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ネガティブじゃない「ナンセンス」

 ある日、友達が約束を破った。しかも一度や二度目ではない。もう何回目かも思い出せない。彼女からの「ごめん」を待つ。何日か経ってもその言葉を彼女の口から聞くことはなかった。「ごめんやありがとうを大切にしたい」彼女のあの言葉は嘘だったのだろうか。

 生きていれば相手の言動を理解できないという瞬間が必ず訪れる。そういうことが積もりに積もって、気づかぬうちにストレスが溜まり、しんどくなっていく。これは決して珍しいことではないだろう。あなたはこういった場面に遭遇したとき、自分にどんな言葉をかけるだろうか。

「ナンセンスって言葉にはっとさせられてん」

私と同じ文芸表現学科に在学し、編集者を志している村田羅来さんに「言葉について話したいことない?」という質問をしたとき、彼女は少し考えてこういった。私はその言葉を通して、彼女が見ている世界を覗き見ることができた。

言葉を交わす中で感じるセンス

 村田さんは人の言葉選び方にセンスを感じることが多いという。それは、彼女自身がそれについて悩むことが多いからだ。それが下手な人は決して汚らしい言葉を使う人という意味ではなく、相手がその言葉を受け取ってどういう気持ちになるのかが考えられない人を指す。

「自分が言って自分が損することに気が付いていない」

村田さんは周りや自分のことを考えるのが好きな人だ。だから、言葉の選び方で人を嫌な気持ちにさせている人を見ていると、その人自身で自分を見てもらう機会を失っていると感じ辛くなる。

 冒頭のエピソードは村田さん自身の体験だ。「ごめん」という言葉を伝えない選択もまたセンスである。あの場面に遭遇したとき、以前の彼女であれば「この人はこの人だ」と割り切って、センスのなさを感じた自分を封じ込めてしまっていただろう。さらにそう感じてしまう自分自身を責めて苦しんでいたかもしれない。でも、あの言葉に出会った彼女はそうではない。自分が感じたことに素直になって「ほんまにこの人ナンセンスやわ」こう決めてしまう。これが今の彼女だ。

 彼女にとって「ナンセンス」を決めることは、「区切りをつける」ことだ。決して「切り捨てる」とは同義でない。「なんで私はこう思ったんやろう」「違うことになんで嫌って感じたんかな」このように区切りをつけることによって、たくさんの問いが浮かんでくる。それを突き詰める。この工程は自分とは違う人間を見つめる力そのものだ。「その人はその人だ」と思うことは、相手を受け入れる優しさでもあり、悪い言い方をすれば、理解できない相手の面には向き合わない弱さでもある。村田さんは村田さんなりの方法でこの弱さを乗り越え、その過程の中に楽しさまで見出していた。「ナンセンス」という言葉はマイナスなもののように感じるが、彼女にとっては全くネガティブなものではない。

「言葉って怖いから。たかが、言葉。されど、言葉。だからね」

 言葉の選び方のせいで自分が傷ついたり、傷ついた人をたくさん見たりしてきたからこそ、彼女はそれをとても大切にしている。その経験は彼女に自分自身と向き合う強さをくれたのではないだろうか。「私、言葉選びうまい自信あります」といえるようになりたい。言葉選びが下手だと自分に感じるときイライラしてしまうことがある。それを他人にまで求めてしまう瞬間がある。だからこそ、そこに自信を持ちたい。そう強く考えている村田さんを見て、私は彼女が編集者という夢を持って歩む未来をそばで見ていたいと思った。決めることをとおして、彼女はもっと細やかな視点で人が気づかないような小さなことを拾い上げていくだろう。「ナンセンス」という考え方を手に入れた彼女の先には、これからどんな発見があるのだろうか。

2023.07.19 音葉 心寧


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