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地元愛とかないけれど

ちょっと久しぶりのnote。

今年のGWは遠出の計画もなく、のんびり過ごした。
大型連休を逃すと長野や富山はしばらく無理かもしれない。山が見たいなあ、という思いはYouTubeの長野動画でやり過ごし、夫がラーメンを食べたいというので和歌山へ行って、少し海を眺めてきた。それが唯一の外出らしい外出。今って砂浜にもテント張るんだ、と思ったけど昔からなのかな?海のことはよくわからない。

以前は、海がある場所へいけばこういう所に住みたいと思い、山がある場所へいけばこういう所に住みたい、と思っていた。
でも、眩しさに弱いから海はずっと見ていられなくてすぐ疲れるし、山は虫が無理すぎて住むのは現実的じゃない(現れると本当に生きた心地がしない)。

無いものねだりを続けても人生損なだけ。
海も山も、少し遠くから憧れて眺めているのが今世の私なのだと、少しずつ納得できるようになってきた。

都会暮らしが生きやすい。あまりそういう人間になりたくないと思うのに、しっかりと、私はそういう人間みたいだ。それならば、その自分を受け入れることも考えよう。



とはいえ。この街は人が多くて、うるさくて、ごちゃついている。それが親しみやすくていいんや!みたいな感情が、私にはない。どうも水が合わない気がするのは、母が福岡出身なせいか、単に自分の気質か。
だけど他県へ行くと、やっぱり自分はここの基準で物事を感じているのだと気づく。当たり前だけれど。例えば、たぶん私みたいな人なんだろうな…レベルの人が運転しているのを見てぞっとしてしまう、とか。

こういうことを繰り返して経験値が溜まってきたので、もう諦めて、いいところを探して生きていくことにした。
東京から移り住んできた人達は、こっちは人が少なくて、便利さの割には家賃とかコスパいい、と思うらしい。私も1年だけ東京に住んだ時のことを思い出して、確かに確かにと頷いてみる。ただ、まったく同じことを私は福岡(小倉周辺)に対して思っているんだけどね…

住んでいる駅に関しては、最初は住みにくかったけれどだいぶ体に馴染んできたように思う。立地は便利なはずなのになんか存在を忘れられている感じが、妙に住みやすい。でもさすがにドトールくらいはできてほしい、何もなさすぎて大繁盛するんじゃないかと思う。

ここまで書いてみたけれど、本当は、きっと住む場所はそこまで重要じゃない。夫と元気に暮らせればそれでいい。憧れの場所に時々お邪魔できるだけの生活力と健康を維持できたら、幸せだ。

#日記 #今こんな気分

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