お風呂クリーニングをお願いしたら、壺を買わされていた話。
不穏なタイトルだが、先日頼んだお風呂のクリーニングがとても良かったので、その話をしたい。
我が家では、お風呂掃除はオットが担当だ。
明確に担当が決まっているわけではないが、互いに手をつけていない家事を臨機応変に対応することで、環境秩序をバランスさせている。
そんな中、オットが「お風呂の掃除を、一度プロにお願いしてみるのはどうか」と言い出した。
平日は浴槽をお湯で流す程度で、気合を入れて掃除をするのは休日だ。
しかし、休みはとにかくチビッコ暴れん坊将軍たちを外に連れ出すことが最優先なので、まとまった掃除時間を取ることが難しい。
最低限のことはできても、鏡を磨き上げたり、床をピカピカにするところまでは手が回らない。
気になる汚れもあったので、大賛成だった。
オットがいろいろ調べ、引っ越しなどでもお世話になった暮らしのマーケットで、評判の良さそうなおじさんにお願いすることにした。
決行は、お互いリモートの平日、昼間。
最初の挨拶と最後のお支払いのみ対応すれば、仕事中におじさんがお風呂をキレイにしてくれる。
最高ではないか。
おじさん来訪のタイミングでオットが会議中だったため、私が出迎えることになった。
期待に胸が膨らみ、笑顔でおじさんを家に招き入れる。
「あ〜、きてるねこれは」
お風呂場に案内するなり、彼はそう呟いた。
鋭い眼光は天井に向けられている。
え……?!きてる?
そそそそそそれはヤバい的な意味?????
ハラハラしながら話を聞くと、どうやら天井に水滴がついているという状況が、プロ視点ではありえないらしい。
悲しいかな、こうして我が家は、おじさん来訪10秒程度で「風呂管理能力レベル、マイナス900000000000」であることが確定した。
「ところでこの窓、いつも開けてるの?」
?
当然だ。
換気をするための窓なのだから。
見よ、この「私が換気責任者です」という佇まいを。
開けてやらずして、この窓の存在価値をどう活かせよう。
質問の意図がよく分からないまま、しかし堂々と私は答えた。
「はい、お風呂上がったあとに、換気の意味でいつも開けt」
「だめ。それ一番やっちゃだめ」
おじさんは、私の肯定を聞くや否や、全否定の姿勢をとる。
え!!!ダメなの?窓なのに?????
私は混乱した。
この窓にしてやれることは、開けるか閉めるかだけである。
窓だって、きっとそれを望んでいる。
繰り返すけど、窓なんだから。
気づけば、それまで何の感情も抱かなかった窓に、情が生まれはじめていた。
私と窓の関係性が全否定されたことは、少なからずショックだった。
開けちゃダメなら、この先の人生、どうやって窓と共に生きていけばいいのだろう……。
窓のためにしてやれることって、他にある?(「磨く」とかは却下)
もしかして、みんな「窓の取り扱い概論」みたいなやつを履修済みだったりするのだろうか。
インフルエンザとかで長期休みをした、あの時か……?あるいは、給食イマイチだからって、ズル休みしちゃったあの時か……?
どうしよう。
私、窓について、何も知らない……。
不安な気持ちを抱えながら、私はおじさんに尋ねた。
「あの……窓なのに開けてはいけないのですか?」
「お風呂場に窓はね、必要ないの。なんでみんなつけるのか本当に理解できないね。いいですか?
あの窓は今後一切開けないでくださいね」
そう言って、おじさんはお風呂の換気構造を説明し始めた。
どうやら換気は24時間つけっぱなしが基本中の基本。窓を開けることでむしろ換気の効率が下がるため、外の空気で換気をするという発想は愚の骨頂ということらしい。
え……むしろ換気のために窓を開けることで、風呂管理能力レベルがマイナス900000000000になっていたってこと?
なんだそれ……。
おい窓、どうしてくれるんだ!
いかにも開けて欲しそうな感じで毎晩誘惑しよってからに!!!!
急に窓が憎らしくなってくる。
お前さえいなければ、俺は……俺は…………!!!
