中上健次論(0)

○中上健次より竹原秋幸の方が偉いのか

「秋幸三部作」の秋幸の項は現実には中上健次が位している。
中上は大学入学を目指して上京した後も当時としては破格の仕送りを受けており経済的に困窮することはなかった。肉体労働の経験はなかったのだった。

土方の秋幸を中上健次の項に挿入することで物語が駆動する。いや逆に駆動させるために秋幸を創造したといえる。

中上健次が秋幸に代替されることでその他の人物の意味も変化していく。
意味が他の項との差異によって決まることは構造主義の知見であるが『枯木灘』は「路地」を中心とする構造の物語なのだ。

『岬』では人称代名詞で「彼」と呼ばれていた秋幸が『枯木灘』では「秋幸」になり、「彼」の視点からの関係性で呼ばれていた登場人物も「固有名」で名指されることになる。

『枯木灘』に於ける秋幸は土方仕事に埋没し「自然」とひとつになっている。秋幸という固有名を持ちながらも反復される日々によって自分への違和感を封じ込め内省を阻んでいる。構造が秋幸を項として規定しているからだ。

構造に着目することで複雑な人間関係を把握して小説内に新しい語り口を導入することが可能になったが、
副作用のように「浜村龍造」という構造を破壊しかねない人物が析出されてしまった。

構造主義が人類学者のレヴィストロースを嚆矢とするのは示唆的である。
中上が知的好奇心溢れる作家であることは周知の事実である。特に『地の果て至上の時』に於ける秋幸の言動が『枯木灘』の秋幸比べて格段に知的レベルがあがっているとの指摘は多くある。

構造主義への典型的な批判には「静的」であり変化を取り扱うことができないこと。同じ理由から時間概念を導入できないことのふたつがある。

『地の果て至上の時』では『枯木灘』の登場人物は重なるが、秋幸の三年間の不在で人間関係は変わり果ててしまっている。
最大の理由は開発による「路地」の消滅である。中上は根拠としての「路地」の代わりに柄谷行人、浅田彰、蓮實重彦を召喚するのだが「路地」の代替になるはずもない。
中上の著作は迷走し始めたようにもみえる。
迷走の答えはルポである『紀州』にあるのだった。