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紀行「霊場恐山」②(恐山に泊まる編)

・前回は地獄めぐりとイタコの口寄せについて書きました。その続きです。前回ほどのシリアスさはないし、内容的な繋がりもさほどないので、これだけ読んでも大丈夫だと思います。


・コンビニでペットボトルの水や替えの下着を買って恐山に戻ると、また大雨が降っていた。恐山の天気は目まぐるしく変化するみたいで、日差しが強まって暑くなってきたな、と思ったその5分後には土砂降りになったりして大変だった。イタコの方が「恐山スコール」と呼んでいたけれど、スコールという言葉が定着する前は何と呼ばれていたのか気になる。「仏様の涙」や「地蔵の湯浴み」とか、血の池の飛沫に例えて「また誰か落ちたなあ」みたいな洒落た言い回しをきっとしていたに違いない。


・そんなわけで、傘が意味をなさないほど激しく「スカーヴァティー・シャワー(脇から生まれた者の慈悲)」が降るなか、15時過ぎに菩提寺の宿坊「吉祥閣」にチェックインした。


・恐山の観光マップ上ではこの位置にあり、お寺に隣接していることがわかると思う。⑤の位置にある総門は夜になると閉じられるので、夜の恐山を徘徊できるのは宿坊に泊まった人の特権だ。とはいえ消灯時間の22時には宿坊が施錠されてしまうし、夜間は地獄エリアへの立ち入りが禁止されている。


・宿坊内は写真撮影禁止だということだったので、おとなしくそれに従った。父が予約の電話をかけた際「うちは旅館ではありませんからね」とキツめに釘を刺されたらしく、だから僕はかなり怯えていた。間違っても粗相をして怒られるようなことはあってはならない。怒られるのは幽霊より怖いから。


・恐る恐る中に足を踏み入れてびっくり、そこは完全に旅館だった。しかもけっこうグレードが高そうな旅館だ。和モダンを感じさせるお洒落で広いエントランスの正面には、円形ガラスの中でライトアップされた仏様が静かに佇んでいて、それを見た瞬間、僕が抱いていた厳しい環境に泊まることへの恐れは「立派で豪華な旅館で上品に立ち回れるのか」という別の不安に変わってしまった。


・僕は写真を撮らなかったけれど、誰かがアップしている写真が載っているサイトを紹介するぶんには怒られたりしないだろう。載せた人が怒られたらいい。



・ロビーで受付してくれたのは父の電話を応対してくれたのと同じ女中さんだったみたいだけれど、話に聞いていたような高圧的な印象はまったく感じなかった。電話受付の時点では、遊び半分で宿泊するような人をある程度ふるいにかけているのかもしれないなと思った。


・部屋は12畳の大部屋と、4畳半の小部屋がひとつ。旅館と大きく違うのは、窓の近くに小さな机と椅子が置かれている、あのスペースがないことくらいだろうか。あの素晴らしいスペースで浴衣を着て酒を飲むのが好きなので、それがないのにはちょっとがっかりした。がっかり、じゃないだろうと自分でツッコミを入れ、すっかり旅館に泊まるつもりになっていた自分を戒めた。


・ふだんからテレビを一切見ないので、部屋にテレビがないことは気にならないはずだった。しかしiPhoneが電波を拾ってくれないので話は別だ。食事の時間までの3時間弱、僕は手持ち無沙汰で何をして過ごせばいいのかわからなかった。長いあいだ現代に幽閉されていたせいで、僕はコンテンツ奴隷としての生活に慣れきってしまい、常に何かを見たり聞いたりしていないと落ち着かないようになっていた。


・本を読むにはすごくいい環境だと思った。だからKindleを開いてみるけれど、文字が一切頭に入ってこない。見知らぬ土地の旅館で電波を奪われた僕はとにかく不安になっていたみたいで、落ち着いて本を読むことなどできなかったのだ。


