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コロナ禍の遠隔介護で知る イチローさん(父 88歳)今を生きる。

毎日朝晩2度、イチローさん(父 88歳)に電話しています。生存確認電話ですが、独り暮らしでフリーで働く私の方が生存確認されている時もあります(笑)

その日は、夜の電話が中々できずにいたら、突然携帯に【イチロー】と言う文字が浮かび、父からの電話📞がかかってきました。

珍しいことなので、胸騒ぎしかしません。

わたし:もしもし
イチローさん:もう、ひとりで生活するんは、ムリじゃと思う。
わたし:そうかあ。いまは、どうしょん。
イチローさん:一彦(弟)に来てもろうとる。
わたし:じゃあ、今夜は大丈夫?
イチローさん:ご飯、買ってきてもろうた。
わたし:これからどうしたいん?
イチローさん:お母さんの施設に入ろうか。相談できるか。いつ帰ってこれる?
わたし:明日には帰れるよ。

実家への帰路、最初はちょっと動揺して、考えたってしょうがない事、「イチローさんの辛さ」「今、考えてもしょうがない施設セレクト」も考えみたりしていました。が、そんなこと考えても意味ないなあ、と思ってまずは、体力温存、寝よう、と寝る(笑)。

実はこれも介護生活の中で身につけた生き延びる方法です。あまりに思うようにならない(ヽ(`Д´)ノプンプン (笑))。変化が大きく、多いので、まずは対応可能なことだけ考えることにしました。

また、終わりが見えないので、体力・気力の温存こそが大切なのです。自分ファースト(笑)

やっと一応イチローさんと対面(わたしもワクチンしているから会えた、ワクチン効果)

わたし:どんな感じ?
イチローさん:ひとりは寂しい。テルコ(母89歳 認知症で介護施設に入っています)さんがいた頃はケンカしても話せたし、母さんの介護せんといけんと思ったら張り合いもあった。けど、今は生きる張り合いがねえ。最後は、お母さんと一緒にいてえ。
わたし:お母さん泣いて喜ぶわあ。
イチローさん:あとな、行っているディケアは、わし以外はみんな7年、8年通っていて、わしはまだ7カ月だから、全然慣れん。まだ、頭がしっかりしてるうちに、最後の居場所を決めて、慣れておくことが必要な気がしたんじゃ。
自分が本当にダメになってから、居場所を探すのは、ようねえ(よくない)気がした。
イチローさん:ほかにも、認知症になってから、迷惑をかけたくないから、今のうちにいろんなことを引き継いでおきたい。

ちょっと驚きました。

最初に思っていた胸騒ぎと真逆で、イチローさんは自分に少しでも余裕があるうちに、いろんな事を片付けたいと思ったようなのです。もちろん、少し肩で息しながら話す姿は、しんどいことはしんどそうです。

できる範囲でイチローさんがしたいようにしようとチームみよし(家族)で考えることにしました。

少し前なら、イチローさんに「寂しい」と言われたら、心は揺らぎ、岡山で同居も考えましたが、この8年間の歩みの中で、うちの場合は、わたしが全面介護の生活になるのはムリ!ということがよーくわかっています。

親の私もお互いに何か犠牲を強いられることで、たぶん、しこりが何か残り、どこかでお互いフェア―ではない依存も生む気がしました。

長く親元を離れて暮らす娘が再び親との関係を新しく作っていくことは、今までの関係の延長線上ではなく、新しい親子の形を創造することが必要だと思いました。

何度も親と娘はぶつかり、お互い泣きわめく中での落としどころ探しは、試行錯誤の連続だったのです。

今、テルコさんの施設にイチローさんが入居できるか、問い合わせ面接の段取りをしていますが、たぶん、イチローさん「やっぱり、家がええ」と言い出す(笑)。今までもそういうことはいっぱいあったし、そのくらい難しいことでもあるんですよね。

どんな変更があろうとも、まあそれも想定内で。

でも、あんなに『ありがとう』が(思っても)言えなかったイチローさんが今はちょっとしたことで言えるようになってる。すごいことです。

まずは今日を生きましょう。

イチローさんのゆうげは、少し目先を変えて、鱧のお刺身と大好きな焼きナス、シジミのお味噌汁、冷奴でどうだ!イチロー💕💕💕

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