「奥さん、ちょっと中に来てみな」
窓への憎しみを静かに燃やし始めていた私を、浴室に誘導するおじさん。
窓の開閉による換気力の違いを実践してくれるらしい。
浴室のドアの下部に指を当てろいうので、言われた通りにする。
「窓を閉めた状態がこれね。ほら、わかる?空気感じる?」
確かに空気が当たっている。なるほど、ここから空気を吸い込んでるわけね。
「はいっ!空気、感じます!!」
新入社員のお返事全国大会だとしたら、ベスト16には進出できそうな勢いで、私は答えた。
おじさんは満足そうに頷き、今度は窓を開ける。
「奥さん、どう?変化わかる?」
変化……。
私は、指先の感覚を研ぎ澄ませた。
そういえば、窓を開けた瞬間、空気がひんやりしたような気がする。よく分からないけど、空気の温度も換気に影響しているんだな。
「はいっ!!!!空気の温度が変わりました!!!!!」
ベスト8を目指し、私は胸を張って答える。
正しいファクト認識、上司(?)との阿吽の呼吸、元気のよさ。100点である。
お風呂管理能力全否定により、自己肯定感だだ下がり状態だったので、この正解は私の自信をとりもd
「違う!!!!!!!」
えーーーーーー!!!!!!!涙
「温度の話をしてるんじゃないよ。ほら、空気の強さ、変化感じない?全然違うでしょ?」
あ……そ、そっちね!空気の強さね!
そうだよね、窓を閉めた方が効率がいいわけだから、当然だよね。
(え?でも温度も変わったよね……?)
「さとし君はりんごを3つ持っています。ただし君は2つ持っています。りんごは全部で何個ですか?」という文章題に、「2+3=5」と答えてバツをもらうような、(そ、それも正解でいいのでは?)というモヤモヤを感じつつ、
「……感じました!!!へぇ、こんなに違うんですね!」と、無意識に答える私。
頭の中で考えていることと、口に出す言葉が、バラバラである。
昔からよくあるのだ。
混乱をして、思考がフル回転し出すと、口に出す言葉が思考に追いつかずに、勝手に無思考の言葉を紡ぎ出してしまう。
時には思考と180度真逆のことを、口が勝手に話していたりする。その状況を把握し、またパニックになる。
だから、おしゃべりは苦手だ。
「いい?奥さん。とにかく覚えておいて、この窓ね、絶対開けない。わかった?」
「はい!」
「親が死んでも絶対開けないこと!!!!!」
「はい!!」
「ドアも開けっぱなしはダメよ?」
「はいっ!!!!!!」
「家族が入るたびに、換気スイッチね。1日の最後だけじゃなくて、毎回よ?OK?」
「はいぃィィィっ!!!!!!」
気づけば私は熱血イエスマンと化していた。
思考停止状態である。
とにかく窓は開けない。ドアもちゃんと閉める。24時間換気。
さようなら、窓。
今日から君は、開かずの窓だ。
今までありがとう。どうか、開かないなりに第二の人生を生きておくれ……。
風呂の蓋も、掃除が面倒で使っていなかったけれど、必須アイテムだと教え込まれる。
「ちゃんと持ってる?」と言われたので、即座に押し入れから引っ張り出し「ここであります!!」と敬礼する。
「鏡もねぇ……」
しばらく磨いていない鏡に視線を移し、おじさんが呟いた。
「市販のやつじゃダメなのよ、結局表面を削って落とさないと、鏡の内部の方まで浸透しちゃってるから」
彼は、よくある市販の鏡磨きの商品と、プロ仕様の違いを説明し、鏡の汚れがどのようにつくか、原因や成分まで詳しく解説してくれた。
水の成分が悪さをしてしまい、とにかく市販のは効果がないという話だ。
「あの……」
私は敬礼の姿勢を解き、おずおずと質問を試みる。
「ここぞというときはプロにお願いするとしても、日々の掃除という観点でできることはないのでしょうか……。例えば最後に入った人が鏡の水滴をふきあげるとか——」
「やらないでしょ。できないでしょ」
ぐはっ!!!!刺すねーーーおじさん!!!!!
風呂管理能力レベルを疑われている我々である。
天井に水滴をつけるようなやつらは、毎日鏡をふきあげるわけがない。
誠に真っ当な推測である。
「みんなね、最初は頑張るのよ、2日とか3日はね。でもまぁ続かないよね」
彼の指摘は当たりすぎていて、ぐうの音もでない。
「この鏡全部はやってあげられないけど、追加料金なしでこの一部だけやってあげるよ、サービスね。全部やれるほどの薬品も今手元にないから」
それって通常のサービスじゃないの? と冷静に受け止める【俺1】と、あ……ありがてぇ……!おじさん神!!! と崇める【俺2】が、脳内で静かに議論を始めた。
【俺1】(これ、壺を買わされる流れじゃないか……?)
【俺2】(ないない! おじさんはプロだし、善意だよ)
【俺1】(追加オプション提案されても、よく検討しろよ?)
【俺2】(大丈夫、わかってる!)
