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「スレミオ」はやっぱり結婚していないのが公式設定の気がする ~『水星の魔女』は多様性アニメだというデマにNOの声を上げよう~

 『機動戦士ガンダム 水星の魔女』騒動がなかなか収まりません。番組関係者の差別投稿が英語圏に発信される事件が起きてしまいました。


 まず最初にスレミオ結婚騒動についてよく知らない方は以下のリンク先で把握をしておいてください。

 謝罪と訂正の告知は以下の通りです。

 『水星の魔女』公式の態度は混乱を呼び、政治議論にまで発展しました。

 同性婚を求めて活動している団体のアカウントも反応。

 公式の訂正謝罪文は翻訳されて海外にも拡散され、ついには他国メディアにまで記事にされる始末。

 その後、イベント内で上映された動画にてミオリネがスレッタを「私のパートナー」と呼ぶやりとりがあったことや結婚指輪と思われる設定画があったことなどで、一定の評価を取り戻す流れが起きました。

 ちなみに、このイベント内容は当日イベント参加者のみ確認できたものであり、今から確かな情報であるかどうかを確認する方法はありません。



 …と、ここで終わっていたらよかった気がするのですが、またしても事件が起きます。番組の作画スタッフがスレミオの結婚に関して否定的な発信を行い、またしても混迷を呼び起こしてしまいました。



 はてさて。一体どうしてここまでこじれてしまったのでしょうか。

 私は下記の記事にて、「そもそも『水星の魔女』番組スタッフは同性婚を人権問題として認識せず、舐めきった態度で同性同士の結婚ネタを持ち出したのが問題」みたいなことを書きました。

 しかし、「スレッタとミオリネの結婚に固執してる方が結構居るみたいだけど」という言葉から、あるひとつの可能性がより濃くなってきました。



やっぱりスレミオ結婚設定は本当に無かったんじゃないの?



 スレッタとミオリネの結婚は、かなりの人が「アニメ作中における描写を確認する限り、結婚していないなんてどう考えてもありえない」と主張しています。それは結婚指輪であったり、「小姑」というセリフであったり、結婚の合理性であったり、いろいろです。その主張を読むと確かにどれも納得できるものばかりです。

 しかし、アニメ『水星の魔女』シリーズ構成の大河内一楼と言えば、ただバズリネタだけは入れておいて最終的にはまともにまとめられずグッダグダで終わることで定評のある脚本家です。「こうしとけば盛り上がるやろ(笑)」で何も考えずに結婚を匂わせる描写にしていても特別驚きはありません。

 アニメ『水星の魔女』の問題点として特に指摘されたのが突然のフェンシング問題です。「モビルスーツで戦う」「立会を必要とする」というルール下で行われる決闘で「ホルダー」の奪い合いがそれまで行われてきたにも関わらず、そのルールを全部無視し、突然のフェンシング対決で「ホルダー」の移行を成立させてしまいました。突然のフェンシング対決自体はシリーズ旧作のオマージュによるファンサービスではあるものの、その超ご都合展開は『水星の魔女』のこれまでのストーリーそのものが一体何だったのかわからなくなる視聴者虚無化展開であり、これには多くの視聴者が呆れ返りました。

 シリーズ構成がこれだけのレベルの低さであるのを考えると、ラストシーンの描写も「こうすれば話題になるやろ(笑)」程度で何も考えていなかった可能性が否定できません。常識では説明ができないことでも当たり前のように起きるのが『水星の魔女』というアニメなのです。


 また、「第1シーズンはまだちゃんとスレミオの結婚への流れになっていた」という意見もあります。ですが、私はそこも疑問に感じています。何故ならスレミオの関係を語るのに「バディ」を使っているのです。

 「バディ」という言葉は作品内の恋愛感情を汲み取ることに対して非常にネガティブな作用を起こすものです。インタビュー記事は結婚削除騒動の件しかりで、信ぴょう性が少々怪しいため強くは信じられませんが、恋愛を構想しているのなら基本的に出てはこないでしょう。