・建物から出ればアンテナが立つので、僕は何度も外の喫煙所に足を運びニコチンと情報を貪り食った。Twitterをリロードしまくり、Googleニュースの記事を読み漁り、Apple Musicでいつも聴いている曲をダウンロードし、YouTubeアプリで匿名ラジオをオフライン再生できるようにして、そうしてなんとか僕の平静は保たれた。「いつでも聴ける」という安心感が、僕にとっては何より大事らしかった。


・晩ごはん前に大浴場で温泉に浸かり冷えた体をあたためる。他人と同じお湯の中で垢を交換し合うのが嫌なので(体から切り離されたもの、爪や髪などを忌む心理については仏教の授業で習ったので僕はひとつもおかしなことを言っていない)温泉や銭湯のことはあんまり好きじゃない。でも宿泊客が少なく貸し切り状態だったので悪くなかった。



・晩ごはんは宿泊客みんな揃って、お坊さんに倣って「食事五観」を読み上げたあとに食べ始める。ここでお坊さんの説法や小話を聞けるのだと思っていたけれど、それらしいものがなかったので残念だった。もしかするとコロナ禍でやめてしまったのかもしれない。


・精進料理と聞いていたから品数の多さに驚いた。動物性の食材は使われていないとはいえ、これで「精進」を名乗っていいのかと思うほど豪華に見えた。天ぷらなんかもあるしご飯はおかわりし放題で、何より爆盛フルーツの皿に驚いた。味もそこそこおいしかったし、食べ終わったあと少しだけ健康になっていたから嬉しかった。


・食事の際に使った箸は記念に持ち帰っていい。霊場恐山の文字が掠れてしまうのがもったいないので家ではあんまり使えていない。


・食べ終わったあと、ごちそうさまを言うのもみんなで一緒にだ。一斉に席を立ち、各々の部屋へ戻る。消灯まで3時間ほどあって、喫煙所に行く以外に何をすればいいのかわからず、僕はまた手持ち無沙汰になる。



・喫煙所から見た景色。宿坊の安全なテリトリーを脱して闇の中にひとりで繰り出すのはちょっと気が引けたけれど、好奇心に打ち克つことはできなかった。大浴場の他に、恐山にはほったて小屋の温泉があり、それには是非とも入らなければいけないだろうという大義名分を勝手に背負い、僕は夜の散歩に繰り出した。


・ところどころに灯りはあるものの、それは十分に足元を照らしてくれるほどのものではない。だから自分がどこを歩いているかもわからない状態で山門を目指す。ごごご、という音がしたので後ろを振り向くと、既に閉じられた総門が強風を受けて嘶いているようだった。風はかなり強いらしく、遠くの山で葉が揺れる音が不穏だった。


・山門の辺りは明るく、特に不安を感じることもなかった。門をくぐりかけたところで、からからからから、風車がいっせいに回る音にびくついて背筋が凍る。暗くて気がつかなかったけれど、いつの間にか積まれた石と風車の前を通り過ぎていたみたいだった。



・夜にこの場所の写真を撮るのは本当に気が引けた。だけど、この時の風車の音にビビり散らかして半ば自棄になっていた僕は「これはジャーナリズムだ」という謎の言い訳によって自分を落ち着かせ、1枚だけ写真を撮らせてもらった。戦場カメラマンなんかはこんな風に自分に言い訳をし続けないとやっていられないだろうなと思う。


・暗いので、積まれた石を踏んづけて崩してしまったらどうしよう…というのがいちばんの心配ごとだった。道に沿って歩けば間違ってもそういうことは起こらないので、みなさんも安心して夜の恐山を散歩してみてください。


・山門をくぐると、奥には本堂が見える。長く伸びた灯籠の影がいい雰囲気を醸し出している。この写真にもちょっとだけ映っているけれど、道の両脇にある小屋が温泉だ。僕は向かって右の方に入る。



・これにひとりで入る勇気が僕にあったのが驚きだ。改めて写真を見て、ふだんの僕なら間違いなく踵を返しているはずだと思う。やっぱりなんか変になっていたのかもしれない。灯りも消されていて、中の様子をうかがい知ることもできないのだ。扉を開けるのも憚られる。



