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"ついてる"と"ありがとう"

今週はアポがほとんど入っていない。
昨日は寒い日だったが、天気は良かったのでそれではウォーキングと思っていたが、机に座りっぱなしの電話セールスの一日になった。
しかし、今日からの1週間、たっぷりとウォーキング三昧ということにしよう。

[OUEN 信念会]はその名の通り、信念を持って、人たちを応援するスタートのイベントになった。
これからの21世紀はどうあるべきかという提案もできたように思う。講演者のFlora のアンナCEOの講演に感銘する人も多く、彼女に深く感謝するものだ。
かくして、[OUEN 信念会]を盛会裡に終えることができて、これからが、私の"71歳の突っ走る1年"になる。

よく183名もの人たちが集まってくださったものだ。
斎藤一人さんの「ついてる」、小林正観さんの「ありがとう」ではないが、私の人生は「ついてる」し、その「つき」を与えてくださった神仏や天に深く感謝するものだ。素直に、自然に、「ありがとうございます」の言葉が心身全てから発せられるのを自覚することができる。

幼少の時から、私は、「私は運がいい」と思うことが多かった。学校の成績でも、金沢大学附属高校に推薦していただいたことでも、ストレートに東京大学に入学できたことでも。公務員になれなかったことは、その時は残念至極だったが、もし警察官僚になっていたなら、人を取り締まるどころか、自分の人の好さが災いして、自分がお縄になるようなことをしでかしていたのではないか。そんな予感がする。
「くわばらくわばら」

全く柄にも似合わない金融機関に入ったことも運がいいことだったと思う。銀行に入って妻と巡り会い、結婚したこと。3人の息子たちがすくすくと育ってくれたこと。
全く銀行員らしくない私ではあったが21年間ほとんどストレスもなく私の個性を潰されることもなく、そのまま、幼子の心のままに育てていただいたことに感謝する。
人が大好きな自分だから、人事部という"人ごと"の仕事に7年3ヶ月に亙り務めさせていただいたのか。融資経験のない私が、オーナーと良好な人間関係をつくれるだろうと、人好きというだけでベンチャービジネス開拓の最先端の課長にしていただき、そこで稲盛和夫さんとの邂逅があったこと。
44歳6ヶ月で銀行を中途退職し、七転八倒の四半世紀が始まったが、その七転八倒のおかげで、身を以って人の情けを知り、そして血肉として体感することができ、そのことで多くの友人に巡り会った。今までの人間関係がより一層深いものになった。そして、"応援の真髄"を極める道をまっしぐらに歩くことができたこと、その'応援"が今の私をつくっている。「苦労は買ってでもせよ」は真実だろう。

古稀になって、生前葬&出陣式を行ない、勝手に"女性の応援団長"になってからというもの、不思議なことに、多くの、心清き、心温かい、賢女たちが私の周りに集まってきてくださるのだ。
そして、"友だちの友だちは皆友だち"、"類は友を呼ぶ"の諺通り、その賢女たちは、同じ思いの賢女たちをお連れになるのだ。

真っ直ぐに生きていれば、必ず運はついてくるのだろう。真っ直ぐ生きようと思うと、自然とそのように生きるようになる。

小林正観さんは、心で思わなくても「ありがとう」を言い続けることが、完了系で「ありがたいこと」が身に降りかかってくるのだと仰る。「ありがとう」という美しい言葉を言い続けると、それが現実になるのだ。言霊が人の心をきれいにするのだろう。

私は、「普通は、利己と利他は正反対だと思うだろうが、利己を極めるとそれは利他の入り口に辿り着く」ものだと思っている。
人間は幸せを追求する生き物だ。自分がどういうふうになったら幸せだと思うのか。私は幸せになりたい、人一倍幸せになりたい利己主義者だ。
私が一番幸せに思うことは、私がしたことで、人から「ありがとう」と言ってもらった時だと思うに至った。「ありがとう」と言ってもらって、こちらが気持ちがいいから「ありがとう」とお返しする。究極の利己主義者は利他主義者の一年生なんだろうと思う。
人生は丸い円だ。人は円の周りを回っている。ある一点から右へ行けば利他、左は利己。利他と利己はどんどん離れていくが、究極はグルっと回って鉢合わせになる。すなわち、自利利他だ。
自利利他が忘己利他(もうこりた)にまで辿り着くのは、凡人なら棺を覆う時になるだろうか。
それでも自利利他を続けていけば、いつかは忘己利他に近づく。

ついてる
ありがとう
人の情けに感謝する
人のために生きる

自分のことから人のことへ

それが幸せということだろう。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)


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