 また、「『水星の魔女』世界は未来で多様性があるから同性婚も当たり前になっている」といったような大河内一楼発言を称賛している人もいましたが、その情報元にある実際の発言記述やアニメ作中の描写を見る限り、「未来なんだからこんな素晴らしい世界になっているんだ…!」というような感覚は一切感じられません。

( イラストAC )

 「未来だから何でもありやろ! 多様性、多様性(笑)」という脳内居酒屋トークで生み出されたのが『水星の魔女』の同性婚設定なのではないでしょうか。現に、『水星の魔女』には子持ちの同性カップルのような、多様性を感じられるキャラクターがまったく出てきませんでした。(2020年代にもなって肌の色程度で多様性とか言われても困る。)

 この異様なまでの意識の低さから考えるに、スレミオの「パートナー」にしても、製作スタッフがただ単に「同性カップルはお互いのことをパートナーと呼んでいる」のを知らなかっただけのように思います。

 シリーズ構成が初めから同性婚どころか同性愛すら考えていなかったと想定すると、作画スタッフがここまで同性婚に否定的なのも、結婚削除騒動が起きたのも、すべて納得ができてしまいます。女が男相手に頬を染めるのは当たり前でも、女が女相手に頬を染めるのはあってはならないことなのでしょう。


 『水星の魔女』に関しては「多様性アニメ」と評価する人が一定数見られました。しかしながら、前述の通り『水星の魔女』には多様性が確立され同性同士の結婚も可能な設定にも関わらず、既婚同性カップルどころか明確なセクシャルマイノリティ設定キャラ自体がまったく出てこなかったですし、『ガンダムビルドダイバーズRe:RISE』(2019年、2020年配信)のように車椅子ユーザーの視聴者に向けてエンパワーメント意図を感じさせるキャラクターが描かれたわけでもありません。

 ジェンダー観も全体的に守旧的なものにとどまりましたし、家父長制もしっかりと肯定されましたし、花嫁・花婿は何かしらの問いかけと見せかけておいて結局すっかり忘れさられ、「小姑」という平成どころか昭和で終わらせればいいような言葉が肯定的に用いられました。

 多様性どころか、『水星の魔女』は一体どこが新しかったのでしょうか? 太い女の子がモテるというウケ狙い設定はどこかの古い漫画にもありそうなもんですし、結局新しいのは女の子の太ももを強調するという最近流行りのエロ記号ぐらいだったのではないでしょうか。

 『水星の魔女』というアニメに近年の水準を満たせる多様性なんてものはありません。何なら1941年生まれの富野由悠季監督による過去のガンダムアニメに平気で負けるレベルです。悪質なデマを流す人にはよく注意しましょう。


 ――余談。

 『水星の魔女』が同性愛・同性婚に対して遠慮気味な描写に終止しているのは中国の政治圧力なる憶測が一部で流れました。中国本土では放送も配信もされていないというのにされました。

 このnoteは確証が取れないことを平気な顔して書くために始めたので書いてしまいますが、どうも中国では実在の女性を勝手にカップルにして盛り上がるノリが一部であるらしく、上記の動画がbilibiliにアップされています。

 軽く検索してみたところ、上記動画の2人は女性同士のバディ系ドラマを演じた方たちだそうで、それが以下のドラマです。

 2023年に日本で配信が始まった『愛に囚われて』という中国本土漫画では、女子アイドルグループのメンバー同士カップル匂わせ営業なるものが描かれ、日本でいうところの「百合営業」がけっこう盛んになっているのが見て取れます。

 『水星の魔女』が本当に海外セールスを狙ったのであれば、むしろ同性婚はきちんと扱うアニメにしたほうが圧倒的に正しかったのではないかと私は思います。イベントでも中国からと思われるそういうフラワースタンドが届いたそうですし。

 なお、『愛に囚われて』について当方の本ブログにて紹介しておりますので、気になる方は閲覧してみてください。


上記、本記事サムネイル利用画像。


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