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"燃える白秋"="青秋"を生きる

本日は、18時から開催される[西武ニューリーダーズクラブ 21](事務局 西武信用金庫恵比寿支店)の講演会・交流会に会員外で参加させていただく。
西武信用金庫さんとは、お付き合いをさせていただいて10年以上になるだろうか。私と親しくお付き合いいただいていた多摩地区に本社がある会社社長が同金庫のお取引先で、「西武信用金庫は、本当に取引先のことを考えてくれる素晴らしい信用金庫だ」と仰って、彼から当時理事だった髙橋一朗さん(現理事長)を、私にご紹介していただいたことが切っ掛けだった。

週刊ダイヤモンド(2024.01.27)に、全国254の信用金庫の「格付け」ランキングが載っている。
預金や融資の規模の大小ではなく、収益力・効率性、財務の健全性、地域密着度・融資積極性の観点の独自の指標を使ってランキングにしたものだ。

その断トツのトップが、総合得点100点満点中、82.9点の西武信用金庫なのだ。
ちなみに、預金残高トップの40,053億円を誇る城南信用金庫の総合得点は45.4点にしか過ぎない(西武信用金庫の預金残高は22,586億円である)。

西武信用金庫は、預貸率が66.7%。約15千社の取引先企業の約7割が黒字だそうな。その理由は、30年前からお客さまの本業支援に取り組んできた成果だと言う。

まずは企業の本業を支援すること。企業の売り上げを伸ばし、利益を増やす本業支援を通して、金融機関の収益を上げることだと。それが地域金融機関の本来の役割なんだと。
だから、資金繰り支援から、事業再生支援や経営改善支援に注力している。

金融機関は何のためにあるのか?と考える。
大学時代、私が決して入社したくないと思っていた金融機関に入ったのは、「将来の松下電器やホンダを育てたい。金融機関は、松下幸之助さんや本田宗一郎さんのような志が高い経営者をサポートすることがミッションだ」と考えたからだ。
その当時から、私は経営の才は持ち合わせていないと自覚していたらしい。「せいぜい、大企業のサラリーマン経営者になれればいい」と思っていた。
いや、"せいぜい"とはおこがましい。大企業の経営者にも、経営の才は必須だから、私は全くその該当者ではない。
それをやっと71歳の今になって分かった。ちょっと「遅かりし由良之助」だ。

私は銀行家になりたいと思った。銀行屋にはなりたくないと思った。
銀行屋は高利貸しではないが、あくまでも預貸の差を利益として、それ自体が目的だ。それに反して、銀行家とは、将来の松下幸之助、本田宗一郎、稲盛和夫を、主として金融面からサポートする。銀行経営者も哲学を持った哲人ではないかと思う。たとえば、その人は渋沢栄一であり、安田善次郎だと思っている。そんな思いで、私は思い切って安田信託銀行に入社したのだ。

そして、7年3ヶ月の人事部経験を経て、ベンチャービジネス取引の新規開拓の責任者として、本店営業部の課長にさせていただいた。そして、私のキャラクターをフルに活用してベンチャービジネスの若き経営者たちと昵懇になって取引開拓に勤しんだ(ほとんど、貸出稟議は優秀な部下たちに一任した。その点では、凸凹過ぎる営業課長だった)。
バブルが弾けて、銀行は進むべき方向を180度転換し、ベンチャービジネス開拓は絵空事になってしまい、私が決してなりたくない銀行屋に成り下がってしまった。
私のその時の思いは、入社当時の熱い想いを抱いて、彼らベンチャービジネス経営者との熱い交流をすることができたことを、銀行に入社した最大の喜びと思っている。

西武信用金庫の髙橋理事長から、多くの部下の方々をご紹介いただいている。そのお一人が堀田弘一郎恵比寿支店長だ。
私は堀田支店長にベンチャービジネス経営者を何人かご紹介している。そんなご縁で、今回の集まりにお誘いを受けたわけだ。

青春の志を持って安田信託銀行に入社した頃を懐かしく思い出す。
人事部を卒業して、ベンチャービジネス新規開拓の課長を任せられた当時を懐かしく思い出す。

やはり、燃える春、燃える夏は心も燃える。今、私は燃える秋に生きている。白秋ならぬ青秋か。
私は、これからの燃える白秋=青秋を生き抜いて生きたい。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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