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西郷隆盛よ、出でよ!!!

自由民主党の"派閥"がパーティーの裏金問題で姦しい。政治の瀬戸際に追い込まれていると言っても過言ではない。岸田内閣の改造、崩壊もあり得ることだ。
さりとて、それに変わる傑物が、果たして、今の日本にいるのだろうか。

安岡正篤翁が説いた『職業の意味』を思い起こす。

人間はみな職業を持っております。
社会学者は職業に二つの意味を説いている。

その一つは、それによって生活を営む手段とすることである。
しかし、これは誰しも免れない条件ではあるけれども、それだけでは尊い意味はない。

職業の大切なことは、それが生活の手段であるということのほかに、その職業である仕事を通じて、何らかの意味において、世のため、人のためになるということである。

これあるによって、職業は神聖であるということができる。これあるによって、進歩がある。

利己と利他を考える。

人は自分が一番大切だと思って生きている(思うことは人だけの特権だ。だから、その"思いを、深く、強く、広くする"ことが、人として生きるにあたり、必須なことなのだ)。
自分が一番大切だという意味では、人は全て利己主義者である。しかし、その利己主義はピンからキリまで幅が広い。

一般的に利己主義者とは、自分の利のことしか考えない人、人が持っている財物を人から奪い取ってでも生きようとする人たちのことだ。
ともすればそれは人間としてあるまじき畜生と言われても当然なさもしい人たちだ。

私は、こんな人は本当に自分を愛する利己主義者ではないと思っている。何と中途半端な利己主義者かと思ってしまう。
「その場が良ければ、全て良し」と、何も先のことを考えていない人だ。
自分に利が長く齎されることを願う人であるならば、人を大切にし、人を裏切らず、人を騙さず、人のために尽くすことを考え続けることだ。

本当の利己主義者とは利他主義者である。利己=利他が究極の行き着くところだ。利己を追求して利他に至るのだ。
それを目指すのが政治家ではないのか。

政治家は、「清き一票を私に投票してください」と連呼して、有権者に投票してもらい、職業としての政治家になる。
それは、安岡翁が説いた、第一の生活の手段としての職業だ。果たして、それだけでいいのか。あなた方は、生活の手段として、有権者に"清き一票"を投じてもらっただけなのか。それで国民の代表なのか。
有権者は、政治家が生活の手段としてだけの政治家という職業に就くために、高報酬の政治家を選んでいるわけではない。
有権者は、安岡翁が説いた、第二の"職業の意味"である、"世のため、人のために尽くす"政治家を選ぼうと一票を投じたのだ。

職業とは、
①生活の手段のため
②世のため、人のために尽くすため
の二つの意味がある。
そして、私は、この①と②、特に②を強く意識して生きている。

政治家先生たちに言いたい。
あなたたちは、日本人としての矜持というものがないのか。
①の生活の手段として、自分だけの欲望のために、政治家をしているのか。

私は、政治家の理想は、"完全ボランティア"であるべきだと思っている。
安岡翁の説いた職業の意味は、一般人が心すべきことであって、政治家たらんとする日本をリードしていかなければならない人たちは、②の"世のため、人のために尽くすことオンリー"で生きるべきだと思っている。
そのためには、持っている財産を食い潰すくらいでちょうどいい。自らの才でしっかりビジネス(このビジネスも、世のため、人のためだが)をして、そこで稼いだ財産で政治家というボランティアをするべきなのだ。それが理想の政治家ではないのか。

私にはそんな能力はないので政治家にはなることをしないし、今の魑魅魍魎の政治家であれば、私の生きる節を曲げることになり、それは全く私にはできはしないことだ。

西郷隆盛よ、出でよ!!!
大人物よ、出でよ!!!

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)


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