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わかりにくさをもっとくれ(2024.02.19)

・生活リズムを取り戻すために今日は短め&速めに書きます。


・猫が本棚の上からダイナミックに毛玉を吐いた。冬毛がまとまって抜けた証拠で、つまり春の到来が近い。僕は春より冬の方が好きなスタンスを通しているけれど、暖房費がかからなくなるのは嬉しいな。せっかくの季節のうつろいに関する話題に金銭の話を持ち込むのは無粋だな〜と思うけれど、あたたかくなることへの喜びとして真っ先に思い浮かんだのが電気代が3000円になることだった。やだなって思う。


・なんでも、数字を持ち出した途端に行間を失いつまらなくなる。その一方で、数字に支配されるのは人間にとっての本能的な快楽だとも思う。お金についてはもちろんそうだし、SNSやゲームとか例を挙げればキリがない。数字で成り立ついろんなシステムや、意気揚々とお金の話をする人に嫌悪感を抱きつつ、自分だってそれに支配されているのだから反発したくてもぐうの音も出ない。もしも手足を動かすみたいに数字を扱えたら、きっといろんな意味でもっとうまく生きられるのだろう。



・そういえばブルースカイに登録しているのでよければフォローしてください。知人の見つけ方がわからずまったく運用できないでいる。Twitterは完全に崩壊したので、こちらに慎ましい住まいを設けたいと思っている。


・ここで終わったらさすがに短い?


・僕のメタ認知「うむ」


・じゃあ今日観たドラマの話をするかな。今のところU-NEXTのみで配信されている『THE CURSE/ザ・カース』の1話を観た。『哀れなるものたち』のエマ・ストーンが主演だし、あのクリストファー・ノーランも褒めているらしいという情報に踊らされて鑑賞し始めた。確かにおもしろそう。


・でも最後まで観れる自信はない。ドラマって何話もあるじゃないですか。どんなに巧妙な惹きを1話ごとに見せつけられたとしても続きが気にならないんだよな。映画でもアニメでも、話の内容についてはどうでもいいと思っている部分があって、どんなに素晴らしい話でも、筋書き以外でそれを伝えてほしいと思ってしまう。


・逆に、話が絶望的につまらないと感じても他の部分に面白さを見いだせれば楽しくて、映画やアニメに比べてドラマにはそういうことが起こりづらい気がする。


・うまく言語化できなくて歯がゆいけれど、「ドラマ的な演出」に対して辟易しているところもある。『ザ・カース』はかなり映画的なつくりだったので気にならなかった。ネトフリの『すべての見えない光』は楽しみにしていたけれど、筆舌に尽くしがたいドラマっぽさが目につき途中で観られなくなった。視聴者を掴むためには仕方のない、わかりやすい演出に媚を売られているような感じがして、僕はなんだか舐められているような気になり、むかっ腹が立ってしまうのだと思う。もっとくれよ!わかりにくさを!難解を!


・まだ短い?


・僕のメタ認知「よろしい」


・やったぜ!


・また明日〜。

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