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冷たい手

2019年12月11日、昔お世話になった上司がガンで亡くなった。
お通夜の日程が12日に決まる。
退職して4年経つが、どの様な距離感で参列するべきか迷っていた。
私は喪主の奥さんも知らないし、遺影として飾られている「痩せてバイクに跨る事務長」の写真にも見覚えがない。
知らない人に囲まれながら、結局あやふやなお焼香をしてお塩だけ頂いて帰る。

彼に会う約束をしていたので、西麻布のいつものバーへ向かう。


「おとちゃんおまたせ」
「〇〇さん。お疲れ様。」
「待った?」
「結構待ったよ」
「先飲んでたら良かったのに」
「一緒に乾杯したかったし、お通夜の塩を振って欲しくて。」
「おっけ。今日の外めちゃ寒いよ!」そう言いながらパラパラと私の背中に塩を降る。
「北風が強いよね。わぁ、手が冷たいね。」と〇〇さんの手を握ると、氷の様に冷たかった。
「もう寒くてかじかんでるよ。」
「可哀想に、すりすりしてあげるね。」
「こっちもすりすりしてよ。」
「ばかじゃないの?」
くだらない冗談を言いながら乾杯する。


このバーにいると必ず誰か知り合いがやって来る。
溜まり場みたいな場所なのだろう。
その日も誰か先輩だったか、何人かの人が訪れた。
一緒に話したり、参加しない方が良さそうな話題だと察したら一人で飲みながらボーっとする。

すると彼は、先輩と話しながら私にこう言った。

「手握っててよ。寒いから。」

「寒いから」は理由付けなのか、本当に寒いだけだったのかは分からないけどなんだか嬉しかった。

「まだ手が冷たいね。〇〇さん、冷え性なのかな。」
「心があったかいんだよ。」
「何それ小学生みたい。手があったかい私が、心が冷たい人みたいじゃん。」
「違うの?」
「違うよ。」
けらけらと笑いながら赤ワインをお代わりした。


3年後、西麻布のバーで彼は今までに見た事のない表情で私を怒鳴り付けていた。

「ちゃんと話そう。」

そう言って彼の膝に手を置いて目を見ながら訴えた。
いくら語りかけても目が合わない。

「無理だから。」

そう言いながら彼は私の手をそっと払った。
冷たい手だった。

あの時「手握っててよ。」って言ったじゃない。
そう思い出しながら今でも彼の冷たい手の感覚が忘れられない。
心があったかいんでしょ。
もう許してよ。

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