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「ここにある日々」

毎週月曜、エッセイだったり日記のようなときもある自由なマガジン。 日々のこと、制作のこと、私が考えてること、感じてること全て。
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記事一覧

カラスだって知ったら愛は減るの?

最近、すごく歩いている。 買い出しのために違う街に行き歩きまわり、母の買い物に付き合い、ギャラリーまでもわりと歩くし、いろんな街をぐるぐると歩いている。 その間、写真を撮る。写真を撮りながら歩くのは好きなことだ。 また絵が描けない。描けないというか、エネルギーが小さくなっている。 美しいものを、私は美しく思う。 美しいものが、私だって好きだ。 私の絵には、それが見当たらない。 今、自分のエネルギーが小さくなっているからか、私は美しいものを描きたいと思う。 それが私に

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外人さんと言われていた私が考える、外国人と外人と。

前に一度だけ、撮影日和って名前を付けて街撮影に一緒に出かける会を開いた。 またしたいなと思ったりする。 私はいわゆる一般的な写真のワークショップは出来ない。なんてゆうか、私が分かるのは感覚の部分だけだから。 撮影した写真を見せてもらったら良くなるヒントは言える。 会を開かずとも、作品を見て欲しいって依頼があるなら引き受けるけどなあ。有料だけど。 悩みに応じて一緒に考えてあげるワークショップなら出来る。 希望者いたら、是非ご連絡ください~。 外人と呼ばれることは嫌

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金曜日、個展、個展後

今日は金曜日。 この日は明日に備えて設営はしたくなかったんだけど、なんだか最終工程が終わらない。 結局ギャラリーは今日も色々する予定だから、私もいたほうがいいっぽい。 なので向かう私がこれを書いています。

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ぽろぽろと最近のこと

種をまいて、種をまいて、私は必死で。 私は少し疲れている。

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世界が真っ白になったこと

視界が世界が真っ白になったことがあった。私が21歳くらいの頃だ。 よく誰もが経験したことのあるようなショックで目の前が真っ白になったなんてことじゃなくて、現実世界の全てが真っ白になった。 その日、医者の言葉から自分の心はもう治ることはないと告げられたように感じ、その瞬間、私の視界には光が広がり、あっと言う間に世界が真っ白に変わってしまった。 街の景色も人間も、木だってビルだって信号機だって全部が真っ白。車も自動販売機も街の看板も見渡す限りの全てのものが真っ白。すれ違う人

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作品の根「4/15-21」

ふと、私は目的を忘れているのではないかと感じる。なんだったっけ、私の目的って。 幸せって、なんだっけ? この世界の、何を得たら幸せなのか。 この世界に、何を望めば幸せなのか。 私はただ、自分の心が動く、力を描いている。 生きていることが作品だからだ。 人は作品だからだ。

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学校が合わないならば「2024/4/8-4/14」

不登校がSNSでもよく話題になっている。 不登校について悩んでる親や本人の投稿がたくさん投稿されていて、なんだか辛そうなものばかりだ。 娘は小学生から不登校気味で、中学も不登校からの退学、フリースクールと行った流れだった。 私はあまり重く受け止めなかった。だって学校のシステムとか、あの小さな社会の違和感とか、普通に居心地のいいもんじゃない。疑問を抱くなという方が無理だし、従うことが出来ない子がダメなわけじゃない。私からしたら、あー、やっぱりかぁっていうくらいのだよね感。 中学

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ミシンミシン「2024.4.1-4.7」

裁縫が出来る人に憧れる。 なんであんなにさくさくと真っ直ぐに縫えるんだろ。布のパーツから生まれるスカートやカバンがキラキラして見えて、なんだか賢いなあと、魔法みたいだなあと、子供の頃から憧れている。 昔の人は裁縫が出来て当たり前だったのだろうか。洋服も家の中のあれやこれやも、手作りしないとならなかったと聞く。私もその時代に生きていたら裁縫上手だったのかしらと想像してみるけれど、全くイメージがわかない。

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昔の自分と話す感覚

魔女の宅急便のニシンのパイの話をしていた。あんな魚の頭が突き出てるパイを作るなんて野蛮だという話になり、いやしかし魚のお造りの時に日本も魚の頭ドカーンと置くからおんなじようなもんじゃないかとか、どじょうの鍋料理の残酷感なんてもっとひどいよと説明していたら、野蛮さ加減にあらためてドン引いてしまった。うー…なんかこう命が消えていく様を見ると美味しいって気持ちも消えていく。気分を消化出来ないまま食うことなんて出来ない。 どじょう鍋も柳川鍋もどじょうが豆腐に突っ込んでいくどじょう豆

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ふらふらにて「3/18-3/24」

個展終了 色々考えること、課題がたくさん。 わりと女性が来てくれたこと、嬉しかった。 被写体さんとランチ。 被写体になる方はもがき中であることが多い。 自分に、過去に、これからに。 私は被写体さんを撮ることの継続が、なかなか難しい。写真の販売が出来ないからだ。 写真の行方を考えている。 ここ最近は、写真の行方にも悩んでいる。

いっぱいいっぱいにて:2024/311-3/17

しばらく制作でいっぱいいっぱいになるから、私は長めの文が難しいかもしれない。 次回個展の打ち合わせをし、なかなか大変な作業であることが分かってきた。私は計画的な絵を描くことに慣れていない。しかし今回は計画的なところが必要。 カラスを私は黒だけで描いた。それを見たギャラリーは混色してとのこと。 まあ確かに殺風景か。 潔さが好きなんだけれど、どうせ私の潔さはまたウケが悪いだろう。とにかく実験である。

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路上写真にて:2024/3/4-10

最近はカメラを家に忘れる。 原因はきっと、カメラを肩掛けにしたから。 あれ、コートの季節は邪魔なんだよなあ。 カメラを持つ皆さんはどうしてますか? 個展会場で在廊していると、カメラを持っている男性がちらほら。首から下げていたり、肩がけにしていたりと、皆さんちゃんと持ち歩いている様子。それも私のカメラよりでっかくて重たいものばかりを目にする。よく疲れないなあと不思議に思う。どうしたって身体の構造も耐久力も違うのだから仕方がないのだけれど、こんなことにさえ悔しいなあと思う。

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DEMOと千人針

千人針のことを教科書で知った、その時のインパクトが私の中に強く残っている。 針を刺し玉留めを作る女性たち、生きて帰りたいとお守りにした男性たち。性別により立場の違うもの同士が互いを愛している。この針ひとつひとつに、愛と願いと無力さも感じて、様々な叫び声が聞こえてきそうで、直視することが苦しくなる。 針仕事という女性性や愛情の表現、母性や母親の記憶。服を手作りしていた時代、着物の文化があったからこそのデザインにも、なんだか惹かれるものがあった。 私は作品のために縫い物をよくす

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人間は作品だと思ったあの日から

人間は作品だという考えを持ったとき、私は17歳だった。 考え事をするために、私はよく新宿東口の広場に行っていた。ちょうど人が待ち合わせなんかをするスポット。地元だとどうも落ち着かなくて、わざわざひと駅電車に乗って新宿に行った。このためだけに新宿に行くっていうも不思議だけれど、それだけ地元の街の中では一人になれる場所がないように感じていた。それと、新宿のあの汚さと何かしらの欲を満たすために来た人々の雰囲気がザラザラと心地良かった。地元は新宿をすごく小さくした感じで、夜になると酔

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