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推しの守(2024.02.15)

・結局眠れなかったので


・香燻を2本食べたあと、YouTubeで配信されている『ラ・ジュテ』を観た。押井守の原点となった作品らしい。アマプラで『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の配信も始まったし、何らかの力で押井守がプッシュされているのは間違いない。ありがとうございます。



・眠れないのでしかたなく、明かりのついていない部屋で白黒映画を観るという行為に及ぶ。とてもよかった。暗闇で色のない画面を見つめていると、一切の現実味を削がれたような感覚になり心地がよかった。疲れが取れないというだけで、眠って夢を見ている状況に似ていたかもしれない。ほとんどが静止画で構成され、大塚明夫のナレーションつき。うっかり眠くなることを期待していたけれど、びっくりするくらい集中できて逆に目が冴えた。30分弱という尺もちょうどよかった。


・ディストピア世界を舞台にしたタイムトラベルもののSFで、時間と空間を移動できるのは意識だけらしい。夢を媒介して別の時代に移動するという設定…これは確かに押井守の原点すぎる。おもしろかったのでぜひ。2週間限定公開だ!急げ!


・続けて「ビューティフル・ドリーマー」も観た。何年ぶり何度目だろうか。何度観てもすごすぎておったまげるけれど、今回がいちばん感動したかもしれない。今まででいちばん、細かなところに目が行き届いたと思う。目が肥えたとか、成長したということでもない気がする。自分がある時点から変化していて、同じ映画を観ても前とは違うことを思えるようになっている。とにかくそれが嬉しい。変化できないことを恐れているから。


・「ビューティフル・ドリーマー」を観終えたあと、改めて好きな押井守の作品の『GHOST IN THE SHELL』や『イノセンス』のことを考えた。ああいうものをもう一度つくってほしいと思っていたけれど、もう自分の我を押し通すような作品をつくらないだろうという確信が生まれた。夢と現実、機械と人間というテーマを扱い、人間性みたいなものを解体し尽くしてしまったあとにやってくる諦念や虚無感を抱きながら同系統の作品をつくるのは無理だろうな。


・だから『ぶらどらぶ』みたいなつきぬけて馬鹿げたアニメをつくったり、スキルと経験を提供するような形で脚本を書いているのだろうと思う。僕は僕の諦念に照らし合わせ、勝手に共感を抱いているだけなので適当なことを言っているかもしれない。許してください。せめてインタビューとか読んでから語るべきだよな。


・日記の尺が余ったのでAIの話でもするか。AIは今のところ、身体を拡張するツール、つまり視力を補うメガネとか遠くの相手と話せる電話とか、生身の人間にできる範囲を押し広げる道具にしか過ぎないと思っている。そんな超便利グッズを僕も使っていて、映画でよくあるような、心を持っているかどうかを問われる段階のものではないと感じる。


・AIには今のところ身体がない。厳密に言えば、サーバーが身体ということになるかもしれないけれど、それを身体と呼ぶには僕ら人間の実感が伴わない。どんなに流暢に言葉を喋ろうとも、身体性が欠如していたらAIは道具の域を出ることがないと思う。だから、AIに人間に近い見た目の身体が与えられたとき、僕らは初めてAIに心があるかという問題を現実的に考えることになるはずだ。


・AIが人間(ペットでもいいかもしれない)の形を取って初めて、心という、人間にのみ持つことを許されたものを見出すことができる。声でもいいな。形がなくとも、自然な音声を発する相手との対話の中に心の存在を認められると思う。


・AIに心があるかどうか、本当のところは重要ではないし、どれほど考えてもわからないのでその問い自体に意味がない。他者に心の存在を認めるかどうかは主体が決めるという絶対のルールがあり、僕らがいつかAIに下すはずのジャッジはふだんから他の人間に対して行っているそれと何ら変わりないのではないか。そう思うと、自分の心ですら本当にあるのか曖昧に思えてくる。人形やロボットと僕らは何が違うのだろうか?いや、違わない。僕らは自分が語りかける相手に対し、心を提示するしかないのだ。他者にとって代替不可能な自分を提示すること、それが心の正体なのだ。


・これが押井守が映画で言っていたことだ。この議論って、これ以上の発展性がない気がしませんか。これが人間性を解体するということで、自分を相対化しつくした人間がそれから何を言えるというのだろう。それでも考えざるを得ない。僕は守の、そんなところが好きで推しているんですよね。やっぱ何かつくってくれないか。


・あー、寝てないせいで読む人への配慮が欠けていたかもしれない。ごめんなさい。


・また明日〜。



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