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うれしいときはずかしいとき(2024.02.17)

・うれしいときー(うれしいときー)



・天井に引っかかったちいちゃいグレートバリアが見れたときー


・スプラをやっていない人たちには何のこっちゃのあるある。今日はフェスが開催されていたので、オンラインで小さい子に混ざって遊んでいた。子ども相手に手加減するのって難しい。こういうときって、うまい具合に勝たせて成功体験を与えるのか、それとも大人の強さを顕示していつか超えるべき高い壁になればいいのか、教育方針によって意見が分かれそうだ。



・僕はもちろん、勝たせてあげる派なわけ。だから全然悔しくないし、机も1回しか殴っていない。あー悔しくないな。実際ほんと退屈だった(笑)。まあ社会って循環だし?君たちも大人になったら子どもたちに勝たせてあげるといいよ。それが大人になるってことだから。


・スプラトゥーンは一大コンテンツ、もちろん子どもだけのものではない。相手が何歳なのかなんてわからない。だから僕が子どもとプレイしたことを仮定したギャグね。もちろん子どもと通話しながらやったわけでもない。何に配慮してるのかわからないけれど、断っておきたい気持ちが強い。



・『映像研には手を出すな!』の大童澄瞳先生がVtuberとして配信していたので、恥を忍んで「台パンしたことありますか」と質問した。大童先生は机を殴ったことはなく、しかし足が長いので膝が机にぶつかってしまうことはあるらしい。


・今日は酒を飲んでいたこともあり、勢いにまかせてくだらない質問をしてしまったけれど、知らない人のYouTubeにコメントすらしたことがないので自分の行動に驚いた。「映像研」はすごすぎて打ちのめされるくらい好きな漫画で、大童先生に対して畏怖の念すら抱いているのに気安く話しかけてしまった。


・大童先生の話し方が飄々としていて、どことなく隙があるような感じがするからかも。もちろんいい意味で。市井の人々からのコメントに対しても分け隔てなく応対されていたから甘えてしまった。びっくりすることに、めちゃくちゃすごい人に答えてもらったのにそれほど興奮しなかった。ありのまま、ではないのかもしれないけれどファンに対してえばらず、権威を誇示しない喋りができるのも尊敬ポイントだな。


・配信にコメントするときって、コメント欄の空気を読まないといけない気がしてむしろそっちの方に気を遣うことがわかった。「配信者が何か言う→それに対してコメントする→他の人も乗ってくれる」という流れを乱してはいけないという無言のプレッシャーを勝手に感じた。本当は「アリ・アスターのインタビューめちゃくちゃよかったですありがとうございます」ということを伝えたかったけれど、それを言うことのできる文脈はなかなか訪れなかった。


・最後に勇気を出し、空気を読まずにコメントしてしてしまって、やっぱ言わなきゃよかった…となった。


・感謝され、それを伝えられることが迷惑なことってあるかな。あるかもな…それは例えば配信の終わり際、もう切って眠らなくてはいけないとき。いちいち反応していたら無間に続けることになるからな。ああ…やってしまったな…。何をしてんだ俺は…俺はほんとによ…。


・人に対して、その人にかけるはずの迷惑を顧みずに何かを伝えたいときがある。そのタイミングが何故か今日訪れたというわけ。起こりうるべくして起こった偶然、長いあいだ旅を続けた彗星が巨星にぶつかって爆ぜるようなもの。それは奇跡。見ようによっては悲劇。


・この間、友人の結婚式の二次会に参加したらしい友達から酔った勢いでエモめのLINEがきた。あれは恥ずかしかったな。あれに比べたら、僕の行動なんて恥ずかしいうちに入らない。こうやって羞恥心を相対化し、人間の多様な文化の中で一定数確認できる、ごくありふれたケースのひとつだと考えていこうな。そんなのムリムリの実の無理人間。パラミシア系?ロギア系?


・サムネはうまかったアイス。子供の頃は、チョコ味とコーヒー味の区別がついていなかったことを思い出した。どっちも茶色だからおんなじ味だと感じていた。中学生のときにブラックコーヒーを飲むようになってから違いに気がついた。感覚は言葉と切っても切り離せないと常々思う。


・また明日〜。

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