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コロナ禍の遠隔介護で知る、子供の知らない親の人生

お母様を亡くされた友人から

「親を亡くしてみてひとつ言えることがあるとしたら、親とはよく話しておいた方がいいよ。亡くしてから知りたいことがいっぱい出て来る」

と言われました。

親と話す。実は難しい。

実家に帰ると、何だか「すること」の方が多い。

料理、掃除、洗濯、片付け、草むしり、病院に連れていく、、、そんなことで疲れてしまいます。

が、よく考えたら、大切なことは「何かをすること」でなく「ゆっくり話すこと」なのかもなあ、、、。

そう言えば、輝子(母89歳)さんが認知症になってみて、もう聞けないことが多いから、話しておいてよかったなあ、と思うことがいっぱいあります。

・恋愛経験がなく、人を好きになったことがないこと。
・イチロー(父88歳)さんは、まじめで一生懸命なとこが、結婚して少しずつ好きになったこと。
・郵便局で35年務めて郵便局で勤めたことが誇りで、郵便局が大好きなこと。
・私が産まれた時に難産だったこと。産まれたのが寒い朝だったこと。

他にも、嫁と姑との争いの笑えない話や私が高校受験に合格したのがどんなにうれしかったかとか、輝子さんのキュートで頑張り屋さんの話が聞けたのが、今となっては財産です。

イチロー(父88歳)さんとは、今の時期は、戦争の話を聞くことにしています。

・敗戦の時が10歳のイチローさんは、空襲で焼け出された人が蛆虫とまみれの状況が一番怖かったこと。
・空襲で焼け出された人を助けてくれる陸軍学校の学生学生さんが、油がない時代に松から油を作ってくれたことに感動し憧れたこと。
・イチローさんの父、文治さんが、赤紙で中国武漢に行き病気になって日本に帰国。入院した広島の病院へ母と妹と行ったときの父親、文治さんが最後まで手を振っていた夏の暑い日の話。それが最期の別れだったこと。
文治さんがどんな気持ちで手を振っていたかを考えると今でも辛いこと。

親の人生を少し知ることで、私の知らなかった親の姿に驚きとリスペクトが生まれたりするものですね。

世界の片隅で名もない私の父や母のことを、娘は受け継いでいる。

突然、親と話をするのも、照れたり、面倒だったりするものですよね。

ただ、このお盆、帰省が難しい方も多いでしょうが、何か、親やご先祖様にアプローチするきっかけにするのが良いかもしれないです。

花を贈る、親の好きそうなものを贈る、手紙を書いてみる。

そんなことから、自分の中にも、新しい歴史が生まれて来るかも。

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