卒制ログ日記-ep13

先日、愛用しているiPhoneXsの電源が突然入らず強制デジタルデトックスをしていました。デトックスとは響きのいいもので、情報の溢れかえったこのご時世にいよいよ"身近すぎる"デトックスは少々大変でした。とはいえ、急に卒業する雰囲気に飲まれ、刻刻と暖かくなる日常に待ったをかけるかのように、スマートフォンを見ない時間でこの1年を振り返るには、丁度いいチャンスだったかもしれません。

ep13:「ギブとテイク」にまつわる話

ありがとうの気持ちがどこから来るか考えたことはありますか?
私は人の死生観から来ると思う時が良くあります。「偶然と必然」が混ざるように、生きることと死ぬことを明確に捉えられなくても、人が感謝することはどことなく自分1人では生きられないことをつくづく痛感するからなのかと。

卒業制作をしていて特にそう思いました。

1年前、生まれて初めて荒れた海を見に行きました。肺がキュッと痛くなるような感覚を携え、大好きな潮の匂いが入り混じり、なんだか不思議と背筋が伸びる感じがしました。これからどう生きるか、どう制作をやっていくか。悩み、辛かったタイミングで見た海。この1年を象徴するかのような荒々しさは今でも忘れられないです。

怒涛の1年でした。
人と関わることを極端に避けていた所にいた私が今の私を見たらなんと言うのか。
得たものも失ったものも等しく、全て血肉にしたなと思う1年でした。

私の卒業制作は音から色を感じる、共感覚をモチーフとしたものです。たくさんのアンケートを取り、実際の共感覚者とのデータを照らし合わせ、音に色を付けていました。
音楽は、音は、それだけで人と心を通い合わせる事が出来るツールだとよく知っています。
だからこそ、音に色をつけることで聴覚の有無に関わらず、その通い合わせるツールの拡張を狙った研究をしていました。

私は、左の耳が聞こえていません。
「明日、耳が聞こえなくなったとしたら」
初めから全て聞こえていなかったら感じなかった恐怖でもあります。聞こえている今のうちに、私が音を覚えているうちに、音に色をつけることで好きだった音楽を思い出せたのなら。
そんなエゴが始まりでもあります。

音によって与えられた思い出や感情をそのまま鮮やかに出来たのなら。
「音色」というように音にも色があるのなら、どんな色をしているのか。音を共通言語にすることで、向き合う人を増やせたのなら。手話と同じで、音にも言語のような共通意識を持たせる事が出来たら、聴覚のある無しに関わらずもっと音楽を傍に感じられるのでは無いか。

たくさん心を尽くして研究した事らが、今更になって1年前の海のように荒々しく残されているのが少し不憫な気もしています。

ギブアンドテイク。
与えられ、受け取る。
受け取る側で居続けた私が初めてギブを体感した1年でもありました。人に感謝する、心を尽くす。表面だけで出来ることでもありますが、ギブの本質を垣間見たような気がする今となっては、まだまだ若く青いなと恥ずかしくなりました。
まだ、やれることがたくさんあると思え、卒業後のビジョンへと繋いでくれた卒業制作の研究内容をここで終わらせず、納得のいくまでやり続けていけば、いつか見えることがあるのかも。そんなふうに思える最後を迎えてなんだか不思議と元気になれました。

今年は温かい2月です。
卒業までの残り時間を誰かにとってのギブの時間に出来たらいいなと思いながら、少し長めの今回は終わろうと思います。

では、おやすみなさい。


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