赤でも青でもない

ランドセルは青が良かった。
ずっと言い続けた。
小さい保育園から小さい小学校に入学するとき、好きな色のランドセルが欲しくて「青い」ランドセルを手にとった。
でも入学式で着る衣装はピンクだった。ショッピングモールの一角、試着室で母に「ピンクの衣装を着るのに青いランドセルは合わないんじゃないか」と問われて自分の意見を曲げたのを覚えている。
「好きな色にしたら良い」と言ってはみても、求められている答えが目の前にある。幼心にそのことを目の当たりにして抵抗することに疲れたのか、衣装選びに難航して疲れたのか、どっちもだったかもしれない。が、あの時に「赤のランドセルにする」と伝えただけで大喜びされたのはショックだった。

新しいコミュニティで孤立する原因にならないように、「みんなと同じである」ことが私を守ってくれますように、と言う親心もわかっていたつもりだったので、私は6年間「赤いランドセル」を大事にした。

ランドセルが赤だったとしても、私は浮いたこともあったし孤立したこともあった。

美大に行くまでの学生時代の多くは出る杭は打たれ、周りと違うだけでそれは悪で、何故どうしてと思うことがなかなかに減っていった。

社会人になってみて久しぶりにランドセルのことを思い出して妙な気分になったので勢いのまま綴る。

本当は赤でも青でも良かった。
私のことを信じて、選択することを後押しして欲しかっただけなんだと親元を離れて思うことが増えてきた。

親の求める理想像の私に成りきれないと思った辺りから、勉強することをやめた。テストの点が下がり、自我の芽生と共にぶつかることも増えた。期待された経験を持つとそれが無くなった瞬間が怖くなることも知った。その辺りから人生に絶望することも出てきたし、将来について考えると言うかなり矛盾した希望の中で美大に行きたいと我を通した。

人生は赤でも青でもいいわけではないとあの日試着室でそう思った。
喜ぶ顔を見て安心できるのは一瞬で、こんなに大人になってもランドセルのことが記憶に残るような人間の私が、誰かのために赤にでも青にでもなれるはずがなかった。

我を通すには覚悟も苦しい思いも必要なんだと思っていたのかもしれないけど、最近はもっと違うやり方があるんじゃないかと模索し始めた。
どんな色がフィットするのか、ポジティブな気持ちだけで仕上がった制作物はどんなにか素晴らしいのかと少し期待するようにもなれた。

自分の働いたお金で生活し、その生活を楽しんでいると、今まで自分がしてきた選択が報われたのだと思うと幸せな気持ちになる。
苦しくても、自分のやりたいことを貫くことに意味があると思い込んでしまっていたのかも。小さい時の私は「青いランドセル」を自分のために選んであげることができなかった。「好きなものを選べなかった」という事実で私は我を通すことの意味を見出し続けたから苦しかったのかも。「青いランドセル」の私だったらデザイナーになっていなかったんだろうか。そしたらいまの幸せは無意味なものになってしまうんじゃないだろうか。穿った目線で物事を考えすぎないようにと、もうそんなことのないように生きられたらいいなと、思いながら今日は終わろうと思う。

おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?