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ビジネス歳時記 武士のおもてなし  第39話 「虫籠」

細い竹ひごに込められた、人の情けと虫時雨

「消えなんとして仏燈や虫しぐれ」(佐藤紅緑)
8月も立秋を過ぎて旧盆のころになると、迎え火や送り火とともに虫の音にも季節の変わり目を感じます。

このころを境に、蟬に鈴虫や松虫など秋の虫たちが加わり、一段と壮大な虫時雨が聴かれます。蜩ひぐらしの「カナカナ」や鈴虫の「リーンリーン」など、虫の鳴き声を季節の情緒あふれる音色として聴き分けることができるのは日本人で、他国の人の耳には雑音としか聴こえないようです。

そして『江戸名所図会 五巻』の「道どうかんやまむし灌山聴蟲きき」※にあるように、武士も庶民も秋の虫の音色を探して散策する「虫聴き」の行事を楽しみました。また、美しい鳴き声の虫を虫籠に入れ、風鈴と同じように季節の音として楽しみ、客人たちをもてなすものとしていました。

鳴く虫と虫籠というと、小説『竜馬がゆく(5)』※の中にこんなシーンがあります。西郷隆盛の藩邸を訪ねた坂本竜馬が、隆盛を待っている間に鈴虫を庭で見つけて捕まえ、虫籠を借りて濡れ縁の軒のきば端にヒョイとぶら下げます。

その様子を見て感心した隆盛が、次の来訪時にも竜馬を喜ばせようと家臣に世話をさせ、鈴虫を絶やさないように用意していたというもの。丹念に史実を集めて物語を書いていたという作家の司馬遼太郎だけあって、当時の武士たち、人々の暮らしぶりが浮かび上がる逸話としても興味深く読めるのではないでしょうか。
 
歴史を紐解くと、虫を捕えて虫籠で飼い、その鳴き声を楽しむことをはじめたのは平安時代のこと。主に公家や貴族の優雅な趣味として伝わり、それが江戸時代になると単に捕らえた虫を飼うだけではなく、積極的に虫を繁殖させて販売するようになりました。つまり、採集ではなく、現在のように虫の売買がすでに江戸時代から成立していたというわけです。

これには、神田の“おでん屋の忠蔵”、“足袋屋の安兵衛”などの町人たちが、藩邸で暇を持て余していた武士たちに虫の繁殖を頼み、人気の商売にまで発展させたといいます。江戸市中に目立つように紺と白の大きな市松柄の屋台を構えた虫売り屋には、関西は箱型、関東は扇形をした竹製の虫籠が並び、賑わいを見せました。

この虫籠は、慶長10年(1605)ごろに駿府城に隠居した徳川家康が、大好きな鷹狩の餌箱を家臣たちに作らせたのがはじまりといわれています。その竹細工が後に駿河竹千筋細工※という静岡の伝統工芸となったのには、岡崎藩士の菅沼一我※による功績がありました。

一我は歌道や華道、茶道に機織りなど、諸芸に優れた武士でしたが、思うところがあったのか、武士の身分を捨てて、修行僧の雲水として諸国を歩きはじめました。天保11年(1840)、彼は駿河を訪れ、旅籠「はふや」に一夜の宿を取りました。

翌日、彼はこの城下町を歩き、下級武士たちが内職の竹細工を苦労しながら作っていることを知りました。旅籠に戻ると、彼は集まった人々を目の前に、丸く削った細い竹ひごで編み上げる「千筋(せんすじ)編み」という技術を披露したのです。

この新しい技術を覚えようと、人々が押しかけ集まり、いつしか一我は宿を出立する機会を失ってしまいました。人々の情熱はもちろん、駿河の人情あふれるもてなしと住みやすさにほだされて、彼は雲水になる志を捨てて竹細工の指導を続け、この土地で生涯を終えることになったのでした。

この駿河竹千筋細工で作られた「御殿虫籠」と呼ばれるものは、丸い竹ひごを使った、鈴虫の触覚を傷つけることがない繊細な虫籠で、大名や豪商たちの人気を集めました。こうして有名になった駿河竹千筋細工は、のちに日本の特産品として明治6年(1873)ウィーン万国博覧会※に出品されるほどの工芸品として評価されるようになりました。一人の武士が、細くて丸い竹ひごによって人々の暮らしを豊かにし、地元の産業を興すきっかけを創ったのでした。

【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル


※「道灌山聴蟲」
絵入りの江戸の地誌『江戸名所図会』の中に出てくる「虫聴き」の図で、道灌山(現在の日暮里あたり)の丘の上に、ゴザを敷いた人々が酒杯を傾けながら、虫の音を聴いているさまが描かれている。

※『竜馬がゆく』
司馬遼太郎による長編歴史小説。昭和37年(1962)から4年間にわたって産経新聞に連載された。幕末維新の志士、坂本竜馬の生涯を描いた内容。

※菅沼一我[生年不詳- 1856]
岡崎藩士。宿屋の息子に千筋細工を伝授し、のちにたくさんの弟子に竹細工を指導し、63歳で死去。

※駿河竹千筋細工
静岡市内を流れる安倍川などの川沿いには、良質の竹が生育しており、古くから生活用具としての竹製品が作られていた。駿河竹千筋細工の特徴の「丸ひご」を使った細工は鳥や虫を傷つけず、徳川家康をはじめ多くの大名たちにも愛用された。昭和51年(1976)に「伝統的工芸品」として経済産業大臣(通商産業)の指定を受けている。
静岡竹工芸協同組合 https://www.takesensuji.jp/

※ウィーン万国博覧会
明治6年(1873)オーストリアの首府ウィーンで開かれた博覧会。日本政府が初めて公式に参加、出品した博覧会で、名古屋の金の鯱など珍しく優れた工芸品を数多く出品し、日本ブーム(ジャポニスム)を巻き起こした。


参考資料
『図説 俳句大歳時記 秋一』(角川書店)
『花鳥風月の日本史』(高橋千劒破著 黙出版)
『竜馬がゆく(5)』(司馬遼太郎著 文芸春秋)
『職人という生き方 駿河竹千筋細工』
( ニッポンのワザドットコム編集部 ブレインカフェ)
『民具のこころ―江戸三百年』(前川久太郎著 時事通信社)
『定本 江戸商売図絵』(三谷一馬著 立風書房)
『駿河路を探ねて』(森都喜彦編 静岡県観光協会刊)
『謎解き 昆虫ノート』(矢島稔著 日本放送出版協会)
『 図説江戸 5 江戸庶民の娯楽』



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