破れ窓から喧噪を

「合成の誤謬」は便利である。何故なら個人の責任を問えないからだ。

一方に逆の結果に至るのが自由市場に於ける「神の見えざる手」である。マンデヴィルの「蜂の寓話」でもいいかもしれない。

各自が自己の利益を追求しても「神の見えざる手」が働いて全体としては均衡状態になる。

「神の見えざる手」は自由市場を前提条件としている。しかし市場も万能ではない。そこで神の代わりに「人間の見える万能の手」を導入することで市場を制御し最終的には市場という「場」そのものを消去することを目指すのが「共産主義」である。

共産主義を経済政策の究極とすれば「合成の誤謬」此処に極まるのではないか。人知だけですべてを制御できると思うのは傲慢である。

アダムスミスは神と言った分だけ謙虚であったのだ。そうなると「神は骰子遊びはしないと」と言った偉人は量子論からみれば「傲慢」にみえたのも当然なのだろう。