先生が先生になれない世の中で(22)自由の前提条件としてのパブリックスペース
マキシン・グリーンは、パブリックスペース(公共の空間)を、自由が生まれる前提条件ととらえている(*1)。そして、多くのアメリカ人が、パブリックスペースはすでに公園や広場というさまざまな形で「与えられている」という従来のアメリカ世論の認識を正している。
パブリックスペースとは物理的な空間などではない。それは、どこか満たされていない不完全さと同時に、それを乗り越える希望を胸に抱いた人々が集った時、人々のあいだに一時的に生じるもの。それは、全体主義のように人々が思想や表現の自由を奪われ、誰もが同じような考え方を強要される社会ではありえない。さまざまな経験やバックグラウンドを持ち、意見も考え方も異なる人々が集まって初めてパブリックな空間が生まれるのだ。
ジャズなど、複数のアーティストでつくりあげる芸術を想像すればイメージしやすいだろう。一人ひとりの個性こそが可能性と力強さの要素となる。楽器も音楽性も異なるジャズミュージシャンたちが集い、互いの音に耳を傾ける。他が奏でる音やリズムに調和し、自分自身の独特な音色を加え、共鳴し、時に刺激し、押し返し、方向性を変えることもある。先が見えずリスクもあるが、その予測不能性こそがミュージシャンたちを、一人では行けず、再現もできない特別な場所へと誘うのだ。
しかし、多様な個人の集まりだけでパブリックスペースが発生するわけではない。多くの違いや不協和音もある中で、お互いに我慢強く耳を傾け、ハーモニーをつくるためには、それらをまとめる何らかの力が必要となる。多くの場合、それは共通の闘いであるとマキシンは言う。
マキシンが好んで引用した本に、アルベール・カミュの『ペスト』(1947年)がある。お金と個人的な道楽にしか人々が関心を持たないオランという町で、突如疫病が大流行する。疫病の感染拡大を阻止するために、オランは外の世界から隔絶される。電車の往来も止まり、閉ざされた門が再び開く保証もないまま、オランの人々は徐々に快楽と金銭の乱費に逃避するようになる。カフェやレストランがにぎわい、通りは酔っ払いであふれかえる。しかし、物語の中で初めてパブリックスペースが生まれるのは何人かの有志 ─ 医者、事務員、観光客、ジャーナリストなど ─ が感染者の隔離や消毒などを担う「保健隊」を組織するために集まった時だ。何ができるのかもわからずに集まった彼らだが、一つ共通していたのは、疫病に立ち向かうという衝動だった。
しかし、そのような不完全さこそが人々を結びつける力となる。パウロ・フレイレは言う。「絶望とは、中身を失っただけの希望である(*2)。」同様にマキシンも、どんな時も諦めず、暗闇を常に光との弁証法的関係の中で見ることを私たちに求める。絶望と希望とを、切り離された別々の個体ととらえるからこそ相互排他的に見えるのであって、双方の一体性と相互依存性が見えた時、二つは実は一つの連続体の両極を成し、常にお互いの可能性を増強していることに私たちは気づくのだ。絶望とは無ではなく、未だ来ない希望の光を待つ暗闇なのだ。
また、パブリックスペースは永久的なものでもない。それは流動的で、儚(はかな)いものだ。だからこそ私たちに求められるのは、パブリックスペースをつくり、またつくり直すという粘り強い努力だ。格差が拡大し続ける社会のあり方を問うた『ウォール街を占拠せよ!』運動。舞台となったズコティ・パークを占拠する人々の強制撤去がおこなわれた後、一枚のサインが残されていたのを思い出す。「旬を迎えた思想を立ち退かせることはできない。」
ハンナ・アーレントを引用し、マキシンは言う。「目的は、多様な人々が、『自分にできる最高のあり方』をもってそれぞれの前に表れることのできる、真のパブリックスペースを見つけ(つくる)こと(*3)。」伝説のジャズトランペッター、ウィントン・マルサリスは、神童というものはジャズには存在しない、と指摘する。「なぜならば、この音楽は世界や人間性と特殊な関わり方をし、それは起こっていることの複雑性に対するある種の大人の理解を求めるからだ(*4)。」
パブリックスペースの創造にも、我慢強さ、共感力、傾聴力、声をあげる勇気、リスクを取る覚悟、謙虚さ、希望、愛情など、おそらく同様の成熟度が求められるのだろう。私たちは共通の闘いを通して、人間として成長しつつ、次々と移動しながら人と人、パブリックスペースとパブリックスペースとを繋いでいく。そうやってムーブメントをつくっていくのだ。
*この記事は、月刊『クレスコ』2023年6月号からの転載記事です。
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