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「自分の人生が息をするみたいに簡単に流れずに息苦しくなる時にやめたほうがいいこと」の話

「でも私、文章を書くのはすごく好きですよ。毎日でもできると思います。たとえそれで生活費を稼げてなかったとしても」
「毎日できるのと、二十四時間できるのは違うよ。私はチーズが好きで、毎日一切れ食べるならできる。だけど、二十四時間チーズだけ食べ続けることはとてもできないよ」
 デンマークのアートコレクターさんの自宅で、私はイチゴのショートケーキをご馳走になりながら話を聞いていた。部屋には小さなアート作品がいっぱい飾られていて、時間の合っていない壁掛け時計が規則的なリズムを刻んでいる。

 二十四時間、文章を書き続ける。寝る時間や食べる時間をのぞいたとして、やろうとしたらできるだろうか。やってみたことはない。数日だったらできるかもしれない。でも一か月、一年だとしたら、物理的に無理な気がする。そもそも、プロの小説家だってそんなに書いてはいないはずだ。村上春樹はマラソンだってしてるし、ジャズだって聞いてる。

「二十四時間やれる人なんて、この世にいるんですかね?」
「行動じゃなくてね、ここのことだよ」
 老人は右手の人差し指で軽く自分の頭をつついた。
「二十四時間、当たり前に考えてしまうこと。気にしてしまうこと。たとえば私は放っておけば匂いのことばかり気にしている。明日の朝はバタートーストの匂いで目を覚まそう。夜は焦がした醤油の匂いを嗅ぎながら哲学書を読もうかなとかね」
「頭の中かぁ。そういうのであれば、割と作品については考えてるかもしれないです。うーん、でもそればっかりじゃないなぁ」
 私は最近、自分が考えたことを思い出す。コペンハーゲンで見かけたイヌが楽に生きてそうで羨ましいなと思ったこと。アートプログラムの応募に落ちてがっかりしたこと。何かいいニュースが振ってきたらいいなと思ってメールボックスを何度も更新していること。ブログ記事のアクセス数が下がっていることを残念に思っていること。ネットショップでポストカードでも売ろうかと考えて、どうせ売れないなと思ってやめたこと。

「なんか、ぜんぜん安定したこと考えてないですね。基本的にネガティブなことばっかりかも。うまくいかないことを数えてがっかりしている感じです」
「感情は娯楽の一種だよ。感情を伴わないことを思い返してみるといい」
「感情は娯楽?」
「そう。がっかりするのも怒るのも。ポジティブな感情もそうさ。一年間途切れなくずっと怒ってることも、ずっと笑っていることもできないだろう。ケーキと同じ、どっちも一時的な娯楽だよ」
 彼は残っているケーキを全部口に入れてから、フルーツティーをカップに注ぎ足して手に取った。「感情は刺激的だからね。エンタメとしては最高だ」

「感情があんまり動かずに淡々と考えていられることなら、やっぱり何かを創ることかもしれません」
「そうだろう。全ての人はだいたいクリエイティブなことに落ち着くんだ。書く、創る、売る、工夫する、人を笑わせる、手早くキレイに掃除することだってクリエイティブだよ」
「うーん、でもたとえば、ゴシップが大好きで一日中ゴシップが気になっている人もいるんじゃないですかね?」
 感情が大きく揺れ動かなくても、芸能人の不倫や熱愛が気になってしまったり、興味がなくてもツイッターをずっと眺めてしまったりすることは、果たしてクリエイティブなのだろうか。私自身、ブログのアクセス数が気になってしまって、何度も確認してしまうことがある。大きく感情が動かなくても、ほとんど自動的にチェックしてしまうのだ。しかし、その行動はクリエイティブとはとても言えない気がする。

「ゴシップいいんじゃないか」
「いい? どうしてですか? 一日中テレビとかつけて芸能人のゴシップを気にしてるのもいいです?」
「うん、いいじゃないか。なんでダメだと思うの?」
「えっ、だって誰かの不幸を喜んでるみたいじゃないですか。ゴシップを見てても何かを生み出せるわけじゃないし、すごく、なんか時間がもったいない気がします」
「君は、恋愛ドラマは好きじゃないのかな。あまり見ない?」
「そんなことないですけど。ドラマとか映画で恋愛ものは見るし、そこそこ好きです」
「それとゴシップって同じだと思わないか。恋愛ドラマだって、彼氏が友達と浮気してどうこうってやつはけっこうあるだろう?」
「でも、フィクションじゃないですか。リアルだと実際の人に迷惑をかけることがあるし」
 私は芸能レポーターが有名人の実家に押しかけて取材するケースや、パパラッチに追いかけられて起きた事故のことを思い出す。

