す地震と津波の歴史に学ぶ』( 都司嘉宣著 ダイヤモンド社)
『江戸の風評被害』( 鈴木浩三著 筑摩書房)
『日本列島地震の2000年史』( 保立道久、成田龍一監修 朝日新聞出版)
『江戸時代265年 ニュース事典』(山本博文監修 柏書房)
 

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