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気がついたら秋

気がついたら秋だった。
前回、東京に来てまもなく三ヶ月だなぁという思いをつらつら書き殴っていたところからもう半年くらいたったのかぁという。体感速度と時間が一致していない。
早いと感じているのは老いている証らしい。
なるほど。小学生の頃の一年と今年の一年は速度が全然違うんだろうなと思うとすごく虚しい思いがよぎる。

そんなことは一旦おいて、季節はすでに秋になってしまった。
ベランダで何か育てようかなと思い、植物を見繕いに神宮外苑側まで来てみるとイチョウが若干色付いてきたし、ネットではユニクロの新作がどうのこうのと騒ぐレビューがちらほら散見できる季節になった。
私はというとクーラーの除湿モードを解除して窓を開けて生活しても心地良い気温になったのでとても満足している。

満足している、という感覚になぜなったのかここで少し疑問になった。
除湿された空気は過ごしやすい室温を維持してくれるが、決して美味しい空気ではない。都内にいて美味しい空気を感じようとするのも少し無茶かもしれないが窓を開けて常に新鮮な空気がそこにあるだけで満足なのかもしれない。秋、万々歳だ。人工的な空気は匂いもなんとなく人工物だと思えるが、窓を開けて感じる空気は季節を感じられる匂いがしていい。秋、やはり万々歳だ。

住んでいる地区が思ったよりコミュニティが充実していることをこの半年で痛感している。ちゃんと季節の催しを大事にしているし、何より家族というコミュニティの最小単位を重んじている人が多い印象だ。こんな小難しく書くのではなくもっと言えば、育ってきた環境にすごく似ている土地に住んでいるので瞬間瞬間で地元を思い出すことが多い。
秋になれば神輿祭りがあった地元同様に、この地域にも神輿祭りが存在していた。規模こそ違えど(地元の方が立派で派手でヤカラばかりのヤンチャ具合だった)なんとなく日本は地続きなんだなと思わされる。
神輿祭りを境に山形は急に寒くなる。
今日の東京は過ごしやすい秋の気候でなんとなく神輿の後の涼しさまでも同じで嬉しくなった。
硝煙ぽい匂いとか、ちょっとやからっぽい人たちとか、祭りにはしゃぐ小中学生とか。
夏より秋の方がなんとなく好きなのはコミュニティを感じられるからかもしれない。
みんなここで生きているんだな、生活があるんだなを感じられる。
地の利のないコンクリートジャングル東京にも地元のようなホームタウンができたと思い始めたので、ようやく東京に慣れてきたのかもしれない。

そんなこんなで、
では、おやすみなさい。


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