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無力を認めるということ。

やっぱり緑が好きなんだろうな、私。
今日の写真も緑だ。
これは大阪港の方にある住吉神社。
5円玉がちょうどあったので、
良縁を祈ってきた。
あと頑張ります、と宣言してきた。
何をとは言わなかった気がする。
とりあえず頑張る。

今日はアートブックフェア大阪に行ってきた。
良き出会いが沢山あったので共有しちゃう!

ABO戦利品です!笑

色々買ったのだがMVPは、
「通り過ぎる日々」というZINE。
京都市立芸大に移動本屋という場所があるらしく、そちらのブースで出会った。
青春の一コマが描き出されていて、すべてのページにトキメキが止まらなくて買ったのだか、最高の出会いだったなと思う。

誰かが通り過ぎてしまいそうな日々を、私は勝手にメモをしている。

あとがきの最後の1文を引用した。
こんな人になりたいなあと思う。
そして、そういう瞬間をかける人になりたいと思う。

戯曲の授業で2つの見方を養うという話をしてもらった。
1つは深く見ること。
例えば、同じ景色を毎日写真に収めてみる。
すると、同じ時間でも全く同じ景色はないことを知る。
何が違うのか、毎日その景色を眺めることによってだんだん分かってくる。
2つは広く見ること。
街中で歩いている人たちをよく観察する。
1人も同じ歩き方をする人はいない。
急いでいる人達の中でも、大股で歩く人、駆け足の人、早足の人と様々。
皆、大衆、人々。
そんな言葉は実はなくて、人間ひとりひとりがその場所にいることが分かる。
という、日々の見方を変えてみると発見が沢山あるいう話だった。

先程のZINEの人の考え方と広く見ることは通じているなと思った。
私は観察がとても苦手だ。 
基本的に何も考えず日々を過ごしている。
そうやって生きていても、強烈に惹かれるときめきが潜んでいたりするのだが。
変わりたいなと思う。

いい作品とはなにかなんて私には分からない。
だけど私の作品を読んで何が蘇る人生のときめいた瞬間があるといいなぁと思う。
そのためには自分がときめく瞬間だけじゃなく、他人がそう感じる瞬間も見られるようにならないといけない。

無力を認めるということ。
ある脚本を提出したのだが、納得いかないまま相手に渡してしまった。
ただただ手に負えなくて、手放してしまいたいという気持ちに駆られて、創作の手を止めてしまったばかりにどんどん遅れた。
「ちゃんとやったらできる。自分はこんなもんじゃない」は、
「ちゃんとできないのも自分。今のあなたにはこれが精一杯」ということ。
ちゃんとやったら、なんてことを思わないために、ちゃんと、できることを精査しなければならない。
出世払いしたい人が多すぎる。
とても素晴らしいことだが、それがたまに自分のプレッシャーになる。
技術が足りない。まだ青い。
このもどかしさと共にまだまたま歩んでいかないといけない。
とりあえず頑張る。
神様にはこれしかいえなかった。
だから、とりあえず頑張るしかない。

今日も読んでくれた人、ありがとう。
昨日1日消滅していた気がするが、なかったことにして欲しい。
夜の記憶が曖昧であまり覚えていないが寝落ちていた。
「佐知とマユ」を見て最高だなと思って、悔しくなって放心してたら寝ていた。
そんな日もあっていい。
楽しく生きた証拠ではないか。
と、都合よく思っておく。

お疲れ様でした。
また会えると嬉しいです。

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