・しかし、この時は何の迷いもなく扉を開け、暗闇に手を突っ込んで電気のスイッチを探り当てた。灯りをつけたあと、もし誰かが湯船に浸かっていたとしたら怖すぎるな、という想像をする。その場合は生身の人間の方が怖い。


・源泉だからか、大浴場よりも熱くて気持ちがよく感じた。建て付けの悪い窓が常にガタガタ音を立てていてかなり趣がある。来てよかった。通気孔なのか、壁の上の方は長方形にくり抜かれていて、あそこから誰かが顔を出したら怖いな、という想像をする。何がこちらを見つめていても怖い。


・決して怖かったからではなく、お湯が熱くてすぐぽかぽかになったため、仕方なく3分くらいで浴場を出た。そもそも長湯が得意ではないので本当に仕方がない。ああ名残惜しい。


・満足してほっくほくの状態でもと来た道を戻る。ふと見上げると、流れの速い雲の間から星空が覗いていた。ふだんは見えない6等星くらいまで、ずっと遠くの宇宙が透けていて、なぜだかそれはとても近くに感じられた。麻倉ハオの「ちっちぇえな」という言葉を思い出す。今日は人の業と思いに触れ、自分の中にもそれを見つけた。今までにないほど星空に感動したのは、そんな人の業でさえちっぽけに感じられるほどの、圧倒的な宇宙の中に自分が含まれていることをはじめて実感できたからだろう。


・部屋に戻ると、まだ21時すぎなのに両親は床についていた。濡れたタオルをハンガーにかけようとして、小さい方のタオルをどこかに落としてきたことに気がついた。


・嘘だ…またあの道を戻るのか…しかもどこに落としたかわからないタオルを探しながら…?「ちっちぇえな」その通りだった。いくら宇宙を感じても、僕の心はタオル1枚にかき乱され、これからもそんな生活を続けていくしかないのだった。タオルは玄関前に落ちていたので難なく拾えた。めちゃくちゃほっとした。22時の消灯に合わせて布団に潜り込み、そのあと朝までぐっすり眠った。



・明くる朝、6時半にはお勤めがあった。長い廊下を渡って本堂へ向かう。自分が雑巾がけする想像をしただけで疲れた。幸い、掃除なんかはお勤めには含まれていなくて、本堂の中でお坊さんがお経をあげる様を見つめているだけでよかった。


・お経を聴くことはなかなかないけれど、その機会が巡ってくるたびにやっぱり好きだなと思う。お坊さん何人かで一緒にお経をあげるのは迫力があるし、それぞれの倍音が共鳴する瞬間にはいつも感動する。僕は最前に座って食い入るように見つめていた。


・建物の構造のせいなのか、音がやけに立体的に聴こえて驚いた。後方からも声が聴こえる気がして感心する。しかしそれは気のせいでも構造のせいでもなく、宿坊に泊まった他のお客さんがお坊さんと一緒に経を唱えていたからであった。ガチ勢の真ん前に陣取ってしまったことを申し訳なく思う。


・フルーツ爆盛の豪華な朝食を食べ、僕はそのあと布団に戻ってひと眠りした。短くて浅いけれど満足のいく眠りだった。両親に起こされ、荷物をまとめて宿坊をあとにする。総門を出て、いい経験ができたことに感謝しながら恐山に向かって一礼する。お土産屋でキーホルダーを買って、恐山の旅はそこで終わった。



・最後に何か、まとめみたいなことを書かなければいけない気もするけれど、自分のいいように結論を導き出してしまった時点で旅自体が嘘っぱちの台無しになってしまうような気がする。大学生の自分探しインド旅みたいに。現地で考えたこともけっこう書いたし、今思うのは行ってよかったなと思うことくらいだ。これを書き終え、やっと旅が終わった気がしているのも事実だ。


・是非みなさんも行ってみて欲しいし、僕ももう一度訪ねたいと思っている。おすすめです。ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。


・おわり!




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