「実在だと思っている人がフィクションだったらいいけど、リアルだとダメな気がする。私生活をのぞき見しているという行為は同じだったとしても」
 老人は一つ一つ確認するように言葉を組み立てる。
「そうですね、なんとなくマナーというか。自分だって私のプライベートを勝手にどこかで話されてたら嫌ですもん」
「私の友達で、ゴシップが大好きな女性がいてね。君と同じようなことを言っていたよ。一日中、芸能人のゴシップを追っている自分が嫌だと。時間の無駄だと分かっているのにやめられないって言って悩んでいた」
「人の恋愛事情を知ったところで、自分の生活が変わるわけじゃないですもんね」
「そう。だけどね、彼女はそれがやめられないことだった。彼女にとってはそれが呼吸のように必要なことだったんだ。本人も気づいていなかったし、一般的な考えとしてはゴシップを追ってばかりいるのは、あまりいい趣味と思われないだろう。だから、彼女は自分の衝動を深堀ることをしなかった」
「ゴシップを追う理由があったってことですか?」
「うん。彼女は高校生の時に出会った人とそのまま結婚していて、他の人との恋愛をしたことがなかったんだね。だから、恋愛ドラマにあるようなちょっとドロついた恋愛に憧れを持っていたんだ。芸能人のゴシップだとそれがリアルだろう? だから疑似体験できるような気がして楽しかったようなんだ」
「なるほど」
「そこで私は、それなら自分で書いてみたらどうかと勧めたんだ」
「自分で? 小説とかですか?」
「そう。彼女は小説なんて書いたこともなかった。でも一度やってみると言って書き始めた。彼女はもともとゴシップをさんざんチェックしてる人だったから、架空の俳優の恋愛話はいくらでも思いついた。今、彼女は恋愛ドラマのシナリオを書いているよ」
「ええ、すごいな」
 老人はカップを顔に近づけ、フルーツティーの香りを吸い込みながら深呼吸する。

「ゴシップを追っている自分を恥ずかしく感じている間は、彼女は周りのことばかりを気にしていた。なぜやめられないのか。どうして自分がそれを自然にやってしまうのか。自分のことを考えたら、彼女にとって呼吸するくらい自然なことがちゃんと出てきた」
「世間の常識や周りの人の意見に惑わされずに、自分と向き合うってことですかね」
「そうなんだけど、ポイントは彼女自身が自分はゴシップを追うのは本当はキライなんだって思ってたところだね。つまり彼女は、ゴシップを気にしてる自分を認めたくなかったんだ。だから、友達と共通の話題を持つためとか、家事の合間の息抜きだとか、ゴシップを気にしている自分のために、言い訳をいっぱい用意していた。それは普通に息ができるのに、酸素マスクをかぶって呼吸してるようなものだよ」
 老人はフルーツティーを飲まずに香りだけ味わって、カップをテーブルに置く。

「もしも君の人生が、息をするように当たり前に流れていかずに息苦しくなってしまうことがあるなら、彼女と同じように自分に言い訳をしてるのかもしれない。そういう時は、自分はこういう人間だと思っている自分、自分が信じる自分を全部一度放り投げるといいよ。

 それと、リアルとフィクションを分けないこと。脳の中ではどっちも同じことなんだから」

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これまでのお話はこちら。noteのマガジンから無料で読めます。
(アートコレクターさんとのトークはつづきものになっているので、
 連続して読みたい方はこちらからどうぞ)
https://note.com/ouma/m/mb998ef24686c


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・フィンランドでハンバーガーを食べながら決めた「コーヒーの味に感動する日」の話
・ブラジルの海岸で大泣きしている女性が「みんなからダメ出しされた後に選んだこと」の話
・フィンランドのギャラリーで聞いた「人生の最期に決めること」の話
・上海の猫のいるバーで泣いていた女性と話した「愛情をつくる方法」の話
・上海の美術館で聞いた「自分をすごくレベルアップさせる方法」の話

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https://note.com/ouma/m/m018363313cf4
(今後書くお話も含めて20話になります)


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