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会社員のまま複業する私の自己紹介

はじめまして。HANAといいます。日本の東北地方に住んでいます。2023年に50歳になりました。初めてのnoteは自己紹介から。


会社員生活28年目に突入

親の期待に応え、ひと昔前の黄金の人生レールに乗っかって、40年ぐらい走ってきました。首都圏の大学を卒業後、地元に戻り、自営業の両親からすると「涙が出るほど安定してそうな会社」に就職し、結婚、3人の子どもに恵まれ、幸せ街道まっしぐら。でした。同じ会社に勤め続け春が来れば28年目に突入します。定年まであと11年。

レールから外れた12年前

東日本大震災が起こった年だったでしょうか?私が離婚したのは。子ども3人を引き連れて、私はシングルマザーになりました。黄金のレールから落っこちてしまったんです。「涙が出るほど安定してそうな会社」に勤めているからか、元夫からの養育費はなく、それを争う元気も意欲もないままワンオペ生活に入りました。離婚前後の引っ越しやら、戸籍の変更やら、なんやらはあまりに手続きがありすぎて何をどうやって乗り越えたのかあまり覚えていません。今思えば軽率でしたが、貯金をはたいてマイホームも購入してしまいました。25年ローンを組んで。その家があったから離婚に踏み切ったのかもしれません。(離婚前に契約しました笑)

あっという間に時間が過ぎました

子どもが離婚当時12歳(長男)、8歳(次男)、3歳(長女)でしたので、幸い転校はなかったものの毎日が嵐のように過ぎ去っていきました。離婚したのは7月末で夏休みだったのですが、休み明けから集団登校の登校班がガラッと変わり(当たり前)、学校までの道も変わり、それでも離婚前の家より学校に近くなったのでそこだけ切り取ると子どもたちは嬉しそうではありましたが、友達付き合いのあまり得意ではない長男はちょっと辛そうに見えました。小学校入学の時から、学校に行かないと言って朝は夫婦で(夫はそうでもなかったけど)格闘していました。無理無理車に乗せ、運転席を蹴られながら学校まで乗せて行ったことも何回もあります。

長男が不登校になりました

そうこうしているうちに、長男が中学校に行かなくなりました。小学校の頃から行きしぶりがあったので、そういう傾向がある子だとは思っていましたが、完全に行かなくなることは予想していませんでした。別れた元夫にドアを蹴飛ばされながら(今でも凹んだまま・・・)連れ出されたりもしましたが、中2の5月から完全不登校。徐々に家族以外と交流がなくなり、そのうち自室とトイレの往復しかしなくなりました。弟、妹とは会話せず、母とも必要最小限。いつ起きて、いつ寝ているのかわからない状態になりました。

次男は比較的普通のレールを走っています

一方の次男は、中学校までは成績最低レベルでしたが、スポーツが割と得意で、高校には推薦入学。そこで目が覚めたのか勉強しだして、偏差値市内最低と言われた高校の中でトップを争う成績になり、大学にも推薦入学。あとから振り返ると戦略的に見えますが、中学校までは本当に「おバカ」だったので、まさかこんな展開になるとは。今は東京の私大に通っていますが、普通のレールを「今のところ」走っています。

長女は自立心が旺盛

正直な話、あまりにも離婚してから忙し過ぎて、半分言い訳になってしまいますが長女の小さい時、何をしてあげたのかほとんど覚えていないのです。常に兄たちの行事(部活やらなんやら)に付き合わされていて、長女のためだけに何かをしたことがあまりない。現在中3ですが、思春期のせいもあってたまに「何もしてもらっていなかった」と責められることがあるのですが、本当のことだけにぐうの音も出ない。放ったらかしだったことの恩恵といえば、自立心が養われていることで、春から高校生(の予定)ですが、早くもバイトの算段と自分の予算で買い物し料理を「自分の分だけ」作るというワンマンぶり。早く家を出たいのだそうです。長男との記憶はほとんどありません。

2020年春から人生が動き始めた

コロナの襲来とともに、私のところにもzoomがやってきて、デジタルツールが大好きな私は瞬く間にそのオンラインツールの虜になりました。そこからオンラインで心理学を学ぶようになりました。長男の行く末が気になっていたからだと思います。次々と新しい講座を受けては満足し、いろいろなコミュニティを出たり入ったりしながら、地方で同じ会社で20年以上も変わらずに働いている自分の生き方以外の人生をまざまざと見せつけられました。

起業の原点

2020年夏頃からコーチングを学ぶようになりました。同時に「起業」に目が向くようになりました。当時所属していたコーチングスクールの主催が起業塾だったからです。
それまで会社員、まして私は公務員っぽい会社に勤めているので、会社のお給料以外にお金をいただくことができるとは、全く思っていませんでしたし、考えたこともありませんでした。それなのに「手のひらに1000円を乗せよう」というキャッチフレーズを響かせながら、その起業塾でお金を稼ぐ方法を学びだしたのです。「あれ?私お金稼いでいいの?」というのが正直な気持ち。でも、そこから本業とは違う世界で自分を表現できることに楽しさを覚え始めました。

会社員のまま複業する

副業ではなく、あえて複業です。今日は詳しく書きませんが、本業と同等のビジネスを起こしてゆくゆくは本業が副業になるような日が来ることを目標に活動を始めました。2021年8月からすこしずつお金をいただけるようになりましたが、2024年2月現在まだまだ売り上げは自己投資に全て消えてしまうような日々です。それでも平均すると月10万円ぐらいは稼げるようになっているので、小さな一歩ではありますが、着実に進めていると感じています。

このnoteで伝えたいこと

実は引きこもっていた長男は、現在少しずつ回復して私と一緒に外に買い物に出られるようになっています。そのプロセスは私がレールを外れた後、自分が本当にやりたいことを追い求め始めたころに重なります。会社が人生のメイン会場になっていた私ですが、そこから少しずつ新しい場を拡げている最中で、そんな私の日常と、子どもたちのこと、会社員のまま複業をするためのコツや、今私がハマっているコンテンツがなくてもビジネスができる方法などについてシェアしていけたらなと思っています。

どうぞよろしくおねがいします。

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