【小噺】「霊魂贈り」について

ではそちらにお座りください。
よくいらしてくださいました。わたくし、山上隅之助です。はい、お話は伺っております。ええ、田丸様とはかれこれ十年来のおつき合いになります。
いまでは上場一部の立派な経営者でいらっしゃいます。まあ、わたくしのアドバイスなどどれほどお役に立てたものやら。ご本人のお力と努力がなければとても経営者として成功などできません。
わたくしは努力を向ける方角を少し修整するきっかけをお伝え申したまでのことです。

いえいえ、わたくしは霊能者とは違います。教祖でもありませんし、超能力者でもありません。催眠術師でもありません。

では何者かと?
そうですね。特に呼び方はわたくし自身は決めておりません。ご覧の通りの単なる爺でございます。

本業は明かせませんが零細企業を営んでいます。
ええ、はいはい。自分自身にこの能力は使いません。使わないのではなく使えませんが正確な言い方ですね。
使えれば大企業に成長してますよ。
ですからご紹介がなければお会いしません。
そうです、ただ副業でもないですよ。どんな形であれ「報酬」は頂きませんから。
なんて呼ぶのか。
「霊魂贈り」は田丸様が言い出した呼び方です。贈与だと看破されたのは田丸様ならではと言えるかもしれません。「人類学の権威」でもありますから。田丸様は。
「送り」ではなく「贈り」ですね。発音は同じですが。贈与は交換の失敗であるというのが田丸様ならではの慧眼でございます。贈与は心理的に負債の感情を生み出しますので、連鎖するのです。お返しをしたくなります。この負債感を解消したいと思う心の間隙を制御することでわたくしが力を発揮します。ごく、微細な力です。

ええ、全面的に公開してます。信じる方はいませんよ。荒唐無稽な話ですから。それに知ったところで誰もができるわけではございませんし。何をされたかはわからないようです。気がつくと終わっているようです。特に変化は感じないようです。急に頭が冴えるとかアイデアが溢れるとか、そういう明確な変化はないようです。単に結果として利益が上がるそうです。「運気が上がる」そのくらいの変化のようです。
「念を贈る」のですがその「念」の実質は具体的な「言葉の連なり」でしかありません。

全面的に公開していると申し上げましたが「念」の内容は秘密ですね。相手によって違いますから。その時、その人の状態に最も必要な「念」を贈ります。

負債感の連鎖が何処に向かうかはその時々、その方の人間関係が影響するようです。
以上です。

えっ、「念」はどうしたかですって?
はい、既にタイチ様の脳の回路に贈与されました。
これで終了です。


山上隅之助は慇懃な対応を崩すことなく、門扉まで見送りに来た。
タイチは感謝の言葉を述べた。山上はいつか、ゆっくり話をしたいので再会を望む意向をタイチに伝えた。
社交辞令だろう。しかしなんだったのか、茶飲み話にすらなってはいない。タイチはもやもやした気持を抱えて帰路についた。

タイチは市営地下鉄の階段をゆっくりと昇って地上に出た。四車線の国道を渡り、川岸の安普請のマンションに到着する。
リビングのソファには出かけた時と同じ姿勢で奈緒が読書を継続していた。
マグカップから珈琲の薫りが漂ってくる。それだけがソファを離れたことを証している。

「ただいま」「おかえり」一応、奈緒が顔を上げ視線を合わせる。
「どうだった」
「よく分からなかった」タイチはひと通り山上との話をした。
「贈与だと言ったんでしょう?」「うん、でも雑談としか思えなかった。田丸先生の事業が成功したこととは関係ないと思う。先生は行って話を聞けば分かると言ったけど、今のところ特別な印象も心境の変化もない」
「でも、念と負債感に言及したことに興味がわくよ」奈緒は珈琲を飲みほした。