「で、この追い焚きの配管使ってる?今日のオプションに入ってないけど、掃除したことある?」
おじさんは配管に話題を変えた。
我が家は追い焚きは使用しない。
子どもたちが夕飯前に入り、夕飯後に私が一人で入るが、「高温差し湯派」である。
※オットは朝シャン派
「ここねぇ……掃除してないとすごいのよ。見る?別のお宅のやつなんだけど」
おじさんはおもむろに携帯を取り出し、動画で配管の掃除動画を見せ始めた。
それはなかなかの衝撃動画だった。
ゴボゴボと灰色だか緑だかの汚れが浴槽内に広がっていく配管掃除の様子は「見たくないが見てしまう」という人間心理を程よく刺激してくる。
聞けば築何十年の、古い配管のお宅だという話だ。これがマンションである我が家に当てはまるかは分からない。
「そもそも使わないなら、まぁ掃除しなくても一応問題はないんだけどね」
と前置きをしながら、「オプションで防カビ選んでたけど、さっきのコツさえしっかり守れば5年は問題ないはずだから、配管掃除に変える?追加料金かかっちゃうけど、差額でできるよ」と、おじさんは提案をし始めた。
私は、ごくりと生唾を飲み込む。
きた……!
壺きたよ……!
しかし、さすがセールスのプロだ。
追加料金の説明を聞きながら、私は感心する。
本当は怒られちゃうんだけど、内緒ね!伝票も分けておくから。
俺は配管おすすめよ、防カビは今日キレイにして換気守ってくれれば正直いらないから。まぁ決めるのは奥さんだけどね。使ってない機能だしね———
あ、決めるなら今決めちゃって、掃除始められないから。
くぅぅ。
クロージングのテクニックもりもりである。
基本の15,000円。そこに、防カビオプションでプラス3,000円。
その3,000円の代わりに、8,000円程度の課金の提案。
差額を差し引いて、23,000円程度。
基本プランに1.5倍のオプションは、なかなか大胆な提案である。
しかし私は冷静だった。
そう、これは迷う壺ではない。
そもそも「追い焚きを使わなければ不要」だとおじさん自身が言っているではないか。
使わない機能に課金する必要はない。動画も、オプション誘導のテンプレなのだろう。
一方で、見えざる配管に何らかの汚れが影を潜めてるという事実は、少し気がかりだ。
でも、使わないんだよなぁ、追い焚き。
差額、5,000円。
正直数年に一度と思えば、たいした金額ではない。
いや、でも使わないなら…………
「奥さん、どうする?」
「……お願いします」
チョロい。
チョロすぎる。
チョロすぎて涙が出そうだ。
私はその涙が、再び浴室の天井を濡らすという情景を想像し、浴槽で悲しみに暮れる少女の物語を脳内で繰り広げ始めた。
葛藤や混乱で乱れた心は、雑な文学を生みがちである。
【ちょいおし→即落ち】という私の生態を知り尽くしているオットには、きっとこの決定をバカにされるだろう。
常々「君に壺を売る自信がある」と呆れられる。
悔しいが否定できない。おされて落ちて、ここまで生きてきたのだ。
いいではないか。
その壺の要否は、この先の自分が決めるのだ。三方よしの壺だって、存在するはずである。
こうして私は、5,000円で壺を買った。
思いがけず冒頭で時間を取られたが、それから4~5時間ほど、おじさんは浴室にこもって掃除をした。
私もオットも、仕事をしたり昼ごはんを食べたり、各々のタスクに集中する。
音も気にならず、再びおじさんから声をかけられたときには、彼の存在を忘れていたほどだ。
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数時間後、ピカピカに仕上げてもらった浴室との対面は、感動的だった。
壺こそ買ったものの、やはりプロはすごい! の一言に尽きる。
湯船の下まで分解し、完全に汚れを落としてもらったことを記録写真で確認し、我々は納得感を持って料金をお支払いした。
「窓だけは気をつけてね」
最後に念を押して、おじさんは帰っていった。
いろいろあったが、結果的に大満足である。
家事代行やプロのハウスクリーニングは、抵抗がある人もいるかもしれない。
我が家では、ドラム式洗濯機の解体で初体験し、今回が2回目の依頼だったけど、満足度はかなり高い。
キレイにしてくれるのはもちろん、やはりプロに直接質問できたり、リアルなアドバイスをいただけることが大変ありがたい。
窓や鏡だけでなく、非常に多くの知見に触れたことで、お風呂への理解がグッと深まった。
世の中というものは、さまざまなプロの仕事で回っているのだ。
そんなふうに、自分も誰かの役に立ちたいものだ。
できることを、一歩ずつ。
仕事観への影響すら受けることのできる、いい数時間だった。
お風呂クリーニング、おすすめです。
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普段は、子どもの食や、ワーママの日常エッセイを書いています。
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有意義なハウスクリーニングだけでなく、有意義な有給を過ごしたい方には、こちらもぜひです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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