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勉強するって大人になった今でもやっぱり……。

 反動だな。学生時代、あんなに嫌いだった勉強なのに、今、生涯教育に燃えている。
 情熱をもって臨んでいるけど、燃える理由もわかってる。学びはあるけど試験がない。これがいい。学びたいことを学びたいままに学べるのびやかさ。ここに、枠に押し込められる窮屈さはない。
 そっか、かつては勉強が嫌いだったわけではなく、型にはめられることに反発していたわけか、と妙な理論で自らを納得させる。あとになってしまえば、なんでも言えるからね。いい点は取れなかったけれど、初志貫徹の始点がそこにあった。今は、点数にとらわれない学びで楽しくやっている。

 継続している学習は英語で、視野に入れているのが資格。
 英語が継続しているのは、負荷をかけていないから。達成の目標を定めていないから、嫌になるきっかけがない。そもそも話すことを目的としていない。読んで理解するだけ。辞書は使ってよし。調べた単語は覚えなくてよし。刹那的に理解できればよし。ゆるゆるだから、だらだらするけど、感情を堰き止めないから、堤が決壊するようなことは起こらない。

 資格はまだ言えない。書類選考で通らなければ通えないから、現時点で口を滑らせると狼少年になりかねない。ただしこれに通ると嫌いな試験が学習の出口で大きな口を開けて待っている。最も嫌悪していた『振り分けられる恐怖』を内在している。
 なんで今さら火中に飛び込むような真似を起こすのか、我ながら不思議である。
 これもまた反動か。しなかった勉強のリベンジマッチ。今度こそクリアしてみせる、みたいな。
 はあぁ。着手してもいないのに、試験を考えるとため息が出る。

 社会は人の思考の賜物で、最大公約数の適合者で稼働するように作られてきた。万人に当てはまるものではないから、当然、脱落者が出る。社会はこれを『ふるいにかける』と言う。残った者を賞賛し、大きな歯車の役割を授与する。
 こぼれた者にも歯車の役割は残されるが、社会的地位ともらえる給金に大きな差が出る。
 こんなことなら学生時代に勉強を頑張っておけばよかった、と漂流者たちは流刑地で嘆くことになるが、たまたま性に合わない世界に生まれ出てしまっただけで、そう卑下するものではない。現世で落ちこぼれても、落ちこぼれが篩を作ったら、そこでは適合者になれる。信号が青になれば進む。それを繰り返してたどり着いた結果はもう誰にも変えられない。

 前に進む。生涯学習。何を学ぶのも自由で選択肢も広い。そこにはきっと毛色違いの性に合った篩がある。

 臨もうとしている資格取得には、繰り返し述べているように試験がある。現社会の仕組みに則り振り分けるための線引きだ。せっかく生涯学習に夢を膨らませたっていうのに、試験を考えると波状に不安が押し寄せ恐ろしさを募らせる。勉強意欲も不安のひと波ごとに萎んでいく。ああ、このままだと学生時代の二の舞になりそう。どうしよう。

 願書はまだ投函せず手元にある。

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