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「皆様の支えに感謝し、大阪から広島へ。」

3月中旬、大阪の病院へトレーナーと共に通院しました。正確には連れて行っていただいた。ですが(笑)

病院では、MRIの画像診断と診察を行いました。私の膝は、手術加療以外の選択肢がないほどダメージを受けていました。あからさまにおかしい画像に、思わず破顔してしまったほどです。(少し言葉の使い方が間違っていますね(笑))でも、それくらい、びっくりしました。

大阪の病院のドクターは、ここならW杯に合わせた処置をしていただけるから、と広島のドクターをご紹介してくださり、予め3月末に予約も取ってくださっておりました。

トレーナーと間に合う可能性があったら、どうする?もう一度、やるか?とと いうような会話もしましたが、この時私は何と言ったか覚えておりません。いろいろな感情がふんわりと頭の中に浮かぶ様な感覚で上の空でした。

あれ?間に合うのか?勝負できるのか?もう一度夢に向かって走れるのか?もし出来るならば、こんなに嬉しいことはない。

いや、もう一度苦しいリハビリに耐えられるのか?リハビリを重ねれば重ねるほど潰れていく膝に耐えられるのか?思う様に体を動かすことができない事に耐えられるのか?毎日毎日戦えるのか?

相反する感情が私の中にはありました。

帰りの道中、自問自答を繰り返しました。

思い返せば、タイにいる時から一緒に戦ってきた仲間が私を、言葉で、行動で、支えてくれていました。

帰国後も、仲間はもちろんのこと、お世話になっている皆様からご連絡をいただきました。

地元の皆様にも多くのお言葉をいただき、これからまた前へ進むエネルギーを補充することが出来ました。

ここにきて、やっと、これからのことを考えることが出来つつありました。

一度は自ら完全に閉ざしてしまった道ですが、もう一度、歩もうかと。

広島の病院の診察で可能性が0ではないならば、もう一度、勝負しようと。

人生において、日本代表となりW杯優勝を目指せるチャンスなんて、ほとんどないはずです。ですが、私にはそのチャンスが目の前にある。このチャレンジはするべきだと思えてきました。

周りの皆様に助けていただいたからこそ、このような思いに行き着きました。

決して一人では無理でした。

無理にでも引っ張って外に出してくれたトレーナー、11月のW杯に出る事を当たり前のように考えて対応してくださった大阪のドクターがいなければ間違いなく、もう一度戦うことを考えることができませんでした。

そして、地元の皆様。全てをやめようとしていた私に想いのこもった言葉をくださったからこそ、です。

周りの皆様の熱量、私に対する期待、心配り、それらを感じることが出来たからこそ、ここにきて、もう一度、前へ進む気持ちを持つことが出来ました。

この時、私も選手である以前に、1人の人間として、周りの皆様に心を配ることができる人間になりたいと強く思いました。

そして、3月下旬、皆様の思いに心から感謝し、新たなる決意を持って、広島の病院に赴